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非常識メッセージ

奈良に行きました。
考えを整理したいとき、何かを熟考したいとき、私は奈良に行きます。
なぜか。
いろいろな想いに触れることができるからです。

奈良は、歴史的な建物や遺跡が近距離にぎゅっと集まっています。
それらを見て、思います。

「なぜこうした建物を、人々は何百年もの歳月、守り続けてきたのか」

保存に手間ひまかかるから、壊してしまおうと思えばできたはずです。
開発の邪魔だからといって、取り除くこともできたはずです。
でもしなかった。
人の願いや祈りを後世に伝えようとする、一人ひとりの小さな想いが、それを成し得たのではないかと思います。

そもそも、なぜあんなにも巨大な寺院や塔を、昔の人は作ろうと思ったのか。
トラックもクレーンもない中、あれだけのものをつくるのには、非常識なまでの労力が必要だったはずです。
その苦労を引き受けてまでつくったのはなぜか。
そこに、人の想いの持つすごさが秘められているような気がします。

想いを見える化する仕事を通じて、私ができること、私でなければできないこと。
奈良の風景を見ながら、改めて考えました。


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