6月1日日記(日記74)
6月1日になった。
2024年が、折り返しなのだと思うと、時間が経つのは早いなあと、つい、当たり前の感想が口から出る。
でも、焦ってはいない。
2024年上半期は、自分にとって、いろんなことを経験できたから。
最近、人とお話するのは、たのしいことなのかもしれない、と、思えるようになってきた。
就労移行支援に通所して半年、やっと、まわりの方々と自然なコミュニケーションがとれるようになってきて、お昼休みに決まってお話をするおともだちもできて、なんだか、自分にとって、就労移行支援で過ごす時間の質感が、変わってきた。
いままでは、ひとりで目標に向かって、静かに、こつこつ、黙ってやる場所だった。
それはもちろん今でも基本にあるのだけれど、その合間合間の休憩時間に、他愛のない話をする。そうすると、ふしぎなことに、なんだか少し、息がしやすくなった。
場所に慣れるってこういうことで、「雑談する」ってこういうことで、通所開始したばかりのころは、あんなにできないと思っていたことが、いつのまにか、できるようになっている。
時間は、日薬だ。
焦ったり、みじめになったりしながらも、自分を信じて、ゆったりと構えてみたら、いつのまにかなるように、なっていた。
もちろん、なるようにならないことも、あるとは思う。なるようになるために、思いきり足掻くことをしないと、たどり着けないものごとだって、世の中にはたくさんある。
でも、少なくとも2024年上半期のわたしは、どちらかと言うと、じっと、待った。
自然な流れに身を任せて、日薬の力を信じて、目の前のことをひとつずつ片付けながら、待っていた。
自分のなかから、外へ向かう気持ちが出てくるタイミングを、待った。
そのタイミングが来たとき、まわりの方々が話しかけてくれるようになっていることに気がついて、少しずつおはなしを始めて、今がある。
コミュニケーションはつらいものだ、と思っていたのに、今のわたしは、まったく自然に、おはなしできるようになっている。
そうして昼間、いろんな経験をしたことを、夜に、同居人氏たちに聞いてもらう。
まるで小学生に戻ったみたいに、あのね、今日こんなことがあったよ、あんなこともあったよ、こんなことをはなしたよ、と、報告する。
すると同居人氏たちも、わたしは今日こんなことがあってね、だとか、こんなことに困ったんだよ、だとか、いろんな話をしてくれる。
わたしは、それが、嬉しくて、たのしい。
自分の気持ちにしか目が向けられなかった時間とは違うコミュニケーションが、そこにはある。
これから、人生ではじめての「就活」が始まるのだけれど、こうやって、まわりの方々と、同居人氏たちと言葉を交わしながら、はじめて経験することをひとつずつ、倒していきたい。
2024年6月1日、土曜日。
今日の東京は、晴れています。
雨があがった空から降り注ぐ、初夏の日差しを感じながら、今日のことを、書いておきます。
投げ銭?みたいなことなのかな? お金をこの池になげると、わたしがちょっとおいしい牛乳を飲めます。ありがたーい