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夢みる頃をすぎても

季節によって読みたくなる漫画ってあります。春が近づくと、わたしは吉田秋生さんの「夢みる頃をすぎても」が頭に浮かびます。大人になる手前の数年間のこと、若者たちの関係や心情が静かにうつろいゆくさまが描かれた短編集。いつ読んでも新鮮な感情が心の底に留まるから何度も読みたくなるのです。

こちらは文庫版です。

漫画の主人公たちのように、自分も学生のころはくだらない話ばかりして朝を迎えていました。あてもなく街を歩いたり、傷ついたり傷つけたり、ときには思いつめて世界の終わりかのように絶望したりしていました。けれどいびつで痛々しい記憶の数々も、振りかえって遠くから眺めれば、割れたガラスのかけらみたいにきらりと輝いて見えます。学生生活というのは自分にとって、人生の指針になるような感覚をいくつも与えてくれた貴重な時間でした。

誰にでも平等に季節がめぐって春が訪れる。卒業するにしても退学するにしても必ず終わりはやってきて、必ず別れが発生する春。それはときに残酷で、気持ちの整理がついていないのにむりやり新年度へ押し出されるというのは自分にはつらいことでした。20代後半になってようやく、春そのものの美しさを受けいれることができるようになりました。

学生時代に、はなればなれになる大切なひとへ、ほかのひとはどんなはなむけを贈ったのだろう……先輩や友だちを送りだすのに何を贈るのがいちばんいいかって考えたときに、自分は手紙を書くことしかできませんでした。学生のころ、花はみんなと合同で用意することが多いし、当時は気の利いたお菓子なんて知りません。直接熱い想いを伝えるほどの勇気もありませんでした。卒業式で、おめでとう! いっしょに写真撮ろうよ! と、囲まれている人気者めがけて突っこんでいくことなんてできない性分です。隅っこで話しかけるタイミングを待つ、というのも手持無沙汰で恥ずかしくなってしまいます。だから手紙をさっと押しつけて逃げるように去る、ということばかりしてきました。

離れがたい気持ちが高じて手紙は丁寧に書きました。こんなときもありましたね、きみのこういうところってすてきだと思います……等々、相手の前途が明るいものであるようにと願いながらも、自分の寂しさや春への恨めしさをぶつけるような便箋2枚はさぞかし独りよがりだったことでしょう。

もしもあのころハンカチの良さを知っていれば、ハンカチを贈ったかもしれません。手紙は時間が経つほどに気恥ずかしくて、紙は風化してぼろぼろになっていくもので、いつか捨てられるだろうし、むしろおぼつかない言葉の連なる駄文だから読んだらその時点で捨ててほしいとすら思います。けれどもしハンカチだったなら、余計な言葉はのせないで済む。言葉がないほうが互いに気楽なことがある。(長々と文章を書いておいて、何を言っているんだか!)

長ったらしい手紙のかわりに、一言だけ添えてハンカチを渡すくらいのことができたならよかったのに。昔の自分に文句を言っても仕方がないから、これからの自分に、これからそういう機会に恵まれる誰かのために、ひとつのアイデアとして記録します。お店で買うとハンカチはもちろん専用の包装紙に包まれるけれど、ここではあえて違う渡し方を考えてみます。

自分の好みのためややファンシーです。

左上は毛糸でリボン結びし、ビーズを通してみました。気負わず渡したい間柄ならこんな力の抜けた発想も生まれます。右上は手紙のかわりというわけで封筒に。三つ折りにすれば洋封筒にも入ります。下はハンカチをハンカチで包んでみましたが、中身はお菓子だってなんだってよいと思います。とにかくハンカチというのは、かさばらなくてさりげなく手渡せる、日常にあれば便利なことこの上ない、贈りものにもってこいのアイテムです。

ひとは違う仲間と違う環境で生きていくことになれば、どうしたって生活も価値観も変わっていきます。毎日いっしょにいた友だちも、子どもが生まれたらしいなんて風のうわさで聞く程度になっていったりもする。けれどそれは悲しいことじゃなく、いっしょに過ごした日々がそれぞれの心のかたちを支えているはずです。そんなとき贈ったハンカチを思い出すと「子どもの顔を拭いてあげたり、落書きされた壁を拭いたり、拾った石をくるんだり、好きに使っていてくれたらいいな」と豊かな想像がよぎることがあります。

誰かに聞けば連絡先を知ることもできる。SNSで気ままにつながることもできる。けれど温かく面映ゆい思い出だけを胸に、それをときどき噛みしめて大人の日々を進んでいく。そんな生き方もあっていいと思うのです。夢みる頃をすぎても、みんな楽しくいてください。時が流れても、たとえ会うことがなくなっても、みんな元気でいてください。それぞれの道のうえでふと汗や涙をぬぐうときに、ハンカチが言葉のかわりとなって寄り添ってくれますように。

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