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偏差値に対するもやもや

 “偏差値” ということばを聞いたことがないという人はほとんどいないだろう。日常のやり取りでも、「偏差値が 65 の進学校」とか、「自分の偏差値は 48 なので、もう少し上げていかないと...」といった使い方をしていると思う。

 数十年前、自分が受験生だったころにもこのことばはあった。模擬試験などの成績表を見ると、自分の得点の隣に平均点とかと並んで偏差値が出ていた記憶がある。

 偏差値 50 が中心で、そこから離れるほど、学力が高い、あるいは学力が低いという指標になる。だから、「偏差値が 74」と聞くと、なんとなく「賢い人」と思ってしまうし、「偏差値 40」とか聞くと、「もうちょっと頑張って」ということになる。でも、偏差値 0 や偏差値 100 なんて聞いたことがない。数学的に考えれば、これは当然なのだが。

 きちんと調べたわけではないが、学校で使う数学の教科書には “偏差値” という用語は出てこないと思う。理系出身なのでわかるが、”偏差” とか “標準偏差” なら数学用語なので当然教科書に出てくる。だから、偏差値は正式な数学用語ではなく、おそらく受験産業あたりが考えた単なる指標なのだろう。

 母数がたくさん(究極的には無限個)あれば、ある得点分布は正規分布になるはずなので、50 を中心にして自分の得点が全体から見てどのあたりに位置しているかがわかる。だから、数学的に見れば偏差値 90 なんて現実の世界ではまず起こりえないということもわかる。

 しかし、どうも釈然としない。数式に当てはめれば、たかだか 数100 個程度の母数でも、とりあえず偏差値は計算できる。計算後はその数字だけにしか目に行かなくなり、母数のことは無視してしまう。以前、ある選択科目で受験者が 20 名ほどしかいないのに、きっちりと偏差値が計算された成績表を見たことがある。いうまでもなく、こんな偏差値には意味はない。

 もう一つ釈然としないことは、母集団自体の属性を考慮せずに偏差値を使ってしまうことだ。普通に考えればわかると思うが、学力の高い人をたくさん集めてきて試験を受けさせる。そんな中で平均点、すなわち偏差値 50 を取るのはかなり大変だろう。もちろん逆に、学力のあまり高くない人の中では、平均以上、すなわち偏差値 50 以上を取るのはさほど難しくないだろう。

 といっても、それほど目くじらを立てるほどのこともないことなのかもしれない。全体の中で自分の成績がどのあたりにあるのかの “おおまかな” 目安にはなる。「自分の偏差値は〇〇」とい言っている人は、どこかの業者の模擬試験の成績表に書かれた数字のことを指して言っているのだろう。もちろん、自分と同じ状況、例えば同学年の世の中の人すべてがその試験を受けたわけではないということが分かったうえで使っているのだと思いたい。

 偏差値にまつわる “もやもや感” を整理しようと思って書き出したが、どうもうまくいきそうもない。元々のきっかけは、テレビのバラエティ番組で出演者が「偏差値**の〇〇校卒業!」と紹介されたことに、どうも引っかかるなと思ったことだった。

 もしかしたら、偏差値そのものに対する違和感というよりも、いったん数字になってしまうと、その前提条件にどれほど不確かな要素があっても、人はその数字を “確かなもの” と思いがちということなのかもしれない。それにしてもなー。どうもすっきりしない。

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