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フライパンじゅーじゅーは幸せの音14-2022/09/07

  夏休みも過ぎ2学期が始まった。この1年、小学校等を訪れてワークショップをする活動(CAPプログラム*1)にどっぷりのおかげで、2学期というワードが妙になじんでいる。ふと自分のこれまでの夏休みを思い返すとき、突如聞こえてくる音がある。フライパンのじゅーじゅー音、私には忘れられない音だ。

 44年前の高校3年生の夏休み(厳密には夏休みの前だったかも)。
 これまでもnote数本に書いてきたが、44年前私が18歳の初夏、父は脳梗塞で倒れた。2か月かけて意識が戻り生還、発症から1年経て退院できたが、重度の障害をもつ身となった。高校3年生の夏、母は病院に泊りこみのまま、姉は会社員しながら毎日病院に寄ってからの帰宅。私は、病院に行くのは1日おきくらい。進学はできないと一時は諦めたが、一度のチャンスは得られることになり受験生していた。

 今書くのはとんでもなく恥ずかしいが、私は冷凍ピラフを一人で食べることもできない情けない高校生だった。トーストくらいは焼けたから、一人でいるときはそんな食生活だっただろう。そんな夏休みのある日、叔母(母の妹)が家に来て料理をつくってくれた。肝心の料理が何だったのか覚えていない。なのに、フライパンのじゅーじゅーいう音が今でも鮮烈に蘇る。

 あーーー台所が歌ってる♪油も踊ってるー♪

 フライパンの周囲に音符が飛び交い、楽しい曲が聞こえてくる、そんな感じだった。スヌーピーならハッピーダンスをするとこだ。父も母もいない自宅で過ごす日々が続き、久しぶりに聞いた楽しくてたまらない音の数々。家の食卓で、おしゃべりしながらのごはん。食卓には音がある。わくわくする楽しい曲が鳴る。

 あのときフライパンを振ってくれた叔母は、今年米寿を迎えた。今もバランスよい食事づくりをしながら日々を送り、頗る元気だ。でもこのことは憶えていないらしい。当時普段していることを、私の家でもさくっとしてくれたからだろう。まさか44年も私がずーっと記憶していることの方がびっくりにちがいない。あやこばちゃん(叔母の呼び名)のフライパンの音、私をいーっぱい幸せにしてくれたんだよ、ありがとうって改めて言いたい。

 フライパンの音は、あのときの私を幸せにしてくれただけではない。その後ソーシャルワーカーとして生きていくことになり、出会った目の前の人と向き合う際の私のなかで、幸せのひとつの指針にもなった。

 この方は、楽しい音が鳴るような食卓をもっているだろうか。

 幸福感は人によって異なる。だからこれを、ソーシャルワーカーの実践の指針として本当に用いたわけでは、もちろんない。だが、目の前の人を知ろうと懸命になるときに、私の頭に浮かぶ問いかけのひとつにはなった。

 叔母の振ったフライパンのじゅーじゅー音から、私は、私の幸せ観を知ったのかもしれない。あの時のフライパンはもうないのだが、亡き家族と共にし、たくさんの楽しい音が鳴っていた食卓テーブルそのものを長年手放せなかった。どの引っ越し先にも運び、年季が入ってからはテーブルクロスをかけて使用した。ようやく手放したのは8年前(2014年)。実家を出てから30年近くが経っていた。現在共に暮らすツレと、これからもずーっとごはんを食べ続ける覚悟ができて買い替えた。昔のテーブルと同じような色を選んだが(笑)。もっともっと楽しい音の鳴る食卓にしたいと思っている。料理好きとは言いがたく時々指も切るし、総菜を買う日もある。それなりのなんちゃって料理が多いが、毎日ツレとごはんを仲よく食べている。わが家の食卓をたくさんの人に囲んでほしいとも思っている。コロナ禍、誘うのは憚れる日々が続いた。そろそろ声かけできるだろうか(願)。
 
(表紙の写真は、フライパンのじゅーじゅー音でこんなに幸せだよ~♪と踊っている感じ。2022年6月24日パッチとのクラウンツアーの日に撮ってもらった写真です。 
下の写真は、スヌーピーのハッピーダンス。パッチ・アダムス氏のFaceBookに投稿された写真です。スヌーピーはもっと踊り狂うこともあります(笑))

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*1 筆者は、NPO法人CAPユニットに所属して、CAPプログラム(子どもへの暴力防止)を実践している。CAPユニットのサイトhttps://www.cap-unit.jp/


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