見出し画像

感謝①

この「感謝」というタイトルで入部前から監督を降りる至にるまでを振り返っていきたいと思います。結構長くはなりますがお付き合いください。

私は高校卒業をし、1年間の浪人を得て、日本大学に入学しました。

高校卒業時、野球の指導者を目指していたことから大学でもとにかくレベルを落としてでも野球をしたい。(選手として)と考えていました。ですが、浪人することになり、1年後に大学で野球をするとしてもこの1年間のブランクから現役復帰で本気で野球をすることは難しいと考えていました。

ただ現役も浪人時代も「目標地点は指導者」であることは変わりませんでした。野球がプレーできないとなっても、現役として選手でできないなら選手以外の立場でこの大学時代はしっかりいろんな野球をみたい、学たいと考ええるようになります。そして調べていく、考えていく中で、大学野球には選手だけではなく裏方・学生コーチという役職自体が存在することを見つけ「これだ」と思って志望校=チーム探しをしていました。

でもその中でも選手としても選手以外の形でも大学の硬式野球部はさすがに手に触れることができませんでした。各都道府県の猛者が推薦で集まるからというイメージで絶対無理と考えていたからです。単純に自信がなかったのでしょう。あとは自分のペースでできる自信も知識もハートの強さもすべてがなかったから。「でも軟式なら1ランク落としてできるかな」という愚かで失礼な理由で軟式野球部を中心にチーム・大学を探していました。

そして浪人開始時期、志望をしていた法政大学とその法政大学軟式野球部が2020年4月から学生コーチを募集し始めたのです。現役の時は選手として志していた法政大学軟式野球部が「学生コーチ制」を導入したことは浪人終了後に現役復帰は諦めた自分にとっては最高の朗報でした。当時もう絶対に「ここにいくしかない」と考え、勉強をしたのを覚えています。

結果、合格できずご縁あった日本大学に入学することになりました。「法政でできないなら一緒にやる可能性のある日本大学の軟式野球部に」とすぐに日本大学の軟式野球部にをさがしました。そしてそこで法政大学であったように「学生コーチ」などになろうと考えていました。

ですが、、まず「学生コーチ」が…という前に

俗にいう「日本大学体育会軟式野球部」は存在せず。軟式野球部は日本大学の中では学部ごとに存在していたのです。基本的には各学部ごとに「~学部軟式野球部」というネームはあったのですが、どうも考えていたような日本大学のNIHONのユニホームで、体育会っぽく、リーグ戦もあって、本気(大学生風に言うとガチの・・・)雰囲気のチームがなかなか見つかりません。大半が「軟式野球サークル名(○○学部軟式野球部)」という形でサークル学内戦用で軟式野球部と謳っていた感じであったのです。

不安な思いをしながら、全学部の軟式野球部をかたっぱしに調べ、最後に経済学部軟式野球部にあたりました。今のチームです。そのチームのインスタ・Twitter(今で言うX)で戦績・写真・動画をかたっぱしに探し、まずユニホームにはNIHONマークある、そしてリーグ戦もある、全国大会も出場していると書いてあったことから、その野球部にすぐ他学部でも入部可能か(私は文理学部生ではあるが、経済学部軟式野球部に籍を残すことは可能なのか)確認をとり、大丈夫であったのでオンライン説明会(コロナの時期)やらに「ここならガチでやってもいけるかも?」とりあえず入部を決めお世話になることになりました。

これが浪人後、大学という大海に放たれた自分の最初の出会いでした。

感謝②へ続く・・・・

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?