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原動力は責任感(復職日記47)

目の回るような忙しさだった、仕事始めの1/4から1/6の3連勤。
さらに最終日の1/6には、残業1時間というトリプルコンボ。


休んじゃうかもなあ、と、休み明け前から思っていたのに、なんのその。
3日間走り切って、疲れはしたけれど、達成感でじんわりした。


そのとき、ふと、ともするとわたしの原動力って、「責任感」なのではないか、と思われた。


実は仕事始めの1/4、いきなりコロナで3人お休み、というスタートだったのだ。


わたしの直属の上司もさすがに半泣きで、



おれ、なにかわるいことしたのかな…
天罰なの、これは…


と、欠勤3人+お正月休みにたまりにたまった返却本の山を前にして、ぼそりと呟いていた。



それを聞いて、わたしのなかの「責任感センサー」とでも言うべきものが発動した、気がする。



年末におばあちゃんのおうちを片付けに愛知に行ったときもそうだったのだけれど、どうやらわたしは、「責任感センサー」が発動すると、スイッチが切り替わるらしい。


年明けすぐ休んじゃうかもなあ、くらいに思っていたのに、3人コロナでしばらく欠勤、という状況を目の前にしたら、「これは休んでいる場合ではないぞ」と、スイッチが入ったようだった。


どうも、自分の力が必要とされている、という実感を持つと、ふだんなりを潜めていた自分の中の「底力」というやつが湧いてきて、ふつふつと、その場でできることをとにかくやろう、というモードに入るみたい。



よく考えると、昔からそうだったかもしれない。


「責任感センサー」が反応すると、スイッチがバチンと切り替わる。
何をすべきか、何をしないべきか、ここでいま、わたしの力が役に立つようにするにはどうすればいいか、そのことに、目の前のことに、物凄く注力する癖がある。


だけれど、その責任感センサーに突き動かされてるわたしの状態を『当然のこと』として周囲に捉えられはじめて、『この人は仕事ができる人』みたいなふうに思ってもらえるようになると、だんだん苦しくなってきて、最終的には、「ちがう、ほんとうはわたしは何にもできない普通になれない人間なんです、ごめんなさい、ごめんなさい」と、心の中で大泣きするハメになるのだった。


やればできる、ことがある。
だけれど、力の抜きどころが、わからない。
目の前で困難が生じていたら、そのためになぜか全力を出してしまう。
そしてそういう自分を嫌いじゃないのだけれど、最終的に息切れしてしまい、こころが壊れてしまう。


どうもわたしは、そのループを、行ったり来たりしているようだ。


だから年始からの3日間、3人欠勤&年明けのドタバタは、全力フルスロットル、という感じだった。
お休みの今日、ほとんど動けないかな、と思ったけれど、それが、そうでもなく、読書なんかしちゃったりできた。読書後、頭が燃えるように疲れたけれど、本が読める元気が残っているなんて、正直思ってもみなかった。


この、「責任感センサー」を、上手に扱えるようになりたいなあ、と思う。
上手に扱えるようになれれば、もう少し、生きていくことが、上手になれるかもしれない。


とにかく明日からの連勤も、燃え尽きないように注意しつつ、人員不足の職場をなんとか支える力のひとつになれたらいいな、と思った。
燃え尽き注意、と、心の中で唱えておく。

投げ銭?みたいなことなのかな? お金をこの池になげると、わたしがちょっとおいしい牛乳を飲めます。ありがたーい