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『タウシュベツ日誌 第0号』Column+2019年9月②/7

前項 『タウシュベツ日誌 第0号』巻頭


Column01 ー15年ー

〈2010年1月23日〉まだ立ち入り禁止エリアが設けられず、橋の間近まで近寄ることができた頃。アーチ橋の影にも凹凸がなく見事なシルエットが雪の上に浮かんでいた。この橋が2,3年で崩れると、なぜ誰もが考えていたのか、今となっては不思議だ。


 タウシュベツ日誌を作るのに合わせて、2005年から始まる15年分の写真を一か月間ほどかけて振り返ってみました。タウシュベツ川橋梁だけを撮っているわけではないとはいえ、大部分は同じ橋の写真。一枚一枚を丹念に眺めるには、もうだいぶ撮り過ぎたようです。完結した後に見返せば、また違った感慨が湧くのかもしれませんが、今はまだいつ終わるとも知れない物語の途中。その作業に飽きないと言えばうそになります。

 そんな作業の合間に目が止まるのは、もう二度と撮れない奇跡的なタイミングに出会えた時の一枚。ではなく、なぜ撮ったのか、自分でも記憶にないような写真です。いつの写真なのか、すぐに辿れるのがデジタルカメラの便利なところですが、撮った理由までは分かりません。自分の写真を見ながら当時の心境に思いを巡らせる。そんな日が来ることを、撮り始めた頃には想像もしていませんでした。もっとも、15年間も写真を撮り続けることすら想像していなかったことですが。
 
 そして、橋がまだ崩れずに立っている2020年を知ると、「あと2、3年で崩れる」と言われていた2005年頃のタウシュベツ川橋梁が「15年くらいは持ちこたえそう」に見えてくるのが不思議です。 「今年で見納め」と言われる現在の様子は、将来振り返ったとき、どのくらい頑丈そうに、あるいは脆そうに見えるのでしょうか。

『タウシュベツ日誌 第0号』P09


〈2008年5月3日〉間もなく崩れる、ということで立てられていた看板。

2019年9月 P10-15

2019年9月21日 切り株とともに

〈2019年9月21日〉1955年、糠平ダム完成とともに水没するエリアの木々は切り倒され、切株だけが残された。所有者がいない、という点でタウシュベツ川橋梁とも重なる。P10


2019年9月2日 低水位の影響で

〈2019年9月2日〉夏になっても糠平湖の水位が低く、湖底が水没しなかったことで一面に草が生い茂った。秋になり、例年と同じようにじわじわと水かさを増した湖に沈んでいく。P11

『タウシュベツ日誌』note版だけで公開するタウシュベツ川橋梁の2019年当時の映像です。

2019年9月5日 YouTube『タウシュベツChannel』より


2019年9月21日 雲と橋を映し込む水面

〈2019年9月21日〉以前東京で開催したタウシュベツ川橋梁の写真展会場で、一番多く受けた質問は「これはどこの国ですか?」というもの。北海道です。と答えるときの気分はうれしさとも誇らしさともつかないものだった。ただ、本当に日本なのかと疑いたくなるような光景に、今でもたまに出会うことがある。 P12-13


2019年9月26日 けあらしに包まれる

〈2019年9月26日〉けあらしに朝日が射し込み、文字通り黄金色の光にタウシュベツ川橋梁が包まれた。糠平湖の水位が低く、気温が氷点下近くまで冷え込む時期まで橋が沈まない年にだけ見ることができる光景。P14-15

次項『タウシュベツ日誌 第0号』2019年10月



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岩崎 量示|Ryoji Iwasaki
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