休職日記
昨日は朝から珍しく出かけた一日だった。
同居人1が朝から外出する用事があったため、それが終わるのにあわせて、最寄駅で待ち合わせ。
駅ビルにあるスタバに直行し、新作のダブル抹茶ティーラテを食す。同居人1は安定の抹茶フラペチーノ。
10時に開店してほぼすぐに入店したのに、すでに店内はそれなりに賑わっていた。
資格の勉強をする人、読書する人、お子さん連れのご家族、などなどに混じって、2人横並びになりながらとりとめのない話をする。
最近のことや、昔のことを振り返ってぽつぽつ話をしていたら、同居人氏の目から一筋の涙。
えっ、と驚くと、なんかわかんないけど涙出てきた、とのこと。紙ナプキンもハンカチもないため、自分の袖口で涙を拭う。そういうときもあるよね。疲れてるのかもしれないね、などと言い合う。
涙の抹茶フラペチーノを飲み終えて、いざ、本日の目的である家電量販店へ。
といっても、スタバとさほど離れていないところにあるので、早々に到着。
冷蔵庫が半壊しているのである。
半壊、というのは、冷蔵室はかろうじて大丈夫だけれど、冷凍庫が死んでいる、という意味。
もはや冷蔵室さえ、いつ、「おまえはすでにしんでいる」状態になってもおかしくないので、お店にやってきたというわけだ。
我が家は築年数が古く、冷蔵庫の置く場所も狭い。シンクと壁のあいだにぽっかり空間があって、そこに冷蔵庫を置くしか考えられないっしょ、という造り。
そこに置ける、かつ、今よりもよさげなもの、ということで、2人でうんうん唸る。
同居人氏が気に入ったものがあったのだけれど、それは、置くスペースに対して幅がぴったり(ほんとうにほぼぴったり)で、一体これはうちに入るのか、入らないのか、と相談し合う。
家電量販店で相談しあっていると、すかさず現れるのが、売り場担当の店員の方だ。これはお決まりのようなもの。鬱人(うつんちゅ)のわたしは内心怯えながら、かくかくしかじか、この冷蔵庫はうちに入るでしょうか、と、店員の方に問う。すると、
設置する時に、冷蔵庫をぐいっと空いたスペースに入れると思うんですけど、それだと指が入らないですね。
と一言。
そうだった。
冷蔵庫をぐっ、と掴んで動かすわけだから、指の入るスペースを考慮せねばならなかった。幅がぴったり過ぎるということは、お相撲さんよろしく、はっけよいのこった、みたいに、冷蔵庫を前からぐいぐい押さなければいけない。それは確かに危険である。それで動くのはまだよいとして、後ろに倒れたりしたら元も子もないし、そもそもそれだと、置いたはいいけどどうやって出すん、って話である。
我々は心底納得して、結局、幅に余裕があって、今よりも少し容量の大きいものを購入した。
ちなみに、新しく購入した冷蔵庫は、容量としては「1人用」の容量だとのこと。世間一般の人は、こんな立派な冷蔵庫を1人用として使っていたのか、と、うつんちゅのわたしはまたも慄いた。
でも仕方ない。我が家の置くスペースと諸所の条件(冷蔵庫の上に電子レンジを置きたい、など)を組み合わせると、この冷蔵庫が最適解なのだった。
わたしたちにしては大きな買い物をして、晴れ晴れと店を後にする。
同居人氏も、たまには知らん人と話すのもいいもんだね、脳が活性化されたよ、と上機嫌だった。
うつんちゅのわたしも、それは感じていたこと。
やっぱり、適度な外出による刺激というのは、からだにとって大事なんだなあと感じた1日だった。
スタバのダブル抹茶ティーラテは、おいしかった。
盛りのよいお姉さんで、たぷたぷに注いでくれたのも、よかった。
これからも、元気があれば、なるべく街に出たいなあと、思った。
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