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わたしの望み(日記46)


じぶんの要求っていうものは、ある?


診察室で、先生に、そう問われた。
ようきゅう、と、ちいさく唱えて、うーん、うーん、と、考え込んでしまった。


2週間ぶりの診察で、先生に、ずばり言われた。


○○さん(わたしのこと)は、わたしが答えやすいように、話をしてくれるでしょう。
それはたぶん、きっと、誰に対しても、そうしているんだと思うのね。
就労移行支援の事業所のひとたちにも、もしかして、そういう対応をしていない?
○○さんは、誰に対しても、嫌な思いをさせないように対応しているから、就労移行支援の支援員のひとたちも、もしかして、安心してしまって、このひとは大丈夫って、思われているかもしれないよ。
就労移行支援は、○○さんが「利用する」場所なの。
だから、もっと、○○さんが思っていること、不安でも、疑問でも、要望でも、伝えてみたら、どうかな。


ずばり、言われたとおりだなあ、と思った。


わたしは、「他人」と「自分」との境界が、うまくひけない。
気がついたら、そうなっていた。


誰かが誰かに怒られているのをみると、自分のことじゃないのに、自分が傷ついてしまう。
誰かが誰かのことを悪く言っていると、自分のことじゃないのに、自分が傷ついてしまう。
機嫌がわるいひとがいると、どうしても落ち着かなくなる。


ひとはひと、自分は自分、という線が引けないことで、誰かとおはなしをするときに、とっても慎重になるようになってしまった。


すごく意識して無理やりしているわけではないのだけれど、気がついたら、誰に対しても、せめて自分と話しているときは、嫌な思いをしてほしくないし、その場の環境が丸く収まるように、冷たくされるひとがひとりでも少なくなるように、あっちのひとにもこっちのひとにも、慎重に対応するようになっていた。


だから、仕事のことで難しくてついていけないとか、そういうことじゃなくて、長く勤めれば勤めるほど、そういう、「まわりへの気遣い」(勝手にわたしがやっていること)にほとほと疲れてしまって、仕事に行けなくなってしまう、ということがほとんどだった。


そういう、自分と他人との距離感みたいなもの、それを改善するには、「わたしはこうしたい、わたしはこれがいやだ、わたしはこれがすきだ」という、「要求」が大事なんだよ、と、言われた。


そうか、要求かあ、と、大事なことを教えてもらったと、こころに刻みながら、おうちに帰った。


そんなことを考えていた通院の日の翌日、就労移行支援に通所の予定だったのだけれど、どうしても気持ちが落ち込んでしまって、おうちから出られなかった。


仕方なく、朝、事業所に電話する。


申し訳ない、と思いつつ、自分の要求、ということばを胸に反芻して、変に嘘をつかず、ありのままを正直に伝えた。


気持ちが落ち込んでしまって家から出られない、と言うと、支援員のひとは、


からだが動くのであれば、よければ午後からいらっしゃいませんか。午後は誰もいないし、今のお気持ちをお聞かせいただくことで、なにかお手伝いができたらなあと思うのですが、いかがですか。


と、言ってくださった。


わたしは、おはなしを聞いてくださるんですか、と言って、午後に通所する約束をした。


午後からちゃんと行けるかなあと思いながら、午前中はぼんやりと眠って、時間になったので、支度をして、家を出た。


家を出られたことに、わたしが驚いた。


朝つらかったのに、いま、わたし、家の外に出られてるんだ、と思うと、少しずつ、気持ちが落ち着いていくのが、わかった。


事業所に到着すると、支援員の方が、おだやかに迎えてくださった。


面談室で、向かい合って、座る。
支援員の方は、


よく来てくださいましたね。
来てくださっただけで、今日はもう休んだことにはなりません。
どうか自分をほめてあげてください。


と、仰った。


わたしは、そうか、ちゃんと今こうして来られたんだ、だから、「休んでしまった」と思わなくてもいいんだ、と、はっとした。


それから1時間ほど、じっくりと今の自分の不安を聞いてもらった。


おはなしするときに、こころのなかで、「わたしの要求、わたしの望み」と、何度も唱えた。


相手を不快にさせないように、ではなくて、今の自分がどういうことが不安で、働くうえでどんなことが苦手で、いつも何につまづいてしまうのかを、訥々と、はなした。


支援員さんは、わたしの話を聞いたうえで、不安にひとつひとつ答えてくれて、案を出してくれたり、道筋を示してくれたりした。


そうしてしっかりと、「わたしの要求、わたしの望み」を伝えて、ことばを交わしたあとに残ったのは、恐れていたような結果じゃなくて、じんわりとあたたかくなるような心持ちだった。


これからも、誰かを傷つけてやる、と思うことはないけれど、こうやって、自分の要求を伝えることは、わるいことでもなんでもなくて、わたしもしていい行為なんだと、思えた。


お話を聞いてくださった支援員さんに、また来週お待ちしていますね、と言われて、はい、と答えられたことが、嬉しかった。


わたしの要求、わたしの望み。
少しずつ時間をかけて、このおまじないを、こころになじませてゆこうと、思った。


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