見出し画像

復職日記36

もうだめだ。


この言葉が頭の中でチカチカしだしたら、不調のサイン。


昨日は仕事中にこの言葉がちりちり、チカチカし出して、あれ、おかしいな、なんで?と思っているうちに、あれよあれよという間にわたしの中の小さなわたしが暴れ出す。


午前中、小さな利用者さんとニコニコでお話しできたじゃない。
午後、探し物をしていた利用者さんを、ちゃんと案内できたじゃない。


それでも消えない、「もうだめだ」のサイン。


帰り道、衝動的にケーキ屋さんに寄ってしこたまケーキを買い、帰路を急ぐ。
小雨とも呼べないような小雨が降っていたけど、ダウンのフードを深くかぶって早足で歩く。


街の音が耳に痛い。いつもはそんなことないのに、「もうだめだ」になると、全部の音が敵のように感じて、苦しかった。


だめだ、だめだ、もうだめだ。
小雨に紛れてフードの下で泣きながら帰った。


玄関をあけて、ケーキの箱をダイニングに置いて、自分の部屋に着いて荷物を降ろした途端、大泣きした。



うわあん、うわあん、もういやだ、ぜんぶぜんぶいやだ、いやだよ!いやだいやだいやだ!



わたしの中の小さなわたしが、止まらない。


家にいた同居人氏1、2がそれぞれ、あらあら、どうしたどうした、と寄ってきてくれる。
同居人氏1は大爆笑しながらハグしてくれる。
同居人氏2は、あらあらあらあら、と言っている。
それでも止まらない。
いやだいやだいやだ、全部いやだ、つかれた、いやだ!


同居人氏1の腕の中で、だらだら鼻水を垂らしながら、泣きに泣いた。久しぶりだった。


わたしがいくら泣いても喚いても、2人は動じないでいてくれる。
だから、帰路の最中から、ほんとうは思っていたのだ。
家に帰ったら泣くんだ。
もういやだって泣くんだ。
泣いて泣いて、思いっきり泣くんだ。


そうして、やはり2人は動じないでいてくれて、わたしは思い切り泣いた。泣いて、思っていた。



ほんとうは、むかしむかし、こういうことがしたかったんだろうなあ。
こういうことを、おうちで、したかったんだろうなあ。

でも、出来なかった。
だけど今は、2人が居てくれて、わたしが大泣きしても笑ってくれるから、泣ける。


今日いちにち、お休みだったのだけれど、何もする気にならなくて、ほんとうにずっと眠っていた。眠っているあいだは、こころもあたまも休ませることができるから、ちゃんとした大人で居なくていいから、ただひたすらに、眠った。


今回の爆発大泣きの原因は、たぶん、独居の祖母のことで、お母さんやお父さんと密に連絡を取っていたこと。
わたしは、お母さんやお父さんの前では、絶対に、「しっかり者の長女」になってしまう。
こんな風に、定期的に大泣きしたり、服薬したりしているのに、どの口が言うのか自分でもわからないけれど、力になりたい、と、本気で思ってしまう。


お母さんのためなら。お父さんのためなら。おばあちゃんのためなら。
わたしができることは、全部したい。


そう思って密に連絡を取っていた反動が、出たのだと思う。


わたしの中の小さなわたしが言う。
できないよ、そんなことできない!無理だよ、もう疲れたよ、はたらくだけで許してよ!


でも一方で、もうわたしは、35歳の、立派な「大人」なのだ。
だから祖母の老いにも、それに対するお母さんお父さんの逡巡にも、向き合う必要があるのだ。


幸い、独居の祖母のもろもろは、大事には至らなそうで、様子を見ようということで、ひと段落した。それで多分安心して、抑え込んでいた小さなわたしが、暴れているのだと、思う。


今日いちにち、天井をみつめて、眠って、天井を見つめていた。
明日は仕事。ちゃんと行きたいから、今日はこれでいいって、自分に言ってあげなくちゃいけない。


まだ涙が出る。出るなら出るで、仕方なし。泣けばいいよ。2人にありがとうって言おうね。それからまた泣けばいいよ。今日はこどものままで、いいよ。

投げ銭?みたいなことなのかな? お金をこの池になげると、わたしがちょっとおいしい牛乳を飲めます。ありがたーい