新聞についての思い様々

このところ宅配新聞の折り込み広告がずいぶん少なくなっているように感じる。曜日にもよるが、かつてはかなりの量の広告が挟み込まれていたように思う。新聞販売店にとっては重要な収入源になっているはずなので、その経営は苦しくなっているのではないかと心配になる。

ときどき、新聞拡張員の人がやってくる。当方としては、今読んでいる新聞を変えたくないので、結局断ることになるのだが、昔の拡張員よりもずいぶん物腰が柔らかで、一回断ればあっさりと引き下がってくれるような気がする。念のため補足すると、この拡張員は販売所の人ではなく、販売所からの依頼を受けて契約数に応じて販売店から歩合が支払われる独立した組織に属する人がほとんどのはずである。想像だが、かなりストレスのかかる仕事ではないかと思う。

ある程度上の世代では、それぞれの家で新聞を取るのは当たり前といった感覚があるのだが、スマホ世代では新聞を取っていない家も多いようだ。スマホやパソコンでいつでも無料のニュースが見られるということだろう。しかし、ネットニュースの見出しだけ見て、内容もわかったつもりになってしまうのは少々危険ではないかと思う。多くの場合、見出しには強いバイアスがかかっている上、そこをクリックするかどうかが個々人の頭の中にあるフィルタで仕分けされてしまうからだ。つまり、見たいものしか見ないという姿勢が強化されていく恐れがある。

ずいぶん前から、書店の一角に特定の新聞社を攻撃する過激なタイトルの付いた書籍が並べられている。時の政権や体制に厳しい立場をとる特定の新聞社を執拗に攻撃しているようだ。こういった本が売れ続けるということは、そのような価値観を持った人がそれなりに多くいるということなのだろう。その人たちは、希望通りその特定の新聞社がなくなってしまって、時の政権や体制をひたすら擁護する論調の新聞を日本国民がこぞって読んでいる(読まされている)国の姿を本当に望んでいるのだろうか?自分はまっぴらごめんだけど。

どれも古い世代の人間の感覚なのはわかっている。時代は進んでいて、自分の感覚が追い付いていないのだろう。

報道の在り方や意味合いも時代とともに変わっていくのはわかる。報道機関の無謬性が鼻につく気持ちもわかる。しかし、ジャーナリズムを体現する新聞は廃れてほしくない。

今後も新聞、特に紙の新聞を応援をし続けたいと思っている。

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