見出し画像

支える(日記80)

土曜日の早朝、同居人氏1が痛みで叫ぶ声で目が覚めた。


慌てて同居人氏2とともに、同居人氏1に駆け寄る。


同居人氏2にしがみついて、痛みにもだえる同居人氏1。


わたしは薬を用意して、薬を飲ませた。


薬を飲んですぐは、薬が効かないので、とにかく動き回る同居人氏1。


泣きながら歩き回る同居人氏1を、ただ見守ることしかできず、交代で背中をさすったり、抱きしめたりしながら、落ち着くのを待った。



薬を飲んで30分後、薬が効いてきて、なんとか落ち着いた同居人氏1。



もう大丈夫、と言うので、ひとまずわたしはもう一度横になった。


わたしも疲れているのか、あっという間に眠ってしまい、次に目が覚めると、同居人氏1が、お母さんと電話しながら、涙を流していた。



辛い気持ちを打ち明けられるのはよいことだ、と思い、そっとしておいた。



昼間、薬のおかげで症状が落ち着き、笑顔も見られた同居人氏1。


それでもやはり、薬が切れてくるころに発作が起きてしまい、午後3時頃、また、痛みで叫びはじめた。


もう一度薬を飲ませて、朝と同じように、落ち着くのを見守る。


今回は30分かからずに発作が落ち着き、我を取り戻していた。



3人で、発作の起きる間隔、薬を飲むタイミングなどを話し合った。


夜、また発作が起きるのが怖い、眠るのが怖いと、うずくまる同居人氏1の、背中をさすって、そばにいた。


薬を飲むと12時間は効く様子なので、眠る直前に飲もうという話をし、明け方目が覚めなくて済むように、眠る時間をなるべく遅くにずらすようにしようとなり、23時頃まで、一緒に起きていた。



他愛ない動画を一緒に観ながら笑って、23時をまわったころ、落ち着いてきた同居人氏1の姿を見届けて、わたしは寝床についた。



そして今日、朝6時半に目が覚めると、同居人氏1は、ほんとうにほっとした様子で、朝まで眠れた、ほんとうによかった、ほんとうに安心した、と、笑ってくれた。


わたしと同居人氏2も、ほんとうによかったね、よくがんばったね、と、手を取り合って3人でよろこんだ。



同居人氏1の調子が良さそうだったので、さっき3人で都知事選の投票に行き、帰りにコンビニで朝ごはんを買って、おいしいね、おいしいね、と言い合いながら、ごはんを食べた。



なんでもない瞬間というのは、こんなにも尊いものなんだということを、改めて、知った。



今日も、明日も、きちんと薬が効いて、同居人氏1が平和に過ごせますように。


もし再び痛みが出てしまっても、例えばそれが長期にわたって、同居人氏1がしばらく働けなくなっても、わたしと同居人氏2のふたりで、同居人氏1を支えよう。


今日も明日も、3人で笑って過ごせますように。


こうやって、支えて行こう。

投げ銭?みたいなことなのかな? お金をこの池になげると、わたしがちょっとおいしい牛乳を飲めます。ありがたーい