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弱くなることは、悪いことではなかった

ずっと強くいたいと思い続ける20代だった。仕事も何もかも成果を出してねじ伏せるマッチョ思考。

それは一種の中毒で、思考が強気だと言動も強気になり、今思えばある種の威圧感のある振る舞いが多かったと思う。

30歳の時、そんな鼻っツラを折られた事がある。

そこから37歳の今まで、2〜3年に1回くらいのペースでダメな時期がきて凹まされる。

その瞬間はもうつらいんだけど...でも、もしもそういう体験がなかったとしたら、きっと自信過剰になったり、もっと傲慢で横柄な人間になっているような気もする。


すべては、できない

人間はイメージできること、思ったことは実現できる。そう言われる。

安普請のセミナーなんかで語られていそうな安直なロジック。

精神論で効果が出るときもあるし、出ないときもある。因果関係はさほどない。

効果が出るのは行動の結果なので、気の持ちようは間接的な要因にすぎない。

でも、願えば叶うとか、思いは伝わるとか、そういう綺麗事がたくさん並んでいる。

誰だって簡単できれいなものを信じたい。


でも、最近よくよく思い知ることが多い。

「すべては、できない」と。


1日は24時間、体は一つ、作れる関係性やつながりだって限界がある。

SNSは青天井に繋がれるけれど、フォロワーさんだって理論的には無限に増やせるけれど、覚えておいて頭の中でイメージできる人には脳の限界がある。


つながれる人数は脳が決める

ダンバー数、という数字がある。

イギリスの人類学者によって提唱された、霊長類の脳の大きさによる群れの適正な人数から、人間の場合はどれくらいの人数まで人間関係を構築できるのか?を計算したものだ。

よく言われるのは150人。実際は個人差もあり、100〜250の間などと言われている。

あなたはどうだろう?

学校、職場、趣味、家族etc...ちいさなかたまりの社会の輪をチェーンのように繋いでいくと、だいたい150前後になるんじゃないだろうか?

つまり、あらゆることには限界があり、最大よりも最適であることの方が重要なのかもしれない。


弱さや限界を認めること

僕はまだまだ抜けている。杜撰なこともたくさんあって、やりたいことの3-4割くらいしか手が回っていない。

なのに体力は衰えるし、でも家族は増えて使いたい時間は増えていく。

24時間というリソースの上限が増えることはない。そういうルールだから。

じゃあ睡眠時間を削ればいいのか?

でも、睡眠時間を削ることは寿命を削ることであり、一生の時間が大きく目減りする前借りでもある。


リソースを確保するために、では何を削るのか?効率をあげればいいのか?

結局、最後は「できないを、認める」というところに落ち着いてきた。

まだまだ、きちんとできていなくて、中途半端にルーズな漏れを仕方ないと思い込もうとして、辛さを抱えている。

でも、最近では少しだけ、できない弱さは悪いことばかりでもないのかも...とも思っている。

もっと、うまく誰かに頼れるようになりたい。

40歳までの課題は間違いなく、頼るを練習することだ。

頼るって、難しい...
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