未来への手紙(日記49)
最近、5年日記を再開している。
今年の夏頃に買って、2、3日書いて、やめてしまっていたやつ。
ふと思い立って、先々週くらいから、もう一度、書き始めた。
毎日書く、というスタイルがほんとうは良いのだろうけど、なかなか毎日書くことはできなくて、それならば、と、開き直って、2、3日まとめて書くスタイルにしたら、これがなかなか、おもしろい。
あの日は何をしていたっけ、と、数日前の自分の行動に思いを馳せて、文字をつづっているうちに、あの日はこんなことも考えていたな、と、気持ちが立ち現れてきて、それをとつとつと、万年筆でページに綴る。
1日、1日と書き進めていくうちに、今日にたどり着いて、また、空白のページを迎える。
5年日記だから、来年も、再来年もその先も、同じ日付は同じページに書く仕様になっているから、書いているとまるで、未来の自分へ手紙を書いているような気持ちになってくる。
来年の自分が、再来年の自分が、そしてその先の自分が、今日のこの日のページを見返したら、どんな気持ちになるのかな、今日のこの日のことを覚えているのかな、と、思いながら、一文字一文字、ゆっくり書いていく。
それはなんだか贅沢な時間な気がして、最近この、「5年日記を書く時間」が、すこし楽しみな自分が、いる。
今日も、月曜日から今日までのことを、思い出しながら日記に書いた。
いやなことも、うれしいことも、なんでもないことも、切り取って残しておくと、それが大事な「手紙」になる。
今日は、診察で先生に言われた一言を、ちゃんとメモした。
「疲れたなと思ったり、苦手だなと思ったときに、自分は何に疲れているのか、何が苦手だと思っているのか、掘り下げて考えるクセを、今のうちにつけておくと良いですよ。」
そう言われて、わたしは、自分のことを、ものごとをなるべく考える方だと思っていたけれど、自分の気持ちに対しては、無頓着なところがあるのかもしれないなあ、と思った。
日記には、そんな自分の気持ちも、書き残しておいた。
同居人氏1に先生から言われたことや、自分って自分の気持ちに無頓着なのかも、と話すと、
そうだよ!いままで気づいてなかったの?
と、けらけらと、笑われた。
笑ってくれたおかげで、気が楽になった。
今は自分の気持ちに無頓着だけれども、noteや、5年日記で、未来の自分へ手紙をこつこつ書いてゆくことで、みえるものがあるかもしれない。
どんなものがみえるんだろうなあと、今からすこし、たのしみにしている。
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