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母と映画と映画館、少し父

小さい頃から映画が好きで、映画館へ行くのが何よりの楽しみであった。

近所にレンタルビデオ屋がオープンすると毎日のように通い、レーザーディスクを手に入れてからは好きな映画を買っては何度も何度も繰り返し観た。特に「レオン」は一番のお気に入りで全セリフを覚えるぐらいリピートした。映画好きが嵩じて大学では映画研究会に入り、社会人になってからも毎週のようにレイトショーへ行って、ブルーレイを買いため、今はNetflixで気になる作品を観ている。

自分が映画好きになったのは母の影響が大きいと思う。

先日片づけをしていて押し入れから出てきた大量の映画パンフレットと映画グッズを見ながら、母と映画と映画館のことを思い出していた。母の七回忌を迎え、母との思い出が少しずつ薄れていくことを感じており、その前に母と映画のことを残しておこう、そう思ったのである。


「釣りバカ日誌」と母

釣り好きの父は漫画「釣りバカ日誌」が大好きで毎週のようにビッグコミックオリジナルを読んでいた。そんなこともあって「釣りバカ日誌」もレンタルビデオになったらすぐに貸りて、家族で観ることとなった。

だが、後に国民的映画シリーズとなる「釣りバカ日誌」も一作目時点ではそんなことは微塵も思ってもいなかったらしく、少し大人向けの映画になっていた。ハマちゃんとスーさんのやりとりは子供ながらにも面白いものであったが、布団が出てきて真っ黒の画面に切り替わり、大きな文字で「合体!」と表示される演出を理解できず、無邪気な自分は「合体って何?」と母に聞いていた。母は映画に夢中で話が聞こえないフリをしていたが、何度も何度も「合体!」が登場する度に、「合体って何?」と自分が聞くため、不穏な沈黙が続き、コメディ映画のはずなのに葬式みたいに場がシーンとなってしまったのである。

今となっては「釣りバカ日誌」といえば、その記憶しかない。

「バットマン」と母

記憶を辿ると、母と二人で映画館へ行った初めての映画は「バットマン」であった。学校の友達が映画館で観て面白かったという話を聞いて、母にお願いしたところ「銀座」の映画館に連れて行ってくれた。地下鉄に乗って街へ出て「銀座」の街を歩いて映画館に向かう道のりは、ワクワクして楽してしょうがなかった記憶がある。映画の後、「銀座」でクリームソーダを飲んだ。地方から上京してきた両親には「銀座」という街への憧れみたいものがあって、「銀座」へのお出かけは母にとっても特別なものであったように感じた。

「バットマン」の映画ではジャック・ニコルソン演じるジョーカーを今でも鮮烈な記憶だ。子供ながらにバットマンを好きになっており、バットモービルの実物が見たくて、当時八王子にあったシグマ・バットマンビルまで連れて行ってもらったことを忘れていない。

「ペット・セメタリー」と母

神戸連続児童殺傷事件が起こる前まで、ホラー映画はよくテレビ放映がされていて、母も好きで良く観ていた。「グレムリン」や「ゴーストバスターズ」のようなコメディタッチのものだけでなく、「チャイルド・プレイ」や「エルム街の悪夢」「13日の金曜日」はシリーズ全部を観ていたし、特にスティーブン・キング原作ものがお気に入りであった。父はホラー映画が苦手ということもあり。もっぱら二人で観ることが多かった。

母とたくさんのホラー映画を観たのだが、その中でも特に「ペット・セメタリー」は怖かった。。。

死んだ生きものが蘇る、が生前とは何かが違うというペット・セメタリーを舞台に、子供を事故で亡くした親がその禁断の領域に踏み込んでいくという内容もさることながら、人間自体が狂気に堕ちていく過程がとにかく怖かった。しばらくはお墓に行きたくはないぐらいトラウマになった。

一体、母はどんな想いで「ペット・セメタリー」を観ていたのだろうか…自分も娘を持ってそんなことを考えるようになった。が、母のことなので何も深くは考えてはいなかったかもしれない。。。

「ダイ・ハード2」と母

親戚にメチャクチャ面白い映画があるよと薦めれて観たのが「ダイ・ハード」であった。当時はまだ無名に近かったブルース・ウィルスだが、ビルの中で奮闘する等身大(?)の姿と想像以上に激しいアクションシーンに子供ながらに感動したことを覚えている。

その第2作目が公開されるということで家族で観に行った。
で、期待以上の面白さに「映画って本当にいいもんだな…」と子供ながらに感動した。

燃料切れ直前の飛行機が燃える火を目印に次々と着地していき、「Let it snow. Let it snow. Let it snow…」とクリスマスの曲が流れ出す…映画史上に残る傑作と今でも思う。今でもクリスマスになると母と一緒に見た「ダイ・ハード2」のラストシーンが思い出される。

「ターミネーター2」と母

ジェームズ・キャメロン作品は左川家では毎回観るのが恒例となっていた。「ターミネーター」は何度観ても楽しいし、「エイリアン2」はホラー映画が嫌いな父ですら最後まで観ていたし(もちろん母は喜んでいたが)、「アビス」の圧倒的な映像体験は感動すら覚えた。

そして、待ちに待った「ターミネーター2」ということで観ないわけにはいかなかった。

激しいアクションシーンと未知の映像体験、そして泣けるストーリー…すでに高まっていた期待値を圧倒的なレベルで超えていた。映画を観て震えるという体験は初めてだったかもしれない。母は映画館では特に「面白かった」といった言葉は発してはいなかったが、その後もレンタルビデオを貸り、テレビで放映される度に繰り返し観ていた。多くの映画は一度しか観ないことが多かった母にとって、きっと「ターミネーター2」はかなり好きだったに違いない…と思われる。

少し自分のこと

大学生になると家族で映画を観る機会は一気に少なくなっていった。
大学の友達と映画館に行ったり、深夜に一人で部屋でこっそりみたり…とだんだんと自分自身の観方が変わっていったことにもよる。これまではハリウッドメジャー系の王道映画を好んで観ていたのだが、もっと"オシャレな映画"を観ないといけないんじゃないかという謎の想いに駆り立てられていったわけである。

大学の近くに名画座というマニアックな映画を取りそろえたレンタルビデオ屋があり、そこに通って様々な映画を観てみた。「ポンヌフの恋人」にはこんな恋愛映画があるのか!と衝撃を受けたし、「ピアノ・レッスン」の映像と音楽には震えたし、「オープン・ユア・アイズ」の圧倒的なストーリーには惹きこまれたけど、「桜桃の味」は何が良いかわからなかったし、「シン・レッドライン」は銃撃戦の中で寝てしまった。

ハリウッド映画以外ではレオス・カラックスやパトリス・ルコント、アレハンドロ・アメナーバル、ヤン・シュヴァンクマイエル、石井隆、黒沢清等が好きなんだぁというのが自分でもなんとなく見えてきたが、一周回ってやっぱりエンタメ映画が自分には合うんだなと思った…このあたりはやはり母の影響が強かったのではないかと思う。

「悦楽共犯者」と母

ヤン・シュヴァンクマイエル作品を初めて観て、その世界観と狂気じみたコマ撮りにハマってしまって、全作品を観ようと探し回っていた。だが、「悦楽共犯者」がなかなか見つからなかった。ある日、実家近くにあった「ファミリーブック」というレンタルビデオ屋にあるのを発見して、すぐに貸りることとした。

だが当時、映画研究会で自主映画制作に没頭しており、家に帰らない日も多くてすっかり返却を忘れてしまっていた。そのため、母に電話して「悦楽共犯者」の返却をお願いしたのである。

だが、後日こっぴどく怒られた。
「アダルトビデオを親に返却させるなんてどういうことだ!」
と母が怒り心頭であった。
「いやいや、これはヤン・シュヴァンクマイエルというチェコの映画監督の実験映画で…AVではない!」と説明をしたのだが、延滞したAVの返却をさせられたということで、こちらの話はまったく通じなかった。

だがよくよく考えたら、「悦楽共犯者」は"自慰機械の制作に没頭する人間たち"を描いたものであって、母の解釈もあながち間違いではなかったのかもしれない笑

「ワールド・ウォーZ」と母

社会人になってから一人暮らしを始めたこともあって、母と映画を観るという機会はほぼなくなっていった。時々、実家に帰ってタイミングによっては一緒に映画を観ることはあったけど、概ね観た映画についていろいろ聞くだけのことが多かった。

定年退職をした父は時間がたっぷりあることもあり、夫婦で近所のマイカルへ車で行って映画を観に行くのが習慣化していた。シニア割が使えることもあって、メジャーな新作映画はほぼほぼ網羅していたようである。同じ建物内にハマ寿司や中華料理屋など飲食店もあったので、早めに行ってご飯を食べてから映画を観るというのが恒例となっていた。

「ワールド・ウォーZ」は予告編を観たときにブラッド・ピット主演でゾンビものでアクションシーン満載ということできっと母が好きだろうと思い、公開初日に連絡をしてみた。が、「もう観たよ」とのことだった。「どうだった?」と聞くと、いつもお決まりの「良かった」という感想。母は観た映画のことを悪く言うことがほとんどない。

その夏、父が脳出血で倒れた。

炎天下の中、近所の地主に借りた畑をひたすら耕し、翌朝そのまま起きてこずに意識不明となって病院に運ばれたのである。そして、意識が戻ることなく、そのまま肺炎で亡くなった。

母が最期に父と一緒に観た映画が「ワールド・ウォーZ」となった。

「クリーピー 偽りの隣人」と母

父の生前は近所のシネコンに毎週のように通っていた母だが、父が亡くなってからは移動手段がなくなったこともあり、映画館からは自然と足が遠のいていった。ガンが進行し脳に転移していったこともあり、半身が動かなくなって、母は外に出ることがだんだんとおっくうになっていた。自分は月一程度で実家に帰っていたのだが、駅前で母が好きそうな映画を貸りて来て一緒に観たりしていた。

たまには映画館に連れて行きたいと思い、母に何か観たい映画はないかと聞いたところ、「クリーピー 偽りの隣人」との返事が来た。テレビで流れていた予告編を観た母が「香川がなんか面白そうだから…」と言うので、軽いノリで観ることにした。

正直なところ、想像以上にエグい話でびっくりした。。。
昔からアクション映画と同じぐらいホラー映画が好きだった母にはちょうど良かったのかもしれない。脚本を担当していた池田千尋さんは同じ大学で自主映画をやっていたということもあって活動を注目していたのだが、まさか「クリーピー 偽りの隣人」を手掛けていたとは…と2重でびっくりした。

「シン・ゴジラ」と母

放射線治療をしていたものの転移したガンを取り除くことはできず、病気は緩やかに進行し、母の体調も少しずつ悪くなっていった。何を食べても味を感じることができず、次第に食も細くなっていった。

実家に帰る際に何か食べたいものはないかと聞くと「ケンタッキーのチキン」というので、駅前で買って一緒に食べたのだが、やはり味はしなかった。なんとか元気づけようと「庵野秀明のシン・ゴジラを観に行かない?」と誘ったところ、「うん」と答えがあった。少しテンションがあがったようだった。

タクシーを呼び、良く通っていたシネコンへと向かった。
父と母が一緒に良く通った道を走りながら、「新世紀エヴァンゲリオン」を母と一緒に観たときのことを思い出していた。「面白いから騙されたと思って観てみなよ」とテレビ放映を録画したビデオテープを再生した。母は何も言わずに全話を観た。

映画が始まるまで時間があったので、建物内にある中華料理屋へ行った。夫婦で映画を観に来た際は、いつも食事をしていたお気に入りの店であった。母はラーメンと春巻きを食べようとしたが、ほとんど食べることは出来なかった。か細い声で「杏仁豆腐は食べて…」いうことで自分が食べた。

映画は想像以上に面白かった。ワクワクするようなストーリー展開に母が好きなアクションシーンが満載だった、

「面白かった?」と聞くと母は「うん」と答えた、
それが母と一緒に観た最後の映画となった…


おわりに

最近はめっきり映画を観なくなってしまった。
子育て中ということもあるが、自分の中での優先順位がかなり下がってしまっていることが大きい。

先日3歳になったばかりの娘は良く絵本を読んで欲しいとせがむ。何度もリピートしていくうちにセリフを覚えてしまう、そんな娘の成長を感じながら、いつか一緒に映画を観る日を楽しみにしている。

初めて娘と一緒に行く映画館は「銀座」にしようか、それとも父と母がよく通ったあのシネコンにしようか…

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