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想いの見える化トークライブ、始まりました。初回は大昭産業取締役、山口様

 Facebookでのトークライブ。記念すべき第1回は、大昭産業株式会社、取締役の山口賢様です。
 思いもよらない過去、そこからの復活にかける思い。その思いが引き起こしたまたまた予想外の展開、熱い情熱。本当におもしろいです。1時間があっという間。もっともっとお話を聞きたいなと…ファンになりますね。

《思いの見える化トークライブ》とは、おふぃす・ともともの代表、高野朋美が、経営者その人のバックストーリーに迫り、そこから来る揺るぎない思いを存分に引き出す、楽しくてへぇ~すごいっの1時間です。
これまで:これからの情報など、こちらから(Facebook)発信しています

【以下は文章です】
高野:はい録画を忘れずですね。はい大丈夫です、はい。というわけで今日はですね、この思いの見える化トークライブ1発目、1回目なんですが、今日トークライブのお相手として登場いただいたのが山口賢(やまぐちまさる)さんになります。皆さん拍手よろしくお願いします。じゃあすいません山口さん、自分で自己紹介していただいてよろしいでしょうか。
山口:はい、えっと私はですね 兵庫県神戸市に今住んでおります。39歳です。山口賢といいます。よろしくお願いいたします、お願いします。えっと自己紹介、仕事はですねあの大昭産業株式会社という技術商社でずっと勤めておりまして…、
高野:はい、今画面共有しましたけどこちらの会社ですよね。
山口:あ、そうです、この会社です。
高野:はい、これどういう会社ですか。
山口:これあのまぁBtoBがほとんどメインではあるんですけども、お客様、製造業や建設業様向けにですね、海外の機器や国内の技術と工事とかそういうのを含めてご提供してる、技術商社としてですね、まあの貿易を結構盛んにやっておりまして、インドであるとか中国、ヨーロッパあっちこっち行ったりしながら、技術がですね、海外が優れてたりとかもちろん日本もたくさん優れてるんですけども、そういういいところを日本の製造業建設業様に納めていくサービスを納めていくっていう仕事をメインにやっております。
高野:なるほど、なるほど。えっとその技術商社というのは、技術的なものを輸入したり輸出したりするってことですか。
山口:そうなんです。日本のメーカーさんって結構皆さんね、品質がいいとか、有名だと思うんです。けどやっぱ結構そのやっぱ海外の技術って結構たくさん入ってるんですね。この日本の製造業や建設業、その中でじゃあ海外の製品を購入する際に、じゃ海外のメーカーが大きな会社が日本に事務所を持ってやってたらいいんですけど必ずしもそんなことはできないので、そういう海外のサービスやら技術とかそのものですよね、そういうものをですね、日本側で販売する時にはちゃんと取り扱い説明書であったりとか使い方であったりとか、まぁ保証とかそういうのをちゃんとやってほしいっていうお客様が非常に多くてですね、私たちサービスとしてですね、あの本当その海外の日本支社みたいな形でパートナーさんを海外と組んで仕事を一緒にやるっていうのが結構多くてですね。そういう流れで仕事やったりしています。ですのでイメージがつきにくいんですけど、日本は加工貿易、素材関係が結構輸入をしてるんですね、その実際やっぱりエネルギー輸入したりしてます。
高野:鉄とか?
山口:そうです。鉄が日本で作ってるんですけど、その原材料ってじゃどっから来てるんですかって、やっぱりあのそう言われてみれば石油なんか日本出ないですし、でそういうのをまあのそこに重工業として繋がっていく分野を私たちそのお客様たくさん持ってまして、海外で例えば発電所作るとか、あのなんかガス関係とかのそういう道筋を作るっていうのは結構日本のお客様強かったりするんですよ。そういう時に海外の機器を輸入してまた海外に持っていくと。日本で作ってまた海外に出して、やっぱり日本も輸出をやっぱメインでお金を外貨稼いだりしてしてるで、まもちろん内需もあるんですけど外への仕事をして中で我々が一躍を担っているっていう仕事が多かったり。なんかあとは別で言うと国内で設備とかなんか分かりやすく言えばこのここに書いてるブラシ事業って何?って言うとです ね…
高野:ブラシ押してみましょう。あっ歯ブラシ歯ブラシ。
山口:皆さん歯ブラシはね、お使いだと思うんですけど、たくさんブラシっていっぱいあると思うんですよね。国内品でま歯ブラシであったり、トイレブラシあとお掃除する時に使ったりする ブラシとかそういうブラシを作られてるお客様って日本にたくさんおられまして、そういう会社様にあの材料とか機械設備とか導入したりしてるんですね。結構そういう技術って全部ヨーロッパから来てまして…
高野:え、そうなんだ。なんか日本のお家芸的な感じがしましたけどそうじゃないわけですね。
山口:結構、産業機械って言われる物は元々産業革命があったなんかイギリスとか、まああ いうとこから発生してドイツであったりイタリアであったり。自動車ってドイツ強いじゃないですか、フォルクスワーゲンとかあのメルセデスとか。やっぱそういう流れからやっぱ結構工業 産業が発達したそういう理を作ってたのがヨーロッパで、結構ヨーロッパの技術があるんですけど、日本はそういうのを使って物づくりするのが得意なんですよ。ですので結構技術は海外から入ってるけど日本で作ってるよ、みたいなお客様向けになんか設備の導入とかですね材料のご提案とかコスト削減の提案みたいなのを日々したりしていますね。
高野:結構でもまあのどちらかと言えばあんまり一般の人とこう関わるお仕事じゃないので…
山口:そうですね、ちょっと分かりにくかったりするんですけどま、分かりやすい仕事で言えばその再生エネルギーっていう仕事で太陽光とか最近多いですけど太陽発電所作りたいですよていう時に我々が全部建設からあの全部材料選定とかして収めて、太陽発電所作りますっていうことはやったりしてるので。そこはまだイメージつきやすいから自然エネルギーに関わるところでしたら。イメージつくのかなっていう風に思うんですけど、他の仕事は結構よく聞いてもなんかわかんないやみたいなのはあります。
高野:はい、あの今聞いてても、うんなんとなく、なんとなく分かるようでわかんないみたいな感じそうです。
山口:あの、共通です。あのいかに分かりやすく説明するかが私のこれからのもっと課題かもしれませんね。
高野:いや大丈夫だと思います。はい、ありがとうございます。で、要するにこう商社さんなので何か物作ってるっていうわけではないですよね。
山口:そうです。私たちが物作ってるよっていうことではないんですけれども、その物作りに関わる結構期間的な技術支援とかサポートをしたりしてるので、そうですね、その1つの素材、1つのサプライヤーさんとこのサプライさんと日本のお客さんくっつけて1つの物を作って納入するみたいなことをやったりしますので、なんかオーガナイズをしてることが多いですね。
高野:でね、多分海外によく行かれてるでしょう、山口さん。英語ベラベラなんですか?
山口:ベラベラというか、まあまああの、ネイティブみたいではないですけど、仕事中で使うのは使っておりますので…
高野:皆さん英語があペラペラだそうです、山口さん。
山口:いいえもう。
高野:羨ましいですね。羨ましいっていう人はいいねボタン押してもらえると嬉しいです。山口:はい誰でもできます。
高野:ただね山口さん、最初から今の仕事してたんですか?
山口:いえあの違います。私は縁があってこの会社に入ってるんです。
高野:何、何もう1回お願いします。
山口:ご縁があってですね。
高野:ご縁があって今の会社。そもそも 山口さんて今の会社に入る前っていうか何をやりたかったです?
山口:ちっちゃい頃。私ですね、本当小さい時はもう単純にサッカーが好きでしたので、サッカー選手になりたかったです。
高野:サッカー選手になりたかった…。どれぐらい打ち込んでたんですか?
山口:あのやり始めたのが小学校3年生なんで少し遅いですね。遅いですけどすごく真剣に3年4年はやりましたね、中学入るまでは。
高野:大体でもサッカーやる子供たってま1年生ぐらいからやるじゃないですか。
山口:そうなんですよ。
高野:なんでまた3年生なんですか?
山口:私水泳が嫌で…水泳を習ってたんですけど水泳をやめてサッカーに入ったきっかけがあって、そこからのめり込んだです。
高野:それ、だからサッカーやりたかったわけじゃなくて…
山口:嫌だったんですよ。水泳がものすごい苦手で、私たちの世代でなんか泳げないといけないみたいなが半分あって、なんかあのとりあえず50mぐらいはクロール、背泳ぎで泳ぎなさいと。でなんかみんなが水泳教室行ってたんですよね。すごくいやで、もうなんか家帰る前ぐらいから1人で「あぁなんかしんどくなってきたわ」みたいな演出しながら家に帰って、帰って母親に「いや今日ちょっとしんどいから、ちょっと水泳行けない」みたいな感じで言ってて…。「そんだけ嫌ならもうやめなさいよ」みたいな感じで、近くの友達がサッカーをやってたんで、それやるって言って。そしたら楽しくてはまりましたで。
高野:いつぐらいまでサッカー選手になりたいと思ってたんですか?
山口:えっとね小学校6年生までです。
高野:割と短い間ですよ。
ヤング地:もうね、あのうまい人間がこんだけ世の中にいるんだっていうことを知ったんですよ。
高野:どこでそれを思い知らされたんですか?
山口:クラブチームに私入ってて、クラブチームで本当に初めはサッカーボールも蹴るとこから始まって、リフティングとかしてちょっとずつちょっとずつあのうまくなっていく中で、なんか小学校6年生の人間が中学生高校生と一緒になんかゴールポスト当てをしてたんですよ、フリーキックで。ゴールを狙うんじゃなくて、ゴールポストを当てるゲームをしてたんですよ、カーブで。もうその瞬間に、あこれはレベルが違いすぎて、さすがに無理だわと思って。こういう領域があるんだったら私はちょっとサッカー選手は無理だなと思って。あの諦めました。うますぎると思って。
高野:中学時代はじゃ何やってたんですか?
山口:中学生、私立まあの一応なんか世の中に言うお受験をしまして、でそうなんですよ、そこからあのま一貫高校、中学高校一貫高校6年間行ったんですけど、そこでサッカーやりたいけどサッカー部がなかったんですね、初め。だからバスケ部に入って、そこでバスケを3年間一生懸命やって、高校生からなんかサッカー部に入ったんですけど、純朴な中学高校学生でしたね。男子校だったこともあって、こうなんかま当時のね、その中学高校生ぐらいから色めき立つじゃないですか。思春期を迎えるので、やっぱなんかそこ男しかいないっていうことに、みんななんか女の子がいないぞみたいなこと言って、文化祭があったんですけど文化祭はむちゃくちゃ楽しく、あのみんなで楽しく。
高野:そうなんだ。でまそんな楽しい学生時代を過ごし、で今の仕事に、今の仕事じゃないな。そもそも最初にこうついた仕事ってどんな仕事なんですか?
山口:私は1番初めに着いた仕事は、あの今と全然違います。あのインテリアのインテリアエクステリアの卸商社さんだったんですよ、全国にある。
高野:全然今と違う。
山口:全然違うんですよ。あの本当に元々まぁ大学は理系の大学、ま理系の学部に行きまして、でその電気 電気を専門にしてたんですね、電気コンピューターま思電気ですけど。でまぁ言ったら理系の学生って大体メーカー就職とか、あのまぁ例えば有名どころであれば三菱電気とか関西電力とか、やっぱそういう大手さんになんか日立製作所みたいなとこに…
高野:わかる。うちの弟もそうだった。
山口:ね、そういう中でその私、なんかメーカーさんを決していあの悪く言うわけじゃないんですけど、当時の何も知識がない人間からすると、メーカはなんか嫌だと。
高野:なんでですか?
山口:なんかその硬いと。そもそも理系も男ばっかなんですよ。やっぱり理工学部とか工学部で。この世界で入っていくあのそういう周りの人がいっぱいいる会社、メーカーさん、嫌だってなって。これはもっとちょっと私もっと飛び立ちたいみたいな感じで、なんか商社を目指したんですね。
高野:もうその時はじゃあ商社を目指してたわけですね。
山口:そうです。それはね、父の影響もあるんですけど。そうなんです父、元々丸紅にま大手5大商社で務めてた。
高野:うわ優秀でらっしゃる。
山口:そういう影響から私はちょっとあのまあま結局稼業が電気工事業なので、家業まそっちに戻っていったんですけど。まだから私も電気を専門にしてた時もあったんですけど。そういうので商社を目指した時になんかあのすごい人事の方が、素晴らしい人事の方で、あのインテリアエクステリアの商社で、なんかなんか漠然と3年後ぐらいにあの自分で仕事をやって、なんか起業したいみたいなイメージがあったんですよ、学生の時から。だから経営者とそういう中小企業の経営者に揉まれてそういう人達と接点が持てるあの仕事がいいなっていうので営業職を選んで。そういう流れでなんかエクステリア、インテリアまそれは仕事の職種はええんですけど、営業職やろうと思ってっていう流れで入った会社が初めの1番初めの会社でした。
高野:そうなんだ。そこでのお仕事はどうでしたか?
山口:いやあの私はなんか何でもやるのがね営業が楽しいと思って、どんどんどんどん自分でやっていってお客さん周りして新規も新規開拓みたいなも行って、なんか眠ってるお客さん、なんか売上が全然上がってないリスト渡せるわけじゃないですか営業マンってね、あなたのお客さん、山口のお客はこれだからってぶわっ100ぐらいのリストがあって、でま 売上立ってるところはいいから眠ってるところ開拓しようみたいな、眠ってるとこにアタックして…
高野:チャレンジャーですね。
山口:なんか楽しくてそういうことやってましたね。そしたらなんかだんだん現場にも行って、なんかその会社はインテリア、エクステリアの工事もするんで工事の職人の手配とか材料の手配とかして現場に行って、なんか夜の百貨店の現場入って、あの職人さんにお願いして管理して、職人管理をして、昼は営業、夜は現場に入ってその施工管理寝るのいつなんだよみたいな感じで、あの仕事してた時がありました。
高野:うん、そうなんだ。でそこ、何年ぐらいやってらっしゃったんですか?
山口:1年3ヶ月であの…
高野:あ、割と短い。
山口:うんー、やらかしたんです。
高野:何やったんですか?聞いていいんですか、これ。何やらかした んですか。
山口:NGはないので私。簡単に言うと、あの捕まったんですよ。警察にお世話なった、2日間。2日間、なんか飲酒運転して原付運転で飲運転して、えっと逃げちゃって、警察に追いかけられて、追いかけられて逃げれなかって、あの捕まってあの手錠をかけられて、で2日…
高野:普通に逮捕じゃないですか、それ。
山口:いやそうですよ。私だからそのあの逮捕されたんですよ。あのそこで逃げたから。
高野:逮捕経験がある。
山口:ありました、ありました。
高野:マジですか…
山口:そうです。それで2日間あの頭冷やして、出てきて、あのまその時ねあの兄がね、多分身元引き受け人で来てくれたんですけど。
高野:お兄ちゃんに何言われました?
山口:いや、あのまあなぁみたいな感じであった。でそれその優しさがねまたね。
高野:優し、優しいねお兄さん。怒らなかったんだ。お前何やってんだみたいなことは言われなかった?
山口:いやあの僕の顔が想やったんですよね多分。こんだけ楽しく話してますけど、もうもうも僕はあの人生終わったなと思って。
高野:人生終わったと思った。
山口:でもうもう本当にもう終わったと。全てが終わったもうだから自分は今まで築いたものはなくなって、あもう俺は死んでいいんだっていう風に思った。
高野:なるほど…あの見てらっしゃる方ありがとうございます。逮捕されたことありますか?なんちゅう質問私はしてるんだ。はいちょっと大変なこうねぇ皆さんの、どうですか?はい、それは終わったと思いますね、人生。
山口:そうですね。あの未だに忘れないですあの時の記憶は。まどんな人がなんかねうん同居人が同居人っていうか2人なんですよ、その部屋がね。
高野:あの要するに留置所ね。あ、これこれなかなか聞けないな留置所体験。
山口:2人1組だったんですよ。
高野:2人1組なんだ。
山口:はい。それでなんかあの入ってきた時お兄ちゃん何やったって言われて、相手に。いやそしたらいやちょっとあのちょっとお酒でバイク飲酒運転しちゃって、たら、すぐ出れるやんて言われて…
高野:お相手は何したんですか。
山口:すぐ出れるやん言って、そんなんもうすぐ出れるやん言って。この人は何をしたんやろうと思ったらなんかもうあの覚醒剤を持ってて…
高野:うわあ、ディープだな。
山口:なんかねあなんかそういうのがあった。引きにげして逃げてもう1回戻ってきて謝って出頭した。隣の人はなんか覚醒剤って、あ、もう世界が違いすぎて。あそういう世界に私は足を踏み入れたからもう全部は終わったわと思いました。
高野:なるほどなぁなるほど。で2日間、その人生終わった経験をし…
山口:そうですね。そこからあのま、ものすごい当時はもう悲壮感と、うんなんかね父とあの母親の前で、も本当に申し上げないと。本当にこんなことして申し訳ない。もうなんかね俺もう1回こっから生い上がるから、もう1回頑張る見といてくださいって言って。でもう号泣しながら、泣きながらさもう再生の決意を自分でして、なんかそこから人生がやっぱり変わって。まその今ではおかげだって言えますけど、これがあるから今があるんですけど当時はなんかね本当にあのパトカーの音聞くだけで足震えてましたね。
高野:ええー相当だからもうトラウマ的な経験だったわけですね。
山口:もうめちゃくちゃトラウマで、誰にも言えなかったですし。あの今のね奥さんにあのその結婚する前だったんですよ。だからその結婚するっていう発表を向こうの家族に言う前に、そういうこと起きてしまったんで言えずに、で嫁さんにもすごい心配させましたし、2日間いないとかで。もちろん奥さんは知ってますけど、やっぱ友達には言えなくて。今見てくれてたらね本当ありがたいんですけど。あのなんか…
高野:あの見てる方、あの見てる友達いらっしゃったら、いいねしてもらえると嬉しいですよ。はいありがとうございます。
山口:大学時代の友人とかが、あのちょっと夏休みがあっていつから夏休みなの?盆休みなの?みたいな感じで言われたときに、えっと山口は?みたいな感じで言われたときに、俺みんなと一緒だよみたいな感じでごまかしてて、とても言えない、こんなことは言えないみたいな、ずっとなんか自分の中で隠してたことです。
高野:そうなんだ。でねそのま人生変わったっていう風に今おっしゃったんですけど、それまでも別に山口さん、なんか悪い人生じゃないじゃないですか。結構普通に割とね普通、普通っちゃ普通じゃないですか。でもそのまたった1回の飲酒運転でま逮捕されちゃったわけですよね。警察のお世話になると。でま出てこられて、で会社をやめなければならなくなっちゃったわけですか?
山口:そうなんですよ。そん時ねやっぱりコンプライアンスとかやっぱりね企業がやっぱり言ってる時期が…ま最終的に自主退社になったんですけど、それでもちょっと面倒見切れ ないから自主で退社してくれって言われて、免許もちろん免許取り消しになったんですよ。今までだったらなんか免停ぐらいだったんですけど、なんかすごい厳しくなった時期が6月で、6月から私6月に起こしたんで、一発取り消しになったんですよ。それで何もなくなった感じから、さぁどうしようみたいな感じです。
高野:で具体的にどう人生が変わったんです?
山口:そもそもそこで仕事してっていきなりあのなくなって…何しようと思って、ま当たり前ですけど無職から就職活動じゃないですか。心の傷は言えないですけど、ま就職に行こうでなんかあのそういうエージェントさんとか使っていく中で、なんかですね私もたまたま奥さんも仕事ね、その時付き合ってた時です結構前ですけど、海外に一緒に行った時があったんです。お互いちょっと仕事が長かった時で。フランスに行ったんですけど、フランスで婚前旅行みたいな感じで。ちょっと帰ってきて。そん時になんか仕事をするのになんか次英語使った仕事とかやってみたいなみたいな、海外行ったんで。なんかそういう仕事いいんじゃないかなみたいな。なんかもう全く違うことやろうと思ったんで。で帰ってきてトイックとかねあの勉強し始めたんですよ。そっからですそれまでは英語とか喋れなかったです。全く喋れないし全く大嫌いの学問でした。
高野:英語大嫌いだったんですか?
山口:言語大嫌いでした。英語なんかもう嫌いだし。
高野:それが今や英語を使って仕事をやるようになっていってる。
山口:そうなんす。誰でもできるんですよ。
高野:いいね、いいねが来てますよ。誰でもできるくはないですよ。でその決意って何を決意したんですか?
山口:ま思ったのが、もう0になったし、もう今からもう1回自分もう全部何でもやるもう何でもやろうと。這い上がるしかない。命あるからそれで良かったし、人を巻き込んだわけでもないんで、あの本当に自分だけ命があって人に迷惑かけなかったから良かった。じゃあ頑張るしかないなみたいな感じでした。
高野:ああそうだったんだ。でそっから必死に勉強し、英語を。
山口:そうですね。あのまそのたまたま今の会社の大昭産業株式会社の前社長が、あの私が男性で理系で元気があるというので、あのま言ったら見込み採用してくれたんですよね。でそこで入ってみると、まあ山口君は英語できないけど、まあできるようになるからみたいな。
高野:なかなか器の大きな社長さんですね。
山口:本当その時に自分お話もしましたよ。こういうことを失敗しました。分かった上で採用。免許がないっておかしいんですよ、男性のね20代の男性が免許持ってない…
高野:車の免許を持ってないのはそもそもなぜだと。
山口:そうだからあの資格欄に免許って書けないんで。だからそれなんでないのって言ったらまあみたいな感じからまちょっとね。それ分かっていただいて採用していただいて入ってから、英語ははめちゃくちゃ使う会社なんだっていうことを分かって。毎日英語の資料、英語のあの外大の人しかいないんですよ。そんなところに男が来て、その英語できないのに何ができんのっていうことなんで、やばいってなって家帰ってめっちゃ勉強して、もうなんかもう土日もなんか英会話カフェみたいな。そんま感じでした。
高野:何年ぐらいでなんとなく仕事になれました?
山口:4年はかかりましたね。
高野:ああやっぱりかかりますね。
山口:めちゃくちゃ怒られましたし、あの厳しかったんですよ、前社長も。で教えてくれる教育係りのなんか外部のコンサルの方とかお願いしたりして、製造業でもう現場でバリバリバリバリやってきた方だったんです、パナソニックの工場。だからもう本当厳しくて、もう3年間は休みないと思えって言われたんで。
高野:まあのブラックですな。
山口:今で言うやばいやつですね。金曜日で、金曜日なると毎週金曜日5時から勉強会が始まって終わんの11時なんですよ。はいそんな感じ。
高野:すごいなあ。すごい世界。えっと山口さん中さんって 山口さんのお知り合いですか?山口:そうです、彼はあの中学高校時代の友達です。
高野:中さんありがとうございます。いいねくださってますよ。はいありがとうございます。そうですか、この話はその中さんはご存知なんですか?
山口:知ってると思いますよ。あのうん、ある程度いろんな話はしてるんで。彼も製造業の次期経営者なんで、多分そういうので見に来ていただいてんのかな。ありがとうございます。
高野:ありがとうございます。あの気軽になんか質問とか、あと感想とかコメントしていただけると嬉しいです。はい。そうかなるほど。でまあ今のこのお仕事始められるわけですが、そっからは順調なんですか?
山口:いや全然順調じゃなくて、なんか私結構そこここからもうずっとジェットコースターでなんか波がありすぎて、私が入社した会社が本当傾きかけたんですよ、1回。
高野:業績が?
山口:業績というよりですね、あのま海外の取引をするんで外貨は使ってて、その外貨のま銀行との契約っていうのがま言ったらドルの円のね契約を、あのものすごい損失を被る契約をしちゃってたんですよ。もう円高になりすぎちゃって。
高野:要するにあの不利な契約をしてたわけですね。
山口:新聞、結構その時あの新聞とか賑わせたデリバティブていうね。
高野:なんか聞いたことあるけど私には金融はさっぱりわかんない。
山口:そう金融派生商品の契約、まそれは銀行もよかれと思って進めてたんですけど。まそういうので本当に何億っていう損失がずっと続くようになって、その時に私首切られかかったんですよ1回。山口君、まだ若いから違う会社どう?みたいな感じで。ちょっと待ってくださいよ、みたいな。
高野:そういうこう柔らかな感じで辞めてくれってすごい…
山口:僕自分の上司からそんなこと言われて、なんなんだこの人は、みたいなこと思いますよね、普通ね。そういうのがあったり、なんか社内のまあのいざこざっていうかですね、なんかま言ったら仲が悪い人同士のに巻き込まれたりとか。そういうのでなんか全然あの大変なことしかなかって…
高野:そうですよね。やっぱりね会社が傾くといろんなね、トラブルとかね、いざこざが起こりますよね。
山口:で最後に来たのが超ド級の事業継承問題でしたね。
高野:それ超ド級の事業継承問題ってどんなやつですか?
山口:いやもう1回なんですけど、会社今次…まその時にその全社長のことめちゃくちゃ尊敬してるし、今でもメンターで、まうちの会社の相談役なんですけど、やっぱり次の世代に渡すのに、まあのどうしよってなったんでしょうね。会社を存続させるにはどうしようって言った時に、まちょっと会社を今ちょっと元気黒字なうちにちょっと会社清算しとくかみたいな、そうそういうことになってですね。会社なくなるってなったんですよ、本当に。そういう意思決定をあの経者がされたので、で私そこでめちゃくちゃ悩んで、俺やるってなったんですよ。
高野:えちょっと 待って。俺やるって俺が会社を引き継ぐってことですか?
山口:でやろう思って、どうしたら買えるかな?とか。
高野:えらい、思ってたこと。
山口:なんかねやっぱ自分がやっぱそのゼロになったじゃないですか?さっき話して、その今の会社に救っていただいて、チャンスいただいて、もほんとがむしゃらにやってきた道をなんか私、正解にしたかったんですよ、自分の生き方を。でその生き方を正解にしたいがために、やっぱ会社を存続させないと…。それくらい一生懸命に関わってたと思うんですよ、多分。それで、あ私やる、でも買う買えないしな、どうしようどうしようってなって。銀行貸してくれねえかな5000万ぐらいとか、なんかそんな思いながら…。
高野:すいません、そん時は1 サラリーマンなわけですよね。
山口:そうです、私勤め人だったんで、当時。
高野:5000万借りれるわけがないですよね。
山口:そうなんですよ。でも会社をすごく好きだったし、その社長の思いとか、製造に関するもの、なんかいろんなことを知ってですね。海外のグローバルな人間とはみたいな。やっぱそ直伝で教えていただいてた会社で、自分は頑張ってきたのになんでそうなっちゃうんだ?もうう許す、俺がやるみたいな感じになって。そこででも会社を担ってる、半分ぐらいは担ってるっていう自負があったんで。まあの何でもやってましたしだから。どうしようってなって、考えた末に、あそういえば父と兄がま家業で電気工事業を営んでるなと。でちょっとエンジェルになってもらおうと相談しに行ったんですよ。
高野:お父さんとお兄さんにそのな5000万なのか分かりませんけど、そのお金を出してもらおうと思ったわけですね。
山口:あのM&Aを提案しに行ったんですよ。だからもうグループでも一緒になるのどうだってって、まあ気い狂ってるかもしれないですけど、あのそういう風に思ったんですね私はそれしかないと。
高野:ちょっとね、山口さん、ここちょっと大事なところ聞きたいんですけど。普通ね普通ですよ、1 サラリーマンがそこまでは思わないと思うんです。傾きかけたら、あここダメだ次行こうってなるのが私は普通だと思うんですよ。何がそんな山口さんをね、あのお父さんとお兄さんに掛け合って、要するに会社を買ってもらおうとまで思った、その社長の思いに結構共感してたっておっしゃってたじゃないですか?何に共感してたんですか?
山口:あの私がやっぱ1番これから日本で必要だなと思ってたのは、そのうんやっぱグローバルにすでにうちの会社グローバルグローバルっていうのやっぱりその意識してて、で海外の良い技術と日本の製造魚の高良いものをやっぱミックスしていくっていうのがすごくあの会社としては価値を置いてたんですね。だからただ物を輸入して流す物を販売するっていうよりも、文化を作ってるみたいなイメージがあったんですよ。日本だけじゃこれからやっぱ人口も減るし、あのやっぱその私がすごく仕事の自負になったのは、初め海外から輸入してると、日本の企業さんに競争するじゃないですか。で日本の企業をなんかシェアを奪ってるっていう風に思ってたんですね、私どこかで。日本人なのに輸入して、日本の企業を弱らしてる。
高野:あそうか自分がだから日本企業いじめてるかもしれないと思ってたわけですね。
山口:ていう風に思った時があったんですよ。だって競合が日本の企業だったりするわけですよ。でもそこからでもそうじゃなくて、日本の中で言ったらもう馴れ合いになってる仕事とか、言うたらもうなんか既得権益になってる仕事みたいのがいっぱいあって、そこでイノベーションが起きてない技術革新が進んでない。あと結局日本は加工貿易をして輸出して外貨を稼いでま資源がないので、それでま発展してきた国ですよね?日本ってね。だから良い技術とコストダウンして、さらにそれを組み込んで世界で仕事を取れるようにしていくことが必要なんだってわかった時に、自分たちがやってる仕事はその一躍をになって、海外の良い技術や良いサービスでお客様がそれを使って組み込んで、さらにいいものにしてコストダウンして、それを輸出して世界にビジネスを仕掛けていくことになってるんだって思った瞬間に、仕事へのもうものすごい自分の自信とかが…ですよね。
高野::だからもうちょ日本を本当支えているうん仕事の1つだぐらいに思っ たって感じです?
山口:そう自分はそういう意味付けしていったので、海外とのやっぱそういうま日本のいわゆる英語が苦手な人とかそういうところで、サポートしたりっていうのが意味があるし、働いてきたこともあって、まあとその事業承継問題、私インドに半年間仕事で行ってた時があって、その時にやっぱインドを見た、インドから見た日本が衝撃やったんですね。
高野:インドから見た日本ってどんな日本なんですか?
山口:めちゃくちゃ日本は素晴らしい国で、美味しいご飯、完全綺麗、時間に正確、なんかそういうもう文化があるじゃないですか。でもあやっぱこれから発展していくまだ何もインフラもまだまだ、まご飯は結構まインド料理でいろんなものがあるけれども…
高野:カレーのイメージしかない。
山口:そう人種が入り乱れてて、でも決定的に思ったのはインドの人たちは自分に自信を持ってたんですよ、みんな。あのま自己愛って言うんですかね、その国のことをすごく大事にして家族を大事にして、インドっていう国を大好きでいるっていうのが、なんか私はそこを日本人はどうなんだって言われて。山口どうなんだよみたいな感じで、日本のことをもっと教えてくれよっていう時に、日本人なの日本のことあんまり知らないとかなんかそういうことをね、なんかいっぱい学んででも日本人日本って素晴らしい国だからもっとなんかできるんじゃない?もっと活躍できるんじゃない?結構日本も暗かった暗いっていうニュースがやっぱ多かったですし、でも日本の方も結構やっぱ疲れていたりとか、まいじめ差別自殺とか色々ある中で、なんかこの幸福感って全然インドの方が全然貧しいのにお金じゃないんだなみたいなのは感じたことですね。で、だからそういう日本はもっといい ところがあるぞと。そういうのがやっぱ気づいて、日本に帰ってきたからこそ、その日本のためていうわけじゃないですけど、もっとなんか私ができること、仕事でもあるし、あるんじゃないのていう時に、なんかそういう事業継承問題が起きたんで。なんかこれは何とかしないといけない、まそう冷静じゃなくて、もう。本当に駆けずり回ってましたけど。まそういう中からプレゼンテーション、まちゃんと事業計画書作って、父と兄に提案しに行って、この会社を残さないといけない、こんだけ歴史があってお客さんもいて、そこにいる家族もいるわけなんで働いてる、いうので手をあげたのが2016年でしたね。
高野:だから、1サラリーマンが事業計画者まで作って、この会社を残してくれって言いに行ったってことですよね、要するに。
山口:そうですね、公認会計士に色々教えてもらって、この社内の社屋の賃料とか、ここま販売管理、販管費って言われるとこですね。そこのそれでこういう風にして。ま確かに事業もしんどかった時もあったんで、こういう風に立て直すみたいなことをなんか高らかに宣言して。なんか救ってくれーみたいな感じで、あの父と兄に言って。それで公認会計士とお互い…お前がそこまで言うんだったらみたいな形で、お前が来たらいいじゃないかって言われたんですよ。1人で来てそこの会社で新しい事業部やったらいいじゃないかと。その電気工事会社のところでそういう仕事やったらいいじゃないかと。
高野:あのお父さんとお兄さんの会社で?
山口:そうですね新しい事業部を作ったらいいじゃないかと。
高野:その会社をだからねあのそのまま買ってくれじゃなくて、あなたが来てそこでやってた仕事やればいいじゃんと言われたわけですね。
山口:その方が確かにそれはそうなんですけど、でもね、なんか私はそうじゃないって思った。やっぱ会社を残さないとその文化とか大事にしてきたものが…いやダメなんだよみたいなこと言いましたね。
高野:相当な情熱ですよね。
山口:ですね。だからやれる自信ありました、1人で行って。作れる自信はあったけど、会社を残さないとダメだっていう風になんか強く思ったんですよね。まそれはたったね、あのなんか7年8年 務めた会社だったんですけど、当時はね。2016年であのなんか思い入れがやっぱ強かったんですね。自分のやっぱ、自分が失敗して…失敗したこともあったからだと 思いますね。
高野:そういう拾ってもらったっていう恩返しもの意味もあるし。
山口:そうですね。それがすごく強くて。
高野:で、いいよっておさんとお父さんが言ってくれて…
山口:そうなんですよ。最終的にはあのま合意形成して、結局、話的には株の金額とかあの先代の社長への退職金とか、そういうのちゃんと経理的に詰めて、でお互い結婚できたみたいな。会社同士の結婚みたいな。
高野:で、今山口さんはその大昭産業の今取締り役?
山口:そうですね。あのそうですあの取締り役で今活動させていただいてまして。名前だけじゃないんですけど、まだそのやってることは何も気持ちは変わってないんです、当時からは。まさらにもっとできんじゃねえかなっていう風に思ってますけど最近は。
高野:何ができそうなんですか?
山口:今グループ会社が3。私たちの会社含めて3社あるので。そのま電気工事っていう会社と我々商社とあともう1個測量っていう会社があるので、もっと幅広くサービス、お客様にB高野:oBで提案できるんじゃないかな?みたいなのは思ってまして。
高野:会社をねま無事に残すことができて…山口さんとしてはそれが何年前ですっけ?
山口:それが2016年なんで、まもう7年ぐらい前7年になりますね。
高野:そっから何か苦労されたこととかありますか?M&Aってやっぱ違う文化の会社が一緒になるじゃないですか。そこはどうだったんですか?
山口:大変でした。まだまだはい大変。あのやっぱり文化を一緒にしていくっていうのは。ま今もまだまだあの道半ばですけど。私自身が成長してなかったとこもあるんですけど、あの当時はですね、私もマネージメントをし始めるわけになるじゃないですか。そういう立場になってそうですね、あの普通にこう平だったところからま上司の立場になるわけですよね。そこでじゃあ社員を、メンバーを信頼してるかっていうと信頼そんなにしてなくて…
高野:どういうことですか?
山口:いやなんか自分がやってきたイメージがが強すぎて、もう受注活動そういうのいろんなやつ全部自分が指示してたんですよ、細かく。こうしてあしてこうしてこうして。
高野:仕事できる人あるあるですね。
山口:うんま、できてたのかもやらざる得なかったのか。でもやっぱ自分で研鑽、なんて言うんですか、刃をいっぱい磨いてるんで、その切れ味はいいわけですよ。その切れ味いいので、社内にめちゃくちゃ言ってましたね。
高野:なん私部やったら、心折れとったかもしれない。
山口:もう本当にいたらん点がいっぱいあって。だからメンバーとの関係性、今その残ってくれてるメンバーがあの2人いるんですけど、あの本当によくついてきてくれたなって思いますね。
高野:だからすごくきつい上司だったわけですか?
山口:もうきつい上司で、なんでできないのって思ってました。
高野:それがなんか変わったなんかきっかけてあるんですか?
山口:結局あれですね。あの私自身があのマネジメントができなくなって悩んでいってる時に、兄からの紹介でこういいのがあるよっていうね。
高野:はい私もね、アチーブメントやってますけど。
山口:それ教えていただいて、いや俺はそういうのはもういいかなって。いいかなって思ってたんです。あの研修とか行って3日間いないより営業した方が売上上がるじゃないって思ってたんで。
高野:そうそう。あのアチーブメントね、あのご存知かどうか分かりませんけど、見ていらっしゃる方。研修がね、3日間あるんですよ。これをね、あの繰り返していくんですけど。まその3日間がある、だったら営業した方が絶対稼げるじゃんと思ってたわけですね?
山口:もうもう激しく思ってました。だからもうそういうのはもういいと。あのひたすら自分で今やらないといけないことやるってなったんですけど、でもうまくいかないんですよ。そこで1回じゃあ学んでみようって思って。こっからなんかいろんなその世の中の原理原則とか、正しい…なんかうまくいく人ってやっぱり色んな本でもあるんですけど、それをちゃんとそれの風にやってたら良くなるっていうのがあって、ここからメンバーとの関係性を変えていく努力と、自分の出す、自己開示ですよね。それを学びました。
高野:なるほど。あの関係性をね、具体的にどんな風に変えてったんですか?
山口:あの自分はこうしたらできるだ、もうよく使ってたのが、普通分かるやろそんなん常識やろなんでわからへんねんていう言葉をやめて、何があったんていうところからスタートしていきましたね。
高野:全部今、普通わかりやろ?そんなん常識やろ?なんでできひん?あもう全部言われたくない言葉ですね。
山口:いつできんねん。
高野:ああでもね、やっぱつい言っちゃいますよね、そういうのね。
山口:あと自分のやっぱり失敗したこととかをひたすら隠すことが正解だと思ってたので。私はリーダーとか人を引きいるイメージって、なんかあのなんか強い人だと思ってたんですよ。こっち行くぞってやる人がリーダーだと思ってたんですけど、リーダーの概念が変わりました。
高野:リーダーの概念そのリーダーて強い人っていうところからどう変わってったんです?
山口:人の力を借りられることていうことですね。人に力を借りずに自分でやってきたから、むっちゃ仕事があって。1日本当に50件ぐらいメールずっと書いてたんですよね。
高野:うわ、それだけで1日終わるじゃないですか?
山口:そう、今日書いた、50件も書いてるわみたいな。もう流して流してそれで営業もしてってやるんで、もう他の人がやったらうまくいかないって思ってしまう。その恐怖と戦いながら、任せられなかったのを任せられるようになって、信じることを覚えて。そこから少しずつ自分…その研修の中で、その体験型研修ですか、そのすごいエピソードを覚えてるのがあの医者さんが医者の方だったかな?その方がものすごくその自分の話をされてたんですよ。その話がすごい共感があって、自分がこういう人間だったっていうのはやっぱすごいもうつらつら話されてる中で、みんなが共感してみんながその人に支えたいっていうなんかなったんですよ。でそこにぶわって人が集まったことが僕はもう衝撃で、リーダってそういうことなのみたいな。引っ張るんじゃなくて、なんか自分のことをちゃんと伝えてちゃんと共感して…人の心ってそういうことしかしか動かないんだっていうのが、そのことから学んで。それが終わって会社のメンバーに言ったのが、俺全然自分の話とかしてなかったけど、これからはみんなに自分のことを伝えていくようにしますっていう、もう朝礼の時にみんな意味わからんと思いますけど、っていうなんか宣言をして。あの覚えてますねそういうのが。
高野:であの冒頭していただいた、あのやらかしちゃって逮捕されちゃってっていう話もできるようになってたっていう…
山口:そうですね。やっぱ少しずつ自分の中で向き合っていった中で完了してま完了してたんですけど、うんなんか言えなかったっていうか、ま自分のなんか自我があったんだと。頑固であったりとか素直になれなかった部分。
高野:はいちょっとね、まだまだ聞いていきたいんですけど、あのもうすぐ8時になるので。そうですねそうなんですよ。ちょっとこれからこう山口さんがそういう思いでね、あの会社を承継して引き継いででやっていかれてるんですけど、これからどんなことをしていきたいって思ってらっしゃるんですか?
山口:そうですね。あのやっぱりそのまホームページにも書いてるんですけど、やっぱりその我々大事にしてんのが理念なんですよね。でグループの理念ビジョンとかってまこの先ほど映った社屋にこの4社がですね。ま2年前に立ててゼロエネルギービルディンググっていうちょっと変わった建物なんですけど、その4社が集まって文化が違う中でも電気工事とか測量とかちょっと次のページ行っていただいた際に、まこういうまB高野:oBに関わることをやってるんですよね。でまその中で我々やっぱり日本の企業様にどんだけ新しい価値を提案できるかっていうことで、中小企業がやっぱ元気にしていかないとこの日本って良くならないし、大企業さんも大企業さんで強いので…
高野:うん98%でしたっけね。日本の企業のね、中小企業ですね。
山口:中小企業さんがやっぱり支えてるんですよね。本当に簡単に言うとやっぱ本当廃業して、次の世代に渡せない、もうこんな仕事息子に渡したくないとか思ってる経営者の方もたくさんいる中で、いや日本のやってる物作りとか技術力ってむちゃくちゃ素晴らしいので。それを稼げるように、なんか海外に一緒にサポートしたりとかPRを海外にできたりとか、なんかそういうのに本当に一躍になっていきたいなと思ってるんですよね。同時にコストが高いものを海外の製品で少しでも抑えてで技術力あるんで、作り直して海外でまたその技術をね、サービスしてその技術力は海外とクロスライセンスみたいな技術提携みたいなもできるんで。ここでちゃんとお金をいただくみたいなことでやればもっと日本のね製造業さんとかで物づくりされてる経営者の方とか…
高野:もっと潤うというかもっともっと収入を得ていくことができるって思ってらっしゃるわけですね?
山口:私はそう思ってますね。それでまここに書いてるようなね、あのま黄色になってるところは本当に我々の大昭産業に関わることですけど、太陽光入れたいよとかコストダウンで困ってるよとか、ま我々も専業なんでよくサポートして欲しいとかですね。ま後は海外です。海外のビジネスに興味あってもっといろんなこと知りたいんだとかいう方は、もう全然あのいろんなお話相談も乗れますし、書いてることが結構多に渡るんですけど、うんま最近ではそのソーラーシェアリングとか陸上養殖事業みたいな、グループでやったりしてるんで。あの農業に関わったりですね。まあの養殖事業で、結構輸入が多いんで養殖も。それを国内でやっていきたいとか、そういうことで我々今チャレンジしてることもあるんで。なんか そういう興味ある方はセッションできますし。単純に会社見学したいよとか、そんなんでも全然あの来ていただければ、私誠意持ってご案内させていただきますよ、いう感じが我々PRしたいことです。
高野:ねなるほどありがとうございます。はいもう本当あっという間の1時間だったなって感じなんですけど。
山口:楽しかったです。
高野:良かった。えっと梶原さんも山口さんの知り合い? 勝原さんもうねいいねをしてくださってます。
山口:知ってます。久しぶりですね。
高野:あの中さん梶原さん、もしよかったらですね、なんか今日あの見ていただいて感想をなんか一言コメントでいただけると嬉しいんですけど、いかがでしょうか?あの無理にとは言わないですが、いただけると嬉しいなっていうとこですね。はい、あのコメントね。またいただければなという風に思います。はい、いやでも山口さんすごい、やっぱ人生がすごいですね?
山口:いやいやまだまだあのなんかいろんななんか、ちょっと横道それたことがありますけど、まいい経験だったと思います。
高野:いやでも本当。会社をだからこう会社をちゃんと残さないと文化が死んじゃうっていうその思いは、ちょっと私ぐっときましたね。
山口:ああ、ありがとうございます。なんかそう言っていただいて嬉しいな。
高野:それが今もやっぱ ベースになってだからこそその中小企業のこう製造業の会社さんをやっぱ残していきたいだったりとか、その技術をもっともっとこう世界に広めたいし、で、あの物づくりにしてもこう日本のものを使っていくのももちろんいいけど、海外のものを入れたりとか海外と技術提携することでもっと新しいものを生み出して、もっと世の中に発信できると、いう風に思ってらっしゃるわけですよね。
山口:うん。もっとハイブリッドでいいと思うんですよね。その日本のものもいいし、海外のものもいいんだっていうので、なんかそれを両方いいとこ組み合わせてさらに強みを作ってその自分たちに付加価値つけて、海外に打って出る。日本はやっぱ人口が少なくなっていく、ちょっと懸念があるので、やっぱ海外で生き残っていくことがどこかで必要になってくると思うんですよね。
高野:なるほどなあ。
山口:一翼を担いたいですね。
高野:素晴らしいと思います。応援します。
山口:ありがとうございます。
高野:ありがとうございました。はいちょっとね、あっという間の1時間でございました。色々喋ってみていかがでしたか?
山口:いや、本当になんかあの高野さんの本当にいろんなことを質問でね、聞いていただくの で私もついついいろんなことまで喋っちゃいけど…
高野:私もすごく面白かったです。そうなんですよ。あの本当にね、こう日本の経営者リーダーの方って、そういう本当にバックストーリーすごくあるんですよ。それをね、是非私は発信して欲しいなという風に思ってるんですね。
山口:ライターさんの聞き聞く能力が素晴らしく…
高野:ありがとうございます。ここから少し皆さんにお知らせになるんですが、まそういうこうバックストーリーですよね。経営者の皆さんが持っているそれをこう発信していくってすごく重要なことだという風に思っているんですが、まそのバックストーリーを言っていくことにまどういう意義があったりどういうその会社経営にこうメリットがあったり効果があったりするのかっていう話を、ストーリー経営セミナーという形で、私あの毎週水曜日にあのオンラインZOOMでやらせて いただいてますので、あのもしご興味があったらね、またあのそこで受けていただければなという風に思います。このトークライブあの私今年から、まこれが1回目なんですが、今年からまこれから継続してやっていくんですが、まそのきっかけになった方がですね、この立石舞子さんという方で。営業コミュニケーションのコーチとか検証をやっておられる方がいらっしゃるんですね。で営業していく時にそのコミュニケーションがあんま得意じゃない営業の人とかいますよね。
山口:いやいますよいますよ。そういう方まだまだもういっぱいいますよ。
高野:はいそういう方に営業コミュニケーションをコーチしてくださる方なんですよ。そうなんです。でこの立石さんのバックストーリーも面白い。一足飛びにここに来とられるわけじゃなくて、ご自身もやっぱいろんな苦労している経験とかお持ちなんですね。でまこの立井さんのあのセミナーとか、あと個別相談とかもあるので、あのこの後ね、あのアンケートあのこれからコメントの方に共有させていただくのと。あと今QRコードで出させていただいてますがあのアンケートの方にあの興味あるよっていうのがあればチェックを入れていただくところがあるので。是非ですね、あのこの人の話を聞いてみたいであったりとか、このセミナー受けてみたいだとか、まそんなことがあれば是非ね、あのアンケートにね書いていただければと思います。今あのコメントでアンケートの方のURLを送らせていただきました。ということですねえ、もう6分オーバーしております。すっごい面白かった。またちょっと山口さん、これからも引き続きね、はいこういう思いを発信していっていただければなという風に思います。
山口:是非よろしくお願いします。
高野:はい。であのこれこの動画後でまた山口:ou高野:ubeとかにアップしますんで。見逃した方にまた見ていただいたりとかしていただければなと思います。
山口:知ってください、私の過去を。
高野:いや本当に、あのそんな過去があったのかって感じでしたね。それをね、言ってる山口さんが私は素敵だなという風に思います。
山口:嬉しい限りです。
高野:ありがとうございます。では今日はこれにて終了とさせていただきます。ご覧の皆さん本当にありがとうございました。
山口:ありがとうございました。本当にあの聞いていただいて嬉しい限りです。
高野:はい今日のお時間ありがとうございました。それではまた次回お会いしましょう。それでは皆さん、さよなら。、、、はーいオッケー。
山口:オッケーですか?ありがとうございました。

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