音声サービス、どこまでいっても「動画」と比べられる問題について【声の履歴書 Vol.84】
こんにちは。Voicy代表の緒方です。
この「声の履歴書」という連載は、Voicyがこれまで歩んできた道のりについて創業者の私があれこれ語っていこうというシリーズです。よかったらマガジンをフォローしてくれると嬉しいです。
さて、Voicyというサービスを運営していると、「動画に勝つんですか?」とか、「音声の世界になるんですか?」とか、「よく勝負に出ましたね」とか、いろいろと言われますし、何かと動画と比較されがちです。
もしかしたら音声サービスあるあるなのかもしれません。今日はそんな話です。
僕も動画はすごく見ています。
世の中の人から見ると、「緒方は動画反対論者で、音声信者なんじゃないか?」と思われがちなんですが、当たり前ですけど、何のことはなく、僕も動画はすごく見ています。
もちろん、いまは音声よりも動画のマーケットのほうが圧倒的に大きいこともわかっていますし、小さい子どもは目で見ないとわからないですし、動画のほうが訴求度が高いことも、重々承知しています。
動画というものの世の中に対する訴求度や規模感については、率直に言って「すごく羨ましいな」と思っています。
それはありつつも、でも、僕らが一般的なコミュニケーションの中で動画を使うことはなかなかないですよね。LINEなんかでも、いまだに声で話すか、テキストを使っていて、わざわざ画面付きの通話を繋いで伝え合う人はあまりいないです。
発信者からすると、わざわざ動画まで撮ることはすごくコストが高いんです。もちろん見る人からすれば動画の方が訴求力が高いということはすごくわかっているんですけれども、「発信する人からしたら、絶対に声のほうが楽だろう」と思っていますし、そこが音声の価値だろうとも思っています。
話を「聞けない」人が出てきている?
さらに聞くところによると、最近の若い子たちのなかには、動画をひたすら見続けることばかりに慣れてしまい、「話が聞けない」という状態になっている子もいるそうです。とあるニュースでも、「ラジオが聞き取れません」とか、「人の話が聞けません」という人の話を見かけました。
というわけで、Voicyの立ち位置として、すごく逆風の中からスタートしていることは重々承知をしています。
だからどうやっても「音声はウハウハです」とか、「これからすごく来ます!」みたいな話ではないということです。Web3.0やメタバースみたいに、「ここがキャッシュポイントだ」「ここが金脈だ」みたいなことは、何も思っていないんです。
ただし、先程も言ったように、コミュニケーションは声がメインになっていますし、声で発信することが楽なのであれば、そこにフィットする人は継続的に出てくるはずなんです。。そして、そういう人が出てくると、「音声だからこそのコンテンツ」もたくさん生まれると思います。
最近では、「ながらで何かを取得したい」という人もすごく増えてきて、じわじわと「音声のほうがいい」とか、もしくは「音声でも十分」という人も増えてきました。
まだまだ世の中には、「動画にはないけれど、音声だからこそ価値がある」というタイプのコンテンツに触れている人は少ないです。そこで僕らがしっかりと「音声だからこそ必要なんだ」とか、「音声だからこそ、このコンテンツがあるんだ」とか、「音声だからこそ、この消費スタイルができるんだ」と伝えていきたい。
あと5年くらいしたら、きっとそういう人やコンテンツ群が、人々の文化に浸透しているんじゃないかな、ということを信じてやっているわけです。
ショート動画は最大の発明
いまはみんな、家に帰ったらすぐにYouTubeをつけますよね。そういう生活を見ていると、「見る」ということに関しては、動画はすごく強いので、相変わらず羨ましいな、と思います。
一番羨ましいこと。それは「ショート動画」が発見されたことです。あの短さで伝わると、すごく簡単に拡散していくし、すごく簡単に見てもらえるということもわかっています。
そこで僕らも、「じゃあ、ショート音声だ」っていくつもつくってみたんですけれど、これが全然刺さらないんです。
ショート音声とは何かというと、たとえば15秒で聞ける音声コンテンツなんですけれど、なかなか刺さらないです。音声では15秒くらいの短尺に情報を詰め込むのがすごく大変なんです。
動画の場合は、はじめの2秒でだいたいの方向性がわかる。どんな人が出ていて、何をしようとしているのかも見れば伝わる。だから短尺にもすごく簡単に対応できました。要は、動画の場合はパッと見たら、「あ、この子かわいいね」ってわかるんです。ですから、相変わらず、動画はすごく羨ましいです。
短尺でどんどん音声が切り替わっても、何が何だかわからないですし、まず、誰が話しているかもわかりません。
動画と音声は棲み分けながら共存する
音声のほうが気軽につくれるけれど、環境や周辺情報を載せることができないので、情報を付加しにくい、ということですね。メインで伝えたいことだけを伝えるのであれば音声で全然いいんだけれど、それをよりエンタメにしていこうと思うと、いろいろな周辺情報が必要になるんです。
TikTokも言ってしまえば、別にダンスが上手いとか下手とかじゃなくて、かわいい子がかわいい動きをしていることに意味があるじゃないですか。
なので、エロやアクションや暴力といった、本能に直結するような刺激を表現するのが、音声はすごく苦手です。
ということは、逆に、そういうものに疲れてしまった人には音声のほうがいいでしょうね。そういう人たちはけっこう出てきていると思います。ちょっと疲れますよね。
動画は羨ましいけれど、動画だけが取っていたパイから、音声が少しずつ削り取っていくでしょう。海外ではすでに音声がある程度のポジションを取っているので、「動画」と「音声」というものは棲み分けながら共存していると思います。
「音声が羨ましい」と言われる世界へ
日本でも、スマートスピーカーやワイヤレスイヤホンがたくさん出てきて、忙しい人が「合間にでも発信したい」と考え始めたり、「ながらで聞こう」という人の文化がどんどん根付いていくといいな、と思っています。
これは何度も言っているんですが、音声ならば忙しい人でも発信できる。そうすると、もっと本質的な発信が増えてくる。それを聞く人だって忙しくしている「ながら消費」の人かもしれない。
忙しい人にリーチできるのが音声コンテンツ。そうなると、広告単価とかも上がりそうですよね。いつかは他のサービスをつくっている人から「音声が羨ましい」なんて言われるような世界をつくっていきたいと思っています。
ーー最後まで読んでいただきありがとうございました。
声の編集後記
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