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日常の解像度〜和食器の究極系、応量器〜

日常生活はさまざまな暮らしの品々によって支えられているけれど、そのさまざまには普段は意識は向いていない。

でも、ちゃんと見つめ直してみると、その品々に先人たちの創意工夫が詰まっていて、奥に秘めた魅力に気づくと世界の見え方がちょっと変わったりする。

そんな、世界の捉え方の訓練を「日常の解像度」という不定期連載で書いている。

2019年ひとつめの日常の解像度、本日は僕たちの暮らしとは縁の深い器(うつわ)のお話。


実は和食器をほとんど知らなかった

食器は100円均一でも買えるし、コンビニのお弁当は容器付だから食器が家になくても生活はできる。それでも新生活でとりあえず手に入れようと思って食器を揃える人は多いのではないだろうか?

新生活で揃える食器は一般的な感覚でいえば少し深さのあるプレート、それこそiittalaのティーマシリーズあたりがあればほとんど事足りるだろう。もう少し予算を絞るなら無印良品。もっと絞ればIKEAでも充分。

でも、味噌汁を入れたり、ちょっとしたおひたしや鰹節をふりかけた豆腐なんかを盛り付けるなら、やっぱり和食器の漆器が欲しくなる。

そこでふと気づくのだ。日本に住んでいながら、実は和食器のことはほとんどわからないということに。


給食の簡易食器の弊害

僕は1983年生まれなので、物心ついたときには義務教育で昼ごはんは全て給食だった。そして、給食の食器は樹脂のメラミン製食器とアルミトレー。箸はプラスチック製だった。

家では漆器も使ってはいたけれど、やはり漆器はメンテナンスも必要だしつけ置き洗いもNGだし、もしも机から落とせば傷もつく。何よりちょっと値段が高い。

だからかもしれない、僕らの世代は和食器への馴染みが薄く、それゆえに反動なのかハマる人はハマって買い揃えたりする。

もちろん僕もその一人だった。そして結婚した妻はフードスタイリストという器に盛り付けてシーンを作るのが仕事の人なので、収集癖は止むところを知らない。

そんな中で、数ある漆器の中から35歳の今現在、究極の和食器を一つ選べと言われれば迷わず「応量器」を推したいと思う。



修行僧の為の食器

「応量器」とは「おうりょうき」と読む。宗派によって呼び方が多少変わるが、禅宗の修行僧がもつ器である。

厳密にはそれぞれの器の扱い方や材質などに宗教的なルールがあるが、コレらを現代的に意訳して扱いやすさを加えたものが漆器でも売られている。

応量器の特徴としては、大雑把に言ってしまえば清貧を善とする思想なので、無駄がない。

入れ子状に収納ができ、すべての器の高さが違うので、用途が広くて使いやすい。

ある意味では合理的でミニマルでシンプル。実に日本的で美しい器だ。

写真は山中漆器のもので、本来は儀式用である漆の朱塗りのものを暮らしの道具としてリファインしている。

4つの椀と、2つの蓋でひとそろい。

蓋は茶托と小皿になり、すべての椀が深さと大きさが違う。


奥の左側から浅小鉢、深小鉢、汁椀、飯碗。
手前左側から小皿と茶托。

実は1993年にグッドデザイン賞を受賞し、その後にロングライフデザイン賞も受賞している。ロングライフどころか数百年後でも通用するであろう完成度だと僕は思っている。

ちなみにお値段はひとそろいで18,000円くらい。100均でもそれっぽいウレタン塗装のなんちゃって漆器風プラ食器は買えるけれど、本物の山中漆器にはその180倍の価値は全然あるはずだ。

何より、僕はこの美しい道具を作れる職人たちにリスペクトを覚えるし、材料の選定や木どりから木工旋盤での正確無比な加工、幾度もの乾燥、そして漆塗りの仕上げまでの数えきれない手間暇を想像すれば、この値段はお買い得だとすら思えてくる。


お食い初めの時の器に

日本ではこどもが産まれると「お食い初め」という儀式がある。要するに産まれた子供の食と健康を願う儀式だ。

厳密に言えばお食い初めの食器の種類にもこれまた規定があるのだけれど、うちではそれは無視して子供にとって一生付き合える食事のパートナー=器をあげようと考えた。

そうして色々検討した結果、わが家では娘のお食い初めの食器として山中漆器の応量器を選んだ。

手狭な一人暮らしの食器棚でも重ねて収納できて場所を取らず、ご飯もお味噌汁もちょっとしたお惣菜も盛り付けられる。場合によっては取り皿にもなるだろう。

いつかうちを出た娘が一人暮らしの食卓で食事をとりながら、なじみの食器を見て家族で過ごした日々を思ってくれたら嬉しいなぁ・・・と、気の早すぎる妄想も捗ってしまう。娘たちが将来ニートになっている可能性もあるから夢物語だけれど。


現在、次女はもうすぐ2歳。

離乳食はとっくに卒業して、大人と同じものを応量器の浅小鉢と深小鉢に盛って食べている。いずれは汁椀と飯碗を扱うようになるのだろう。

しかし、経済産業省の調べによれば、伝統的工芸品は売上も産業に関わる人々も全て右肩下がりで、どう見ても斜陽の衰退産業だ。

漆器に関していえば、昭和59年は300億円ほどだった市場規模が平成18年で200億円ほど。今はさらに下がっている。(出典:財団法人伝統的工芸品産業振興協会 経済産業省調査報告書より)


このままいけば遠からず応量器は食卓から姿を消すかもしれない。

再興させて全ての食卓に応量器が並べばいいとは思っていないけれど、こんなに美しい道具が手に入らなくなるのは文化の損失だろう。細々とでもいいから、心からこうした道具を欲する人の手元にきちんと情報と宝物を届けられるような、そんな活動をしていきたい。

もうじき吉祥寺のお店が完成して営業許可をとって始まるのだけれど、そこでは応量器も扱えたらと思う。

繊細で消え入りそうな、そんな美意識を少しずつでも伝えていきたい。


日本人が一生に飲む味噌汁は一体何杯だろうか?

味噌汁をプラスチックの椀ではなく漆器の椀で飲むという小さな贅沢は、暮らしの中で少しだけ背筋を伸ばしてくれる、そんな空気を運んでくる。

漆器のある生活は案外と居心地が良いので、もしも新生活で器を選ぶ時が来たら、その選択肢に漆器も候補に入れてもらえれば嬉しい。

読んでいただいてありがとうございます。
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それなりに高価ですが、たに屋さんの山中漆器の応量器はオススメです。

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「日常の解像度」シリーズの過去noteはこちら


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