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勉強法というほどたいそれたものではないが、心がけていること

こんにちは
イデアレコードの左川です。

「勉強」というと学生時代までのものとして思われがちであるが、社会に出てビジネスをやるようになっても子育てをやるようになっても、新しく学ばなければならないことは常にあり、人生には「勉強」が付きまとう。幸運なことに自分自身は「勉強」が嫌いではなく、むしろ「勉強」することに快感すら覚えているふしもあったりする。

自分の娘もまもなく4歳となり、広い意味で「勉強」というものが大切になってきている。そんな状況も相まって今回は自分のことを振り返りつつ、「勉強」について書いてみたいと思う。ただ勉強法というほどたいそれたものではなく、「勉強」にあたっての心がけに近いかもしれない。「勉強」について課題を抱えていたり、壁に直面している方々に少しでも参考になれば幸いである。


「継続」する力

いろいろな書籍で語れられ、多くの方が言っているように何事も「継続」することは重要だ。何かを身に着けようとした際、すぐにマスターできるような天才はごく稀であり、多くの人は継続的に「勉強」を続けることによって少しずつ出来るようになっていくのが普通だ。そうすると「継続」して「勉強」ことができるというのが非常に大切な力となってくる。

公文式が子供の教育にとって有効な理由の一つが「勉強」することを習慣化させることが出来ることにある。同じような問題を延々と繰り返し、少しずつ難しい問題が解けるようになっていく工程はよく考えられている。東大に合格した人が小さいときにやっていた習い事で公文式が上位にランクインされていることからもその有効性が証明されていると思う。大事なのは公文式が直接的に受験に役立つわけでなく、「継続」する力を頭と身体に叩きこんで、それを「普通」にしてしまうところにある。

もちろん「継続」する力は公文式だけでしか身につけられるものではない。水泳やサッカー、空手、体操などのスポーツも日々の練習を積み重ねていくことを通して、同様のことが鍛えられる。もっと言うとお絵描きや読書、ゲームでもなんでも良くて、継続的にやり続けて小さなゴールを積み重ねていく、その体験が重要だ。

もちろん小さいときの方が「継続」する力は身につきやすい。が、大人になってからでも遅くはない。趣味や自分の好きなことに没頭してあっと言う間に時間が経ってしまっていたことは誰にでもあるはずだ。自分の好きなことであれば、「継続」することはできる。

楽しめる力

好きなことであれば、簡単に続けることができるが、世の中はそういうものだけではない。そこで次に重要になってくるのは、何事にも楽しみを見出し、自分自身が「楽しめる力」である。

意味がないものを延々とやり続けることは苦痛にしかならない。だが、どんな作業や業務であっても自分なりの工夫次第で楽しくすることが可能だ。同じように見えて少しずつ自分なりのアレンジを加えて違いがあるかを検証していく、スピードが速くなっていくのを実感する、などちょっとした変化を感じることで楽しるようになったりする。また、単に切り離された作業ではなく一連の連続したものと捉えることも有効だ。例えばバットの素振りをすることは、経過であってゴールではない。素振りを通してバッティングが上手くなり、結果としてヒットやホームランが打てるようになり、試合に勝てたりする。そう捉えることで、バットの素振りは単なる練習から、RPGで言うレベルアップのための経験値稼ぎに変わってくる。

そんな風に捉え方を変えることで、何事も楽しいことに変えることができる。働くことが楽しそうであったり、どんなに厳しい練習にも耐えられる人はきっとそんな風に考えているはずだ。

基本を見極める力

最後に「勉強」するうえで大切なのは「基本」を覚えることだ。
「基本」の話をするときよく出てくるのが「空手の型」だ。いきなり自己流でやっても強くはなれない。まずは基本の型を身体が覚えるまで徹底的に叩きこんだうえで、自分なりのアレンジを加えていくことで、初めて自分の型というものが出来る。「基本」が出来ていない自己流は単なる自己満にしかならない。

それは「勉強」においても重要だ。あいうえおが読めなければ、文章を読むことはできない。数学の公式を覚えていないのに応用問題を解くのはナンセンスだと多くの人がわかっている。が、「基本」を疎かにして失敗をしてしまうことは多々ある。特にいわゆる教科書を読んだら「基本」がわかるようなものは良いが、ビジネスにおいては「基本」が明確にされていないことも普通だったりする。そうすると何が「基本」なのかを見極めることが始まりだったりする。それぐらい「基本」は重要で且つが奥が深いものである。

繰り返しになるが、最初に「基本」が何かを見極めること。すべてはそこから始まるはずだ。

終わりに

自分自身は決して「天才」ではないが、「継続」する力は比較的ある方だと思う。
中学受験で新御三家と呼ばれる中高一貫の私立へ行き、本命の大学には落ちたが人気の私大に入ることは出来た。そんな中で、勉強では足元にも及ばない天才や、文学や映画、演劇などの芸術領域における天才を見てきた。社会に出てからも企画書やファシリテーション、営業的感覚の優れた人やクリエイティブのセンスがぶっ飛んだ人等、多くの天才を間近に見てきた。そういう環境の中で、自分自身が「勉強」を「継続」してきた方法というものは、何かしらの有効性はあるのではないかと思う。

まずは基本を覚えることを徹底し、その過程で自分なりの楽しみを見出し、習慣化ができるようになること。そして「勉強」の入口に立つことができるようになる。
これが勉強法というほどたいそれたものではないが、心がけていることだ。


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