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一体感を与えずにメンバーの貢献意欲を高める組織開発

組織は、意識的に調整された2人またはそれ以上の人々の活動や諸力のシステムであって、そこに参加するメンバーには共通の目的・貢献意欲・コミュニケーションがあることと定義とされます。この定義は、今でも、その集団が組織と呼べる集団であるかどうかの、ひとつの判断材料になると考え、この定義にしたがって組織の発展形態を概観してみたいと思います。
組織の誕生は、おそらく自然発生的なものではないでしょう。例えば、商品の量と種類は消費者が決定するとするなら、人は儲かるから集まるのではなく、消費者が望むから集まるということになります。そこへの合意が「共通の目的」になっていくと考えます。そして様々な角度から議論され、数多の方向性が検討され、それらが体系化されることによって、組織としてのカタチが見えてくるのだと思います。この際には、組織メンバーが互いにフラットで、互いの意見を尊重し合うコミュニケーションが存在することになります。換言すれば、互いが他者の意見に影響されるという意味で、その関係性はシステムになっているとも言えます。
しかし、体系化された総体だけでは、活動の源泉は生まれません。具体的に何をするのか、向かうべき方向性を具体的に決めていく必要があります。つまり、「共通の目的」の具現化は、何ができるのか、何が今あるのかを現実的に検討することによって、自然発生的に収斂されていくようにも思われます。しかし実際には、強力な何か(サービスであったり、技術であったり)が、そもそもは最初に在り、そこに人が集ってくるのかもしれません。すなわち、個々人が初めに抱いていた「共通の目的」が、具現化された「共通の目的」に対して後付けになっていくという逆転現象が、そもそもの出発点から生まれてしまうのが、現実の組織の誕生なのかもしれません。したがって、組織であることの条件が、初期の段階では不完全である可能性があるわけです。
いずれにしても、「強力な何か」が、メンバーだけが“強力”と思っているのではなく、市場も同様に“強力”であると認識したときに、その組織は市場に定着し、発展を遂げていくのだと思われます。
さて、このように組織が発展していくと、バリューチェーンを支える主活動だけではなく、サブシステムも必然的に膨らんでいきます。発展の初期段階では、「強力な何か」がコアコンピタンスと認識され、サブシステムにおいてもコアコンピタンス的であることが求められていきます。しかし、さらに組織が大きくなる(あるいは長く組織が営まれてくる)と、サブシステムのメンバーは、自らがコアコンピタンスを代表するのではなく、あくまで“サブ”としてフォローすることだけで十分と考えるようになります。
それでも、ここまでの段階では、メインやサブと表現されるように、互いはシステムとして存在し、したがってコミュニケーションもあり、貢献意欲もあり、共有の目的に向かっていくことができます。しかし、サブシステムを含む1つひとつのチェーンに対し“目標”、とりわけ売上や利益あるいはコストといった数値義務が課せられるようになると、初期にイメージされていた全体最適は失われてしまいます。そして個々のチェーンにおけるコアコンピタンスが重視され、やがて組織は崩壊へと向かうでしょう。そして新しい「強力な何か」を見出すなど、本質的な意味での組織再編、いわゆる“第2の創業”が起こるのだと思います。
このような組織の変遷を元に、個々のメンバーはどのように対応していけば良いのでしょうか。そもそも人間の思考は、言語に従属します。何かを考えるとき、日本人なら日本語で、アメリカ人であれば英語で思考します。つまり思考は、その端緒から言語的制約(ゆがみ)を持っていると言えます。同様に組織メンバーも、その組織におけるアイデンティティ(組織文化)から逃れることはできません。そこで、思考を同じくする者によって改めて集団が形成されることになります。
ここで、言語に方言があるように、組織文化においてもグラデーションが存在することを理解しておく必要があるように思います。すべてを包含するように組織文化を規定しても、全員が納得するものではありません。そのようなスローガンは、例えば個人のアイデンティティが言語に依存するにもかかわらず、「民族」などという別の基準を設けるのと同じことになります。言うまでもなく「民族」とは、言語のみならず、風俗・文化・宗教などか深く根差した概念であり、方言を許容することではありません。だから、第2の創業を前にしてパーパスやビジョンなどといった別の基準を設けることは、屋上屋を重ねるようなものであり、さらに事態を混乱させるだけかもしれません。
組織の定義は、その集団が組織足り得るためのメンバーの在り方を示していると受け取れます。しかし、組織が継続していく過程にあっては、組織形態を維持するためにメンバーが存在するのではなく、メンバーの尊厳(組織文化に依拠した個人の存在あるいはアイデンティティ)を守るために組織が存在するのだということに、十分な留意が必要だと考えます。
すなわち組織の一体感とは、メンバーがバラバラにならずに、自然と貢献意欲が高まっていく状態であるとも言えるように思われます。そのためには、貢献できる機会は、どんどんメンバーに与えていく必要があるでしょう。しかし、「~べき(~でなければならない)」といった決めつ(押し付け)があっては、本質的な意味での組織再編を起こすことはできないと思います。
外側から光を当てれば、必ず影ができます。しかし、自ら輝く光に影はありません。メンバー自らが輝く組織運営が、自律型組織と呼ばれるのではないでしょうか。

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