見出し画像

「定型発達」第7回-定型発達は議論が苦手

#発達障害#アスペルガー )当事者から見た普通の人達( #定型発達 )の不思議な特徴とその理由について書いていきます。連載。

・定型発達は議論が苦手
・「議論」は言い争い?
・とにかく丸く収めたい

・定型発達は議論が苦手

 物事に対する考えはひとりひとり違います。ですから、何かを一緒にする場合、お互いの考えを述べてすりあわせをしておくことが大切です。場合によっては意見の統一を図る必要があるかもしれません。
 そのためにはきちんと #議論 を行う必要があると私は思いますが、定型発達の人達は、あまり議論をすることが好きではないように感じます。

 ひとつには彼らの間では非言語的コミュニケーションによって、議論するまでもなくすりあわせが行われているため、ということもあるでしょう。「そんな当たり前のことをいちいち言わなくても」ということです。
 しかしそれだけでなく、議論することそのものを苦痛に感じているふうもあります。議論の当事者同士が特に苦痛を感じていないのに、聞いている第三者が議論をやめさせようとすることすらあります。

・「議論」は言い争い?

 なぜ第三者が議論を止めようとするのか、最初わからなかったのですが、定型発達の人には「議論」が「口論」、つまり言い争いの喧嘩にみえるらしいということがわかってきました。
 議論はそれぞれの考えを述べ、お互いに質問し合ってその理由や詳細を知り、より発展した考えにする(場合によっては理解や目的の共有に至る)ための行為です。互いの持論を競わせる「論戦」もありますが、それ自体は喧嘩ではありません。

 ですが、前にも書いたように「理解」と「共感」が区別しづらい定型発達にとっては、強い言葉でのやりとり自体が感情的な言い争いに見えてしまうのかもしれません。
 実際、議論のつもりでいると相手が「攻撃を受けた」と感じて話がこじれたり、人格否定的なことを言われたりすることすらあります。定型発達の人からは「気持ちへの配慮がない」と言われることもよくあります。
 こちらも人間なのでそうしたことによって感情的になることもあり、そうなれば議論は実際にただの口論になっていってしまいます。

・とにかく丸く収めたい

 定型発達の人はグループが平穏であることを望んでいます。
 そのため、言い争いのようにみえる「議論」は彼らを落ち着かない気持ちにさせるのでしょう。彼らは何とか議論をしているものをなだめ、終わらせようとします。

 建設的な議論をしてよりよい結論を導き出すことは社会にとって有用なことだと思うのですが、議論のトレーニングを受けていない定型発達が多数を占める場では、なかなか難しいのが現状のように思われます。

まとめ

 定型発達は議論を争いと感じるため、苦手意識を持ち、終わらせようとする、ということについて書きました。
 日本では議論のトレーニングは殆ど行われておらず、多方面からの意見を取り入れて議論による合意形成を行う代わりに「場の雰囲気」で物事が進んでいく傾向が見られます。

-----------------------------------------------------------------------------------
注意:この文章は著者の個人的な考えによって書かれています。
「すべての」定型発達の人に当てはまるわけではありません。
発達障害には「 #自閉症スペクトラム (アスペルガー症候群を含む)」のほか「ADHD」および「LD」があります。ここではアスペルガーである私の視点からの記述のみを行っています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?