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ヒマをもてあます。(マンキツする)

夏休み。ー夏の暑さを避けるために設けられた休み。(知らなかった。避暑のための休みだったのか…。)なんともステキな響きである。しかし、最近の私の休日といったらなんだかんだといって用事がつまっている。

そういえば、私の好きなものの一つに「退屈を満キツする」というのがある。「あー、退屈だー、退屈だー。」といって一日中ごろついていることなのだが、これがなかなか大変なのである。実に奥が深い。ただ休みの日に「退屈だー」と口走ってゴロゴロしていればいいわけではない。いや、実際はそうなのだが…。

しかし、”精神的追い込み”があってはいけないのである。

たとえばそれは夏休みの宿題であったりするわけだが、「ヒマだー何かすることはないのかー。」と口では言っているけど、実際は「宿題やらなきゃまずいけど、する気が起きないんだよなー。」と心の片隅で思っている。なんてのはダメなのである。つまり、やらなければいけないことがある場合、その時点でもう退屈を満キツすることはできないのだ。

それだけではない。”やりたいこと”があってもダメなのである。今度の休みは釣りに行きたいとか、ゲームの続きをやりたいとか、友達と出かけたいとか、映画を見たいとか、全〜部ダメなのだ。

退屈とはーヒマで時間をもてあますこと。やらなければいけないことや、やりたいことがあっては全っ然ダメなのである。”したいことがまったくない”という状況でないと退屈は満キツできない。

さらに、したいことがまったくないという状況な上、ヒマだからといって”することをみつけてはいけない”のだ。ただ時の流れに合わせて、一日中ウダウダウダウダ…これが退屈を満キツする、ということなのだ。そんなのつまんない、という人もいると思うが、確かに「退屈を満キツする」というのは私の好きなことなのだからしょうがない。

目が覚めたらもうお昼なんだけど、そのまましばらくフトンの中でボー…として、「やれやれ、そろそろ背中が痛いかもよ?」なんて思いつつやっとはい起きて、することないからとりあえずテレビなんかつけてみたりして、おもしろい番組があればしばらくそれを見て、つまらなければ消す。そうすると何か食べたいと思い始めて、冷蔵庫をあさりにいく。お腹がいっぱいになったらなんだかまた眠くなってきて、またゴロンとしてお昼寝タイム。とまぁ、こんな具合に一日を過ごすわけである。

しかし、本当に最近これができないのである。なにをしているのかと言われれば、たいしたことはしていないのだが、精神的追い込みがわりとあるのかもしれない。毎日ダラダラと過ごすのもちょっと遠リョしたいが、たまには退屈を万キツしたいと思うことがある。

昔は、夏休みともなれば毎日退屈だったが、今は一ヶ月が異様に短い。それだけやらなければいけないことや、やりたいことが増えたのだろう。いいことなのか、悪いことなのか、自分でもちょっとわからないが、毎日を一生懸命過ごそうとは思っている。

人間いつ終わりがくるかわからないし、望まなくてもいつか終わりはくる。1998年を終え、1999年が過ぎ去れば、2000年ももう間近にせまってきている。

「退屈を満キツすること」は私の好きなことの一つだ。毎日ヒマをもてあまそうとは思わないが、やりたいことはしっかりとやっておいた方がいい気がしてきた。そのために、まずやらなければいけないことは、しっかりとやらなくちゃ、とちょっぴり気合いを入れてみたりしよう。

ひとこと

2021年末からしばらく実家に帰還しているのですが、実家って自分でも忘れてた面白いものがたくさん出てくる。笑

これは、ある日母が唐突に出してきた、私の高校時代のエッセーを転写したものです。1998年、山梨県高等学校芸術文化祭文学部門で優秀賞をいただきました。ちょっとしたモノダネとして。






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