長崎原爆の日が来るたびに・・・

もう20年以上も前のことだ。
朗読の修行をしていた頃(今もまだまだ修行中だが)、
田中隆子先生のもとで、
朗読劇「この子たちの夏」に出演をした。
この作品は広島と長崎の子供たちの被爆体験の手記を、朗読劇の形にしたものだ。

初めて脚本を読んだ時、
あまりの衝撃に、私は涙が止まらなくなってしまった。
それから2週間、脚本を手にすることすらできなかった。

それでも少しずつ、
自分に言い聞かせるようにして、
共演者とも対話を続けて、
なんとか、
とぼとぼと声に出せるようになった。

私が担当したのは
長崎の女の子が書いた手記だった。
お家で遊んでいたら、窓の向こうがピカッと光って、
気づいたら瓦礫の中に倒れていた。
お昼に食べるナスをもぎに畑に行っていたお母さんが、
ひらひらした着物を着て猛烈な勢いで走ってきたと思ったら、
それは着物ではなく皮膚だった。

気づくと妹がいない。
家の太い梁の下敷きになって泣いていた。
お母さんは、皮膚が剥けた肩に梁を乗せて、渾身の力で持ち上げようとした・・・。

その梁を持ち上げる場面がありありと浮かんで、
何度読んでも声がつまってしまった・・・

それまでは、
悲しいお話は一度読んだら次は泣かない。
予想できるから、
とドライに思っていた。

ところがこの脚本は違った。
何度読んでも同じところで涙が出てしまう。
プロとしてそんなことではいけない!
ドライになればいいのか、
涙が枯れるほど読みきればいいのか・・・
わからないままにただ稽古をした。

するとある時から涙が出なくなった。
声が詰まらなくなった。
少女を俯瞰で見てかわいそうと思っていた私が、
少女自身になったのだ。
この手記を書いている私。
その時、悲しみは川底の泥の中に潜ったようだった。

そして、多くの観客を迎えて、朗読劇は行われた。

「この子たちの夏」は、当時脚本の権利が複雑で、
その後、私たちが上演することは叶わなかった。
今でも、長崎原爆の日が来ると、
あの時のことを思い出す。

その手記を書いた少女は、どうしているだろう。
まだご存命だろうか。
もう二度と、あのような悲劇を、
世界中のどこにも起こしてはならない。
長崎が最後の被爆地でありますように。
祈りを込めて。

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