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絶望的に絵を描くのが苦手な私が、描いてみて思ったこと
生きていく中で1,2を争うぐらい苦手だと思っていることって、実は得意なことかもしれない、と最近思うことがあった。
きっかけは思い出話
私は小さな頃から「絵を描く」ということが苦手だった。
もちろんうまく描けないし、大嫌いだし、美術の成績もすこぶる悪い。高校は美術を選択しなくてもいい学校を選んだほどだ。
だから長らく、誰にどれだけ頼み込まれたって絶対に絵なんて描かなかった。
それほどまでに恥をさらしたくなかった私が「なんか描いてみようかな」と思ったきっかけは、ある夜の思い出話だ。
私の父はもう15年以上前にガンで他界している。54歳という若さだった。
父との思い出がないわけではないのだけれど、正直なところ生前は父のことがあまり好きではなく、とりたてて思い出話をすることはなかった。
ところがその夜は、父についていろんな話をした。
父がよく絵を描いていたこと。
デッサンが得意で、若き日の母を描いた絵があったこと。
写真もよく撮っていたし上手だったこと(自分で現像までしていた)。
気がつくと、父の「芸術的センス」にまつわるエピソードを次から次へと話していた。
話相手の主人も「そんな父の話を聞くのは初めてだ」と驚き、とても興味をもってくれた。
そして、ひとしきり話を終えたあと、主人はこう言った。
何か、描いてみれば?
今までの私だったら「え〜、無理」だの「絶対描きたくない」だの言って拒んでいただろう。
だけど、その夜はなぜか描ける気がした。
父に芸術的な才能があったなら、子供の私にだって少しぐらいその血が流れているだろう。
これぐらい安易な、「いけんじゃね?」みたいな気持ちになっていた。
あれ、描けるかも
その夜。
主人が「うちにあるパキラ(観葉植物)とかいいんじゃない?」と言い残して部屋に戻っていったので、紙と鉛筆を用意して描き始めた。
・・・案の定、絶望的なまでに描けなかった。
最後はぐちゃぐちゃに書きなぐって終わった。
ところがそのとき、あるひらめきのようなものが降りてきたのだ。
あれ、描けるかも。
翌日、そのイメージを形にしてみた。
なぜこんな絵になったかと言うと、パキラを見ているうちに「花火」が見えてきたから。
ちなみにうちのパキラ(通称パキコ)。
花火に見えるか見えないかは人それぞれ。
でも私には花火に見えた。だからそのイメージを形にした。
家にあった半紙と紺色の筆。
どちらも買ったままで使ったことがなかったけど、思わぬところで役に立った。
そしてなにより、ものすごく楽しかった。
あまりにも楽しかったので、居ても立ってもいられず文房具屋さんへ走り、他の絵筆も買い求め、すぐに描いた。
絵か、絵じゃないかと聞かれるとうまく答えられないけど、私にとっては間違いなく「絵」だ。
しかもただの絵じゃない。記念すべき、「絵」なのだ。
もっと、自由でいい
私はこれまで、絵というものは「目の前にあるものをきちんと描き、そこから色使いやタッチで表現していくもの」だと思っていた。
だから、「ちゃんと描けない自分」は絵を描くことが苦手なんだと思い込んでいた。
でも今回気づいたことは全然違う。
絵って、もっと自由でいいんだ。
別に見たまま描かなくたっていいんだ。イメージでも全然いいんだ。
色も、形も、画材も、なんだっていいんだ。
自由で、いいんだ!
他人にとっては「ふぅん」かもしれないが、私にとっては衝撃的な気づきだった。
だって、自由に描いていいなら苦手もへったくれもないのだから。
私の苦手は、苦手ではなかったのだから!
苦手のうしろに得意はある、のかも
「苦手なこと」って、本当はただの思い込みなのかもしれない。
枠をちょっと外し、見方をちょっと変えるだけで、実はとんでもなく得意なことにひっくり返るかもしれない。
今はまだ「絵が得意です」とはとても言えないけれど、苦手意識はなくなった。なんなら「楽しくて仕方ない」と思えるようになった。
次はどんな苦手なことをやってみようかな。
ちょっぴり楽しみだ。
最後までお読みいただきありがとうございます! 一人でも多くの方に思いを伝えるためにこれからも頑張ります!