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医療不安と共存するために

龍神靈氣読本は、毎週月曜更新します。

医療不安が叫ばれています。
わたし自身家族が風邪なのに「咳が出ている」という理由で
会社から出勤停止扱いを受け、年末だったこともあり受診するのも
本当に大変でした。
結果、当然のように風邪だったし、当然のようにコロナではなかったし
(医師が大変いい方で「安心して働くために」という理由でPCR検査
していただきました。多くの似たような経験されている方、頑張りましょう)もう骨身にしみて「医療崩壊しちゃうからみんなできることは自分でね」とかって思うわけです。
年末年始に症状が出たうちの家族は、急患センターでもたらい回しにされ
(雪の中確認していったのに受診拒否されたり)、もう本当に祈祷師で
ありながら自分の家族さえ守れないってどういうこと?!って半泣きに
なったり、いろいろ忙しい(いろんな意味で)年末年始でしたが。
ひとり暮らしの家族は「万が一があるから会いに来ないで。迷惑かけたくない」とかって言いだすし、いや本当に気が気ではありませんでした。

感染していても、していなくても、結構そこまでの扱われ方に心が折れると思うんです。
そして、それを見ている家族も心が折れていくと思う。
うちは幸いお互い単身世帯として暮らしていたから、接触がなかった分万が一感染していても濃厚接触者にはなりません。
でも、反対に家族がもし感染していたら介護もできません。
病院で「もしものときは、ホテルか自宅か療養の方法選ぶらしいよ」と言われたとき、どれだけ切なかったか。
出産とか入院とかを控えたりしている方も、同じ気持ちなんだろうなと思ったものです。
お客様の見方が圧倒的に変わりました、報道と実際とは雲泥の感情的温度差があった。

お客様や生徒さんの中に、医療関係者がかなりいます。
その方たちを見て、ふと、思ったわけです。
自分はもともと臼井靈氣という代替療法畑の出身なわけだけれど、その中で何かできることがあるのではなかろうか、と。
日本発の氣療法である臼井靈氣を18年伝承しています、それは医療がまだ全く整っていなかった大正時代の終わりに京都の山奥で生まれたものです。
日本の禅宗のお坊様が編み出し、創始者没後第二次大戦の勢いに乗って海外に広がって。
戦争のせいで日本人の表だった継承者が一時いなくなってしまい、死んだとされている療術の伝承を、ずっと仕事にしていた。
昔は大きな組織の中で育成されていて、公認講師も取っていて、そこでは関東大震災のときに開祖臼井甕男氏が瓦礫をかき分けて人を救いに行った武勇伝が語り継がれていて。
発災したら、我々もそうあらねばならぬ的育成を念仏のように聴いて育ってきましたが。
いまから10年前、東日本大震災が発災する1か月前にわたしは謀反者として組織を追われるわけです。
自分としては、別に謀反でもなんでもなかったけど、純粋療術をに研究していただけなんだけれど、気が付いたらそれが謀反者の扱いになっていて(笑)。
そうなった段階でもう一緒にはやっていけないので、独立という形で組織を離れたら、どうしたわけか引退して業界からいなくなることにされて公表しまい(笑)。
そんな憂き目にあっているうちに東日本大震災が起きて、自分も被災したわけで。
そこで知るわけです、当事者になって初めて。
災害時に人に何が起こるのかを。
非常時に平時の机上の空論なんて、何の役にも立ちはしないってことを。
想像以上のメンタルダメージと目の前に広がる現実のひどさ。
その一方で、それを乗り越えていくだけのメンタルトレーニングはまったくできておらず、なにより何一つしてもらってなかった。

完全に折れたわたしは、業界から二年半今度は自分の意志で姿を消しました。
そしてその間、元所属していた組織がどう動くかを外からずっと見ていました。
結局、師範は一度も被災地へは行かずじまい。
それが自分が信じ、縛られ、守ってきたものの本当の姿だと知るわけです。
もうね、本当に笑いしか出なかった、自分が馬鹿すぎて。
その後、今所属している認定NPOの防災団体とご縁ができ、現地支援で宮城県へ派遣されました。
その後、個人的に仕事で福島へも入り「あなた程度、被災なんて言わないで」とか「神様はいないのよ!」とかって辛辣な言葉を現地で浴びつつ(笑)、自分がどうあるべきか考えるチャンスを与えてもらったおかげで、いま大切なことが見えてきたような気がしているのです。
今年三月、東日本大震災から10年目を迎えます。
復興というには、ほど遠い状態で東北が迎える10年め、そして、この10年で被災地と呼ばれる場所は日本国内に本当に増えてしまいました。
水害、台風災害、地震、いろいろな自然災害がわたしたちを襲い、現地の人たちは日常を取り戻す前にコロナが襲ってきた形になっています。

代替療法への社会的批判があることは承知しています。
医薬法の規制もあり、それを口にしていくのが正しいのか、いまだに迷いが残っています。
それでも、何もしないでいたら、いまのまま。
何かアクションを起こせば、それは一つの突破口になるかもしれない。
経済を止めるわけにはいかない、お金を含む物流は社会の血液だから。
現行の社会システムでは、そのためには少なからず外にでないわけにはいかないし、人に会わないわけにもいきません。
なにより人間は人と触れ合わなくなると、とたんに劣化していくことを人に会う仕事をしてきた自分は誰よりも理解しているつもりでいます。
医療現場の皆様は使命感とプロ意識を持って頑張ってくれている。
次にそこを守っていくには、まずわたしたちが一人一人自分と家族(家庭)を守ることではないだろうか。
わたしはそう、思ったのです。

100年前、臼井靈氣の開祖はぜんそくだった我が子の治療法を探し、僧侶となり山にこもったといわれています。
結果的に手にしたその療法は、どこでどうなったのか陸軍海軍の手に渡り、娘を救うはずだった開祖は、子どものそばにいることはなく、広島呉で対象の終わりにその命を終えていきます。
死因が脳卒中だったことが公表されたのは、実はこの10年弱の間のこと。
開祖がもしいま存命だったら、わたしはなぜそうされたのかを聴いてみたいのです。
もっとも、そういっている自分も家族の一人とは350キロを隔てたところで生活していますから、もしかしたらいまのわたしと同じように自らの志に従った結果が家族と離れて広島で命を終えることだったのかもしれません。
もしいま開祖が生きていたら、きっとこう言われると思うのです。

自分の大切な家のものを、病の脅威にさらさないためにその手でできうることをするために精進しなさい。
それが功徳というものです。

家庭内療法士の育成を、数年ぶりで再開します。
何度も失敗し、どれだけ薦めても理解されず、うまく育てることができなかった家庭内療法という概念。
でもそれは、時代が早かっただけかもしれないし、ある意味医療が人間を支配していたからかもしれない。
人間が医療のコントロールを失いかけているいま、わたしたちができる最善は自分と自分の大切な家族の健康を自らの手で可能な限りコントロールすることではないかと思っています。

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