「君たちはどう生きるか」を観た

 いまさら「君たちはどう生きるか」を観た。大学生の私にとっては、映画館で宮崎(﨑)駿作品を観たのは初めてだった。今映画館から帰ってきて、家でしばらくぼうっと映画について考えていたところで、何もまとまっていないし、気の利いたことは言えないだろうけれど、ネット上にある考察や解釈をまったく見る前での自分の感想をここに残したい。ネット上でそういったものを見てしまったら、そっちに自分の感想が寄って行ってしまうから。
 まず一言で言うと、「分からない」ということになる。でもこの分からないというのは、意味が分からないと切り捨ててしまうよなものではなくて、自分の中でまだ消化しきれていないだけで、分かることはできるだろうというもの。いや、分かる必要もないのかもしれない。私には、この作品は宮崎駿の脳内のイメージ、想像をそのままアニメ化したもののように思えた。まるで夢の様に、一貫した流れなどはないものではあったけれど、なんとなく私は共感を持ちながら見た。言葉にはできないけれど、そういう風景が、発想が宮崎駿の頭の中にはあったんだということを、実感をもって感じられたし、自分の中にもそれはあるような気がした。非常に恥ずかしいというか「何様だ」というようなことではあるが、私と同族なのかも、なんて思ってしまった。私ごときが申し訳ないが。
 おそらくあの作品は、多くのメタファーで構成されていて、そしてそのメタファーの数々は意識的なものと、無意識的というか自然にそうなったものがある気がする。私には、その一つ一つを紐解いていくような知識も気力も脳みそもないが、なんとなく感じたのは宮崎駿の創作に対する思い、そして現実に対する考えのようなものがあったと思う。積み木が劇中ではとても印象的なもので、あれはおそらく宮崎駿の作品の世界を表しているのだと思うが、それと同時に、この世界も暗喩しているのだと思う。あの、この世界の”前”の世界に、大叔父という存在を置くことで、創作と現実を意図的に混同させたような表現をしているのだと思う。あの大叔父は宮崎駿であり、そして、私たちであり、この世界なのであろう。
 この作品のメッセージは、強いて言えば「(宮崎駿の)空想の世界は限界を迎えた。若者は苦しい現実を生きて行け」というような方向性だとは思うが、このような言葉にしてしまったら、零れ落ちてしまう部分があまりにも大きい。この映画は、メッセージを伝えようとするようなものではないと思う。これは、メッセージというよりも宮崎駿の「考え方」で、それが作品ににじみ出てしまっているようなものだと思う。今回のような脳内をそのまま映像化したようなものだから、このようなことになったのかもしれない。
 また、全体を通して思ったのは、宮崎駿が若いというかフレッシュということだ。これまた、私のような若輩者が非常に失礼ではあるが、自分と同じような場所に視点に宮崎駿はいると思った。もっと今後の宮崎駿のジブリ作品を観たい。そう思うような、遺作と世間では言われていたりもするが、集大成的な「遺作」的な姿も持ちつつ、まるでデビュー作のようなものも感じた。とにかく宮崎駿は好きにやったんだなと、自由にやったんだなと思った。出し切ったんだろうなと思った。このような作品を観れてよかった、宮崎駿がこの作品を作ろうと思ってくれてよかった、そう感じた。
 この映画は、「面白い」という言葉が適切かわからない、「好き」という言葉の方が近いような気もする。とにかく、一生私の心の中に残り続けるであろう作品であることは、映画を見終わった瞬間から、直観的に分かった。
 「君たちはどう生きるか」は、私の中ではそんな作品だった。

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