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おっさんは如何にして心配するのを止めてハーレーと蕎麦を愛するようになったか

英国のロックダウン下で、俺は「半リタイア」となってしまい、この”突然○○を始める病”が俺にも起きた。

これを読んでいる人には、なんでそんなものが起きるのかわからない人もいるだろう。

よって、そのときの自分の精神はどうなったかを、もう少しわかるように時系列で伝えていきたいと思う。


ロックダウン開始時:これまでのローン返済だなも。

とにかく外に出られないのである。よって、家の中でできることしかない。

だから家の中を徹底的に掃除して、いらんものはコメ兵に...ではなく、片付けまくった。修理もしまくった。庭もきれいにしまくった。

これはたまっている借金を返す感じに近い。

そして…結局、ほとんどやることがなくなってしまうわけである。


1か月後:自己嫌悪な時期

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そして精神的ローンを返済すると、自分の好きなことを出来るということで、ゲームを片っ端からやり、Kindleでダウンロードしまくり、ネットフリックスやアマゾン・プライムで、好きなものを観まくるという行動にでる。しかもテレビでは、スポーツの過去の名勝負をやりまくっているからなおさらだ。

そこで俺は「こりゃ数か月やることあるわい!」と呑気に楽しんでいたが、日に日に、そのモチベーションは下がっていく。

自分でも驚いたが、実は俺は映画とかゲームとかスポーツとか、そんな好きじゃないんじゃないか、と思うようになってくる。とにかく消費してボーっとしている自分が嫌になってくるのである。

ただただ、時間を潰すだけに生きてるような、そんな感じすらしてくる。


2-3か月後:過去にやりたかったことを探す

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で、自分の生きている証として、なにかをしたくなるわけだが、全く新しいなにかというのは、そう簡単に思いつかないわけである。

そこで出てくるのが、過去にやりたかったことだ。

過去と言っても、数年前とかそういうレベルじゃなくて、自分でまともに金を稼いでなかったころにできなかったことである。

プラモをやろうとしたり、やたらファミコンやメガドラ時代のゲームをやったり、スターウォーズと猿の惑星とマクロスとかガンダムをちゃんと全部一気に観たくなったりした。

そしてたまたま、俺は「そういや、スーパー・ハッカーになりたかったぞ」となんかで思い出し、俺はコーディング方面に走ったのは、前回書いた通りである。


ここで顔を出すのは、ピュアな★バカだったころの憧れの世界だ。ここでの”異性にモテたい率”は急激に落ちると思われる。なぜなら自分のことで一杯一杯で、そんな他人からのどうこうこうは、正直どうでもよくなるからだ。

おそらくだが、オッサンやオカンには、童貞時代に憧れた大学というのがあって、それぞれ学部と学科に進学するのだ。

俺の中で”童貞”はスピード感あふれるバカというジェンダーフリーな概念だから、オカンにも適応される。

きっとオッサンの学部はこんな感じである。

・中型・大型バイクに乗る学部
・アウトドア学部
・DIY学部
などなど。

そこにおそらく
男の手料理学部>麺打ち学科
があるのではないか。

ちなみに英国の場合は、オカンには

・アート学部>手芸学科
・手料理学部>パン焼き学科
・体育学部>ズンバ学科

みたいなのがあるらしい。英国では特にパン焼き学科は人気が高く、小麦粉を買うのが大変だったのだ。

よって、俺はこの辺の経験から、

「麺打ちおっさん、アレは過去をディグって、渋い板さんとか、包丁人味兵とか大好きだった人々が手を出すのだろう」

と考えた。

カレー学科の学生も多いと思うが、あれはブラックカレーのせいだ、カタをつけていたわけだが、どうもそれだけではないのがその後判明する。

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4か月後:三丁目の夕日病の発見

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俺はある日、ebayに出品されている大工道具を見て、猛烈にムラムラすると共に、心地よさを思い出したのである。

じつは俺の親父は大工で、この辺のツールの手触りや材木の匂いは、小学生とかそれ以前の思い出になる。

俺のクソ親父はDVとかするトンデモないサイコ野郎だったので、お袋はとっとと離婚したのだが、それでもその離婚以前の、かすかに覚えている「家族」のあたたかさとか、イイことだけを思い出してしまったのである。


それからというもの、俺は手斧だの鉋だのノミだのを、Screwfix*とか古道具屋で購入しては、庭にほおってある丸太や、オフィスに捨ててある木材のクレートを利用して、塀を直すとかしてしまうようになってしまった。

ScrewfixとかToolstationは、英国男子はかならず行く羽目になる大工道具屋。カタログから番号を記入してその紙を渡すと、倉庫から店員が持ってきてくれる。さすがの英国なのは、朝7時からやっているので、ヤバいときにめっちゃ助かる

俺の例から考えると、麺打ちするおっさんというのは、もちろん職人に対する憧れもある一方で、実はうどんとか蕎麦に、ものすごくよい思い出がある人々なのではないか。

・はじめて奥さんと住んだアパートで2人で最初に作ったのがうどん
・蕎麦屋の女子店員に恋をしていた、甘酸っぱい思い出
・警察沙汰になったとき、引き取りに来た親父が黙って連れてってくれた蕎麦屋

などなどだ。なんか「三丁目の夕日」みたいなだな。まあ、それはそのアイテムをきっかけにした、ノスタルジーである。


過去をディグって未来を生きる

よく考えると、リタイア寸前の麺打ちを始めるおっさんが

「このオレが、旧来然とした蕎麦ってヤツを変えてやるぜ!
 これがメキシコ仕込みのルチャ蕎麦リブレだぜええ!ケケケ!

とか、そんな鉄鍋のジャン!みたいなことを言うのは想像しづらい。

ハーレーも蕎麦も、その点である意味似ている。どちらも誰も「ECOで扱いやすいハーレー」や「新感覚★蕎麦」を望んでいない、ある意味永遠に不変であってほしいものからだ。ガーデニングもそうかもしれんけどな。


俺がこの病気にかかる前に認識を間違っていたのは、「全く新しく思いついて突然始めるのだろう」と思ってたところである。中二病のオッサン版みたいな感じに。

しかし、実際は実は、自分の過去のピースを埋める作業に近かった。おそらくだが、なるべく当時のままで。だから麺打ちおっさんはきっと作務衣だし、米国のおっさんはテスラじゃなくてハーレーなのだ。俺も大工道具はビンテージを探してしまう。

自分の未来を過去で埋めていく、というのは、なんだか理屈に合わないことをしているなあと自分でも思うのだが、それがおっさんならではの老獪さ、なのかもしれない。

なにせ新しいことをやるのはパワーを使うわけで、そのあたりの効率の面ではそれでいいんだろうと思う。



でも、ちょっと自分で嫌なのは、あれだけ忌み嫌っていた親父の職人の血が流れているのを感じてしまうわけである。

くそっ!

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