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AI時代「考えることを放棄した怠慢な人」にならないために、「自分の言葉」を持つことの重要性

スマホで始めるYouTube講師
かとうさやかです。

少し前に「ファスト映画」が話題になりました。私はこのニュースを目にした時、この問題の本質は「考えることを放棄した思考の怠慢」だと思いました。

Wikipediaによると、ファスト映画とは

「映画の映像を無断で使用し、字幕やナレーションをつけて10分程度にまとめてストーリーを明かす違法動画である」

https://ja.wikipedia.org/wiki/ファスト映画

とのことです。

私が気になったのは、違法であることもそうなのですが、「10分で映画のあらすじをさらうことの意味」です。

あくまで私の場合ですが映画鑑賞の醍醐味は鑑賞中や鑑賞後に起こる「感情の変化」だと思うのです。

物語に入り込んでドキドキしたり、ハラハラしたり、ロマンチックな気持ちになったり悲しくなったり。

また私はクリエイターなので、撮影の手法や構成を想像しながら鑑賞するのも大好きです。「ここはドローン撮影でここからCGに切り替わったな」とか、「ここで泣かせにくる演出か」とか、「ここでライティングを切り替えて主人公の気持ちを表現したのかな」とか、「若手俳優を主人公にしてベテランの脇役で安定感出してきたかな」など。

もっと言えば、作品を見た上での「自分なりの答えや解釈」を探すのも醍醐味です。


10分でまとめて明かされたストーリーを見ても、臨場感のある感情の変化は起こらないだろうし、何より「まとめ」には必ず「まとめ手の解釈」が主となります。

つまり、「作品を見た上でそれぞれの解釈を楽しむ」という究極の作品の楽しみが生まれない。


それって違法かどうかの前に、とても貧しいことだと思いませんか。


私は最近、小説『蜜蜂と遠雷』の影響でシューマンの「ノヴェレッテ」という曲にどハマりしています。

ノヴェレッテとは「冒険小説」という意味で、タイトル通り、冒頭からまるでこれから冒険が始まるような高揚感があります。

(とってもかっこいいので、冒頭だけでもぜひ聞いてみてください!)

私がクラシック音楽が好きなのは「答えを説明しすぎないからこそ、解釈が多様であること」です。

もっと言えば、クラシックは演奏家によっても解釈が変わります。ノヴェレッテはピアニストの福間洸太郎さんの演奏バージョン(YouTube動画とは別の方)を購入したのですが、他の方の演奏で聴くと表現が違います。福間さんの演奏に慣れすぎて、他の方の演奏にちょっと違和感を感じたりします。

こうして「好きな解釈」を見つけられるのも「答えを多く語らない」クラシックの楽しみだと思っています。

「自分の中に答えを持つこと」って、「誰かの答え」が溢れている情報社会においてめちゃくちゃ大事なことだと思うんですよね。


知識は知ること自体が目的ではなく、それを仕入れた上でどう自分の思考の土壌に生かすかが大事かと思います。

AIが雄弁に語ってくれる今の時代は、誰かの答えを仕入れてまるで自分の言葉のように語ることができる。情報社会の便利さでもある一方で、思考の怠慢であるとも思います。

たくさんある答えの中から、「自分の答え」をちゃんと持ち自分の言葉で発信していくこと。このAI社会、情報社会で何より大切なことなのではないでしょうか。


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