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社会勉強

止まり木。

分かりやすく言えば、電線に並んでる鳥達の足元のそれだ。

だいぶ、大まかではあるが。

止まり木は飲み屋のカウンターのことと思ってもらって差し支えない。

今日日、止まり木と言って分かる世代もかなり減少傾向にある。

場末のスナックが社会の縮図と言えた時代の話かもしれない。

何かに不満を抱える若人、頼られること教えることに喜びや存在意義を覚える年配。

止まり木には、元来、社会的肩書を外して一個人として教授できる環境がある。

ドイツのシュタイナー教育に近しい。

教えれば教師、教われば生徒。
そこには、肩書きも年嵩も関係はない。

あくまでも他人であり、しかしながら、生涯での経験値は自分よりも豊富。

年齢=経験値が豊富ではないが。

どこかの一線で考え方が変わる。

それが、年の功なのか、たまたま置かれた環境がそう強いるのかは分からない。

素直に教わることの尊さと、それでも自分はという若き気骨。

相反する限りない灰色が、清濁抜けた先に何が見えるのか。

社会勉強。いくつになっても学ぶ心構えは持ち合わせていたいものです。

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