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続ける限りは、追いつかれることはない

現在、公開中のnoteが436個ある。正確にはこれが公開されるので437個になる。さすがにこれくらいの数を書いていると、自分でもいつ何を書いたのかを覚えていない。30代半ばにして記憶容量だけは老獪の域だ。

あぁ、そういえばあんな事を書いたかもしれない...程度の記憶はぼんやりある。ぼんやりなので間違っているかもしれないが、基本的には何回も同じ事を書いていることが多い。

もちろん、中にはハッキリと何書いたか覚えているヤツもあって、図解入れながら書いているものとか、デザインの筋トレなどの試行錯誤して編み出したものはちゃんと覚えている。毎月末に勝手に表彰している相手も覚えている、さすがに1000円サポートすれば記憶に残るらしい。

そうではないただの日記や雑記。これは正直覚えていない。あなたは何を書いたか覚えていますか?どうだろうか?

何が言いたいのかというと、noteを毎日更新していて数百という過去の自分のログの中に、記憶していて誇れるモノってどれくらい書けているんだろうか?と気になったのだ。


先週の同じ曜日に何を食べた?

これと似た質問で、先週の同じ曜日に何を食べた?というものがある。

先週の日曜日の朝食、あなたは何を食べただろうか?

僕は...たぶんパンだ。なぜならうちの朝食は毎朝パン派だからだ。

でも、そのパンが吉祥寺のダンディゾンなのかシティベーカリーなのかDEAN&DELUCAなのか成城石井の半額見切品クロワッサンなのかは覚えていない。僕が選んで買って、僕が朝スチームオーブンに突っ込んだはずなのに。

まぁ、これが年に1度の特別な朝食で、朝からモーニングビュッフェに行ったとかなら覚えているかもしれない。でも、先週の朝食すら覚えていないのだ。

別に覚えていることが大事だと言いたいわけじゃない。
メリハリがあることが大事だ。

毎日noteを書いていて、ほとんど覚えていないなら、その記録にはメリハリがない。

でも毎日特別は無理だし、毎日にしたら特別は日常になってしまう。

思い出せる特別な日だけを書くでもなく、忘却されていくありふれた日常だけを書くでもない、その両方をリズムをつけて書いていくのが成長のステップなんじゃないかと感じている。


続ける限りは、追いつかれることはない

もう鬼籍に入られているけれど、僕の恩師は往年の60代の頃にも日々スケッチを続けていて、こう言い放った。

「俺がこれを続ける限りは、おまえたちに追いつかれることはない」

今思うと60代の大御所が20歳ちょいの若造相手に実に大人気ない...とも思ってしまうが、クリエイティブの世界は70代も10代も3歳児も並列だ。獅子はウサギを全力で狩る。

実際は作品以外のキャリアや実績や所属で評価も大きく変わってくるけれど、単純に実力という意味でいえば、広義のクリエイティブ業界は残酷なほどにフェアな競争社会だ。

だからこそ、続けることには意味がある。

まず過去の自分に追いつかれない為に、後から始めた人に追いつかれない為に、昨日よりも一歩先へ、明日は今日よりも進む為に。

続ける限りは、追いつかれることはない。

だから今日も明日もきっと書くんだと思う。メリハリをつけながら。

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