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下僕日記(2021.12.13)

手の甲の傷が消えかけている。

4日くらい前、猫にひっかかれた傷だった。赤く細い線がファスナーのように浮いていた。それが薄くなって、新しい皮膚でふさがりかけている。

切り傷が確実にふさがっていくのを見ると、傷っていつかはふさがるものなんだと感心してしまう。時間って不思議だなと、いつも思う。

4日前、イライラしていた。こんなに深いのは久しぶりのことだった。

その日の夜は我慢できなくて、行きつけの居酒屋さんでお酒を飲んだ。食べたいものをもしゃもしゃ食べた。
お腹が落ち着くと、小さな本屋さんで読みたいと思った本を酔っぱらいながら片っ端から買った。古本で助かった。
購買欲が落ち着くと、小さなバーに行って、「イライラがおさまるお酒と音楽オネガイシマス」とマスターにお願いした。用意してくれたお酒と音楽で、僕のイライラはようやく静まり始めた。

家に帰ってシャワーを浴び、布団に入るとすぐ眠くなった。
でもイライラはまだくすぶっていた。それでも眠気は容赦なく僕を飲み込んで、眠りに引きずり込んだ。

次の日、久しぶりにプールで泳いだ。

塩素の匂い、くぐもる誰かの声、はねる水が反響する音。今風のBGMも流れている。学校のプールではそんなもの流れていなかった。何の材質かはわからないけど、コンクリートや硬いタイルじゃないものが、歩くと素足を受け止めてくれる。どこを見ても、雑草や苔らしいものは見当たらない。

屋内の温水プール、すごい、と思った。

温泉に浸かるのとはまた違う、全身が抵抗なく水に包まれる感じに、ため息が出た。重力が抜けて体が軽くなった。歩いて、25メートルプールを5往復くらいした。クロールと平泳ぎで3往復くらい。慣れない回し方をして、肩の筋肉が引きつった。自分の体の硬さに苦笑した。体がほぐれてきたところで、クロールと平泳ぎで100メートルずつ泳ぎ、プールから出た。息が切れていた。体にたまった疲労が気持ちよかった。

その後、近くの温泉に行った。
塩素のにおいがする髪と体を洗って、お湯にゆっくりつかった。
平日の午後の三時頃。人がいないので、思う存分、足を伸ばした。

さっぱりした。

なんで自分は強い怒りを覚えたのか、考えられるくらいには、すっきりしていた。空が夕焼けに染まりかけてきた時間帯、軽トラで国道7号線を走りながら、ああ、こういうことが心底おれは嫌なんだと思った。クリアになった「嫌」は、いやではなかった。いっそ清々しかった。

嫌なことはたくさんあったはずだ。その大部分はもう思い出せない。思い出せるのは、若くてものを知らなくて、しでかしたことばかりで。小学生の時のことをふと思い出して、今でも頭をかかえたりする。恥ずかしくなる。

最近、29歳になった。あと1年もすれば、30歳になる。体の傷の治りは遅くなっていくだろう。逆に心の皮は分厚くなって、簡単に傷ついたりすることはなくなるのだろうか。それともそれぞれの年齢にはちゃんと、傷つくことが用意されていて、30歳になっても、40、50、60と年を重ねていっても、相変わらず僕は傷つき、イライラしたりシクシクしたり、しているのだろうか。

それはそれで悪くないなあと思う。

胸板がいい感じに育っているので、水泳は続けようと思った。


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