休職日記53
今日は朝7時に起きられた。
最近9時まで寝ていたのに、なんでだろう。
思い当たる節は、何個かある。
夜中にトイレに起きるのはいつものことなのだけれど、それに加えて今日は、朝方4時くらいに、左の鼻の穴から鼻水がつー、と垂れて、目が覚めた。
あれ、鼻血?と思うくらいさらさらと、鼻水が垂れたもんだから、朝とは言え寝ぼけ眼でびっくりした。
いやあ、花粉症ですね。
今日も何回鼻を噛んだかわからない。
だけれども、我が家の花粉症の市販薬はあと2錠しかなかった。
朝の時点であと2錠、だったので、同居人氏たちのために飲むのはやめておいた。
昼間にドラッグストアに行こうかな、と思っていたけれど、結局外に出ないまま、今日1日が終わった。
明日は週に1回の通院日だから、明日買えばいいかな、という気持ちが、今日の外出の歯止めになったんだと思う。
最近、調子がいいのか悪いのか、よくわからない。
でも今は、とても苦しい気持ちが喉元まで迫り上がってきており、それを紛らわすためにこうやって今日を振り返っている。
同居人氏たちはやさしい。そして毎日働いていて、すごい。みんなすごい。子どもがいたり、働いたり、家のことをしたり、なんだか世界が遠く感じる。
わたし、居る意味あるのかな、わたし、生きてる意味あるのかな、とか考え出すのだけれど、それって、もう何世紀も前から、わたしよりうんと頭の良い哲学者のひとたちが考えに考えても答えがわからないことなのだから、今のわたしが考えてわかるわけもないのだ。
だから、こういうときは、考えることをやめる。ストップする。惰性でやっているスマホのパズルゲームを延々とする。
買った本が読めない。読めない本がたまってゆく。テレビもアニメも動画も音楽も聴きたくない。ラジオも、散歩に行ける日は聞くけれど、家にいる時は聞きたくない。読めるのは、絵本と、児童書。これならこころに負荷がかからない感じがする。自分がいまつくりたい、と思えるものも、こういう、こどもにむけたお話。
こころが壊れてから、どれくらい経つのか、もうよくわからなくなってきた。
でも今日も、朝のルーティン、食器洗いと洗濯物干しと掃除機がけは、できた。夕ごはんも作れた。
だけれどいま、猛烈に、かなしい。
わたしはいったい、なんなんだろう。
なんなんだろうったって、考えてもわからないんだけれど。
生きてるだけでいい、っていうのは、わたしには当てはまらないんじゃないか、と、思っている。
なぜだかはわからない。みんな頑張ってるのに、わたしは何も頑張っていないし、頑張ることができない。
それはつまり、働きたいって思ってるってことなんだろうか。
働けない自分が、情けないんだろうか。
大人3人で暮らしている家の家事なんて、お子さんがいるご家庭に比べたら、たいしたことじゃないように感じてしまう。
要は、手持ち無沙汰なのか。
それだったらさっさと職場に戻ればいい。
休職なんてしてないで、早く働けばいい。
と、ここまで考えて、考えることを、強制的にストップする。
もう自分を責めはじめているからだ。責めて責めて責めて、傷つけようとしている。
わたしはこれからどうなるんだろう。わたしはこれからどうしたいんだろう。何も思い浮かばない。何も考えることが、できない。
こころは、治るんだろうか。
治るんじゃなくて、付き合っていくんだろうか。
付き合っていきながら、働くことはできるんだろうか。
働かないとして、わたしは、たのしく生きてゆくことができるんだろうか。
そう、たのしく。
たのしく生きてゆくには、どうしたら、どういう環境に身を置いたら、いいんだろうか。
たのしく生きていきたい。
たのしく、元気に、生きていきたい。
それだけのことが、とてもとても、遠い。
投げ銭?みたいなことなのかな? お金をこの池になげると、わたしがちょっとおいしい牛乳を飲めます。ありがたーい