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希望と絶望

全ての物事は対になっている
こんばんは、ハナです。「出会いと別れ」というタイトルの意味ですが、「出会いと別れ」、他に「喜びと悲しみ」「希望と絶望」....、のように全ての物事は対になっていると日頃から考えています。嬉しいことがあったときもこの喜びはいつかは終わってしまって、また悲しみもやってくる。希望があれば、その裏側には絶望もちゃんと用意されている。だから、よくこう思うんですね、「今は、すごく幸せだからこれ以上幸せはいりません。だから私に悲しみも足さないでください」と。めちゃくちゃ根暗ですが(笑)、いつもこんな風に物事を見ています。今日は、私の根暗思考のお話です....。



「死」が側にある

こんな私なので、日々の中で、必ず「死」が側にあるんですね。ネガティブなイメージが大きいかもしれませんが、私にとって、死を意識することは、今この瞬間を精一杯生きている、ということの裏返しでもあります。明日、もしかしたら不慮の事故に合うかもしれない。5分後にこの心臓が止まるかもしれない。止まらない保証なんて絶対にない。そんなことは、誰にもわからない。生きていれば必ず最期の日に終わりは等しくやってくるわけで、なんて当たり前で、残酷な事実だろうと思います。



生きていることへの喜び
それから、自分自身も同じように限りある生命なんだということを、自然の中で実感するときがあります。例えば、夕暮れの風が頬にあたったとき。雲の切れ間から眩しい月の光を目にしたとき。雑踏の中でどことなく懐かしい匂いがしたとき。幼い頃に聞いたことのあるような虫の声が聞こえた時。鳥肌が立つくらい、無性に生きていることへの喜びが身体の中を駆け巡るんですね。まさしく魂が震える瞬間とはこのことだ、といわんばかりの。


「あぁ、今日も生きた!心臓がちゃんと動いている!」と、嬉しくて嬉しくて泣きたくなるくらい、そんな瞬間が日々の中で何度も訪れます。終わりを意識しているからこそ、「今、生きている」という実感を感じるんだと思っています。終わりがあることを普通の日常の中で何度も認識するからこそ、目の前にあるものは全て永遠なんかではなくて、終わりがあるんだ、限りあるものなんだ、と噛み締めることができます。


「今」を一生懸命生きる
そう、変わらないものなんて絶対に存在しないんですね。光から闇へ、闇から光へ。ゆらりゆらりと変化し続ける世界で私は生きている。この瞬間さえもすぐに変化してもう取り返せない過去になってしまうのだから「今」を一生懸命生きるしかない、と、そう思うのです。




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