hana yoshizawa │ 執筆中

言葉は光。心象風景の翻訳。ポジティブな逃避になる場所。世界を愛せるかどうかの挑戦。

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言葉は光。心象風景の翻訳。ポジティブな逃避になる場所。世界を愛せるかどうかの挑戦。

最近の記事

◆折り合いをつけること

生きていくうえで人から見れば些細な出来事でも、 諦めることを重ねていくのは、大きな絶望に繋がる。 特に、自分の半径5m以内くらいの物事や人に対して諦めることは、 人生に見切りを付けてしまっているようで、 この種類のやるせなさは、諦めたことがあるひとにしかきっとわからない。 ぼくは、そういう諦めや虚しさに何度も殴られたことがある。 だから同じ種類のそれを見かけると、どうしても自分と重ねてしまう。 最初はきっとなんとかしようと思った心の軋みも、 それでもなんとかならなくて、

    • ◆世界の傷を切り取ること

      日常のすみに落ちている他人の孤独や絶望、傷を切り取ることは覚悟がいる。 私は自分についた傷や絶望ならいくらでも切り取れるけれど、 人の絶望までは切り取る勇気がない。 具体的にあげるとなんだろう、たとえば路上生活者をシャッターで切り取る写真家。 社会の穴を描写する作家。実際に声をあげて活動することもそうかもしれない。 目にするたび心を揺り動かされるけれど、同時に自分には無理だと思う。 人の傷を記録したり創作や活動として背負う強さが私にはない。 自分が負った傷、そして過

      • ◆救われたのは私だった

        私の文章はこれまで関わってきた人や、悲しみ、後悔、やるせなさ、過ちなど、記憶のなかにある感情をひとつひとつ取りだしながら言葉を紡ぐ。 少しまえに、あのときの古い記憶が創作になったんだと伝えたことがあった。 嬉しそうな顔と優しい声に、「あぁ書いてよかった。」とすぐに思った。 そして「救われた。」なんて言うから、返事に一瞬迷った。 読者からも文章に救われましたという言葉はよくもらう。 聞き慣れたはずなのに、このとき何度も伝えてくれたこの言葉が、手探りの暗闇のなかで光る灯

        • ◆「生きている」実感が欲しい。

          平凡で淡々とした日々を繰り返していると、ありふれた生活の平和なフレームに体も心も馴染んでしまう気がした。 子どものころ、なんとなくイメージしていたなりたくない大人の姿になってしまう気がしている。 自分の大切な部分がゆるやかに消滅していき、そしていつのまにか自分ではなくなってしまう、そうなったら取り返しがつかなくなるんじゃないか、という気持ちになる。 「生きている」実感が欲しい。 全身を生きる高揚感に包まれたい。 あの頃のように、感情が掻き乱されるような出来事を目撃した

          ◆普通がいちばんいい

          普通がいちばんいいと思うようになったのは、大人になったからだろうか。 幼少期の頃から、初対面の大人や同級生、両親にさえ、「きみは普通じゃない」「変わった子」と言われ続けた。 自覚なんてなかったし、挨拶がわりに言われていると思ってた。 実のところあれは全て本気の忠告か、もしくはすごい悪口だったのかもしれないと10代後半になってやっと気づいた。気づいたところで言われ慣れたその言葉を今更どうにかしようと思うこともなく、そのままさらに大人になった。 そしていま「普通じゃない」

          ◆普通がいちばんいい

          ◆大人になったら友達ができなくなった

          友達が欲しい。 大人になってから特に強く願うようになった。 学生の頃は、高校や専門、大学という箱が用意されているので、そのなかで気の合う友人を見つけるのはそんなに難しくなかった。それが30歳を過ぎたあたりから、努力しないと友達ができない。それ以前に友達候補にすら出会えない。 もちろん仕事では多くの人に日々出会う。 ただ、ビジネスフィールドで出会った同士が仕事の闘争モードをおろし、たったいままで打ち合わせていた内容を忘れ、「ちいかわの推しはどれか」なんて話をすることはか

          ◆大人になったら友達ができなくなった

          ◆渇いてしょうがない

          どうしてこんなに渇いているのだろうか。 満たされない。 1ヶ月に何度か、名前を持たない感情に襲われる。やり場のない気持ちが頭を覆い尽くして心が迷子になりかける。誰かに会いたい。いや、会いたくないのかもしれない。呼吸が苦しい。満たされない。 誰でもいいからこの気持ちに終わりをつけてほしい。 物心ついた頃から、ずっと満たされなさはそばにいた。 身体はもうすっかり大人になったのに、いまだに満たされなさに翻弄される時間が嫌になる。 だって私は十分満たされている。客観的に見ても

          ◆渇いてしょうがない

          ◆悲しみがない世界が見てみたい

          帰り道、月が光っていた。月が出ていると目が離せなくなる。しばらく月を見つめて歩いた。月の光は、世界のどんな場所でも平等にその光を届ける。 光を見ていると、明るい日差しの下ではわからなかった自分の感情に気がついた。それは「ただただ無力だ」と、自分への失望感で、なぜか心臓が痛かった。 見たくないこと知りたくないことは、見たくない知りたくないのに見えてくる。視界のなかに、聴覚のさきまで飛んでくる。 終わらない争いが今日もどこかで起きている。いま、この瞬間にどこかで人が死んでい

          ◆悲しみがない世界が見てみたい

          ◆ハムスターせいで殴られた話

          クラスで飼っていたハムスターが死んだ。 いきなりA組にやってきたそのハムスターは、いきものがかりがお世話をし、夏休みは担任が家に持って帰り、そのあと突然死んだ。 私はハムスターと一切の接点もなかったので、正直なんとも思わなかった。道端に咲いていた花が今日になって枯れた、と同じくらいの出来事だった。 クラスメイト全員がハムスターの死に号泣し、担任も授業を2コマくらい潰して号泣した。 私はひとり泣いていなかったので、その担任に教科書でぶたれた。 ぶたれて痛くて泣いた。

          ◆ハムスターせいで殴られた話

          ◆自由でいたい

          自由でいたい。 人生で何を優先するかは人それぞれだと思う。それが「安心」もしくは「居場所」など、人によって答えは違う。 私は何かと聞かれたら迷わず「自由」と答えてしまう。選べないことがなにより怖い。 だから自分で選んで自分で決めたい。 ちなみに、何もかもねじ伏せ、好き勝手に振る舞おうとは思ってない。 やりたくないことだってときには受けいれる。 生活のために労働だってするだろう。 ただ、心の赴くままに動きたい。 会いたい人に会いたいし、食べたいときに食べたいし、自

          ◆創作は救いだ

          創作に間違いはない。 空がピンクでいい。鳥が海を泳いでいい。星が降る夜があってもいい。 なのに、人は生きるなかで何度も間違う。 なんなら、大人になってからのほうが間違いまくる。後悔して、自分を責めて、意味を求めて苦しくなって、かたちに残すことが全てじゃないといったって、そう割り切れることでもない。 同じ傷を残してまで欲しいものがあるのかどうかはわからない。ただ、正解も不正解もあやふやな世界で創作は救いになった。こんな世界を愛せるかどうかの挑戦でもあった。 どんな痛み

          ◆人と暮らすことができない

          私は細かい人間だと思う。 細かい・めんどくさい・こだわり...、このあたりの言葉は自分を説明するときによく使う。そしていちばん良くないのは、その細かさで自分を時々絞め殺しそうになるということ。 私の「細かい」は、生活のいろんな部分に対して発動するので、友人知人くらいの距離感だとイメージするのは難しい。 一緒に暮らすくらいの距離感でやっと見えてくる細かさを持っている。ちなみに、私はいま自分を含めて3人で暮らしている。 例えば、出張で2.3日家を空けて帰宅したら、留守のあい

          ◆人と暮らすことができない

          ◆いくつもの「こんなはずじゃなかった」

          説明できない涙が溢れる夜がある。 見ないふりしてきた傷だらけの荷物がいくつも身体のなかにあって、 寂しい夜には、それがゆっくりはみ出してきたりする。 いまさら目を合わすと大怪我しそうだから、なんとかあった場所にぎゅっと押し込める。 ひとつひとつ丁寧に向き合って、折り合いをつけていく作業はまだむずかしい。 ただ、ずっと見ないふりをしておくにはタイムリミットのようなものがあるらしく、 身体の遠くのほうで声にならない叫びが聞こえた。私には「気がついてほしい」とそう聞こえた気がし

          ◆いくつもの「こんなはずじゃなかった」

          ◆折り合いをつけること

          生きていくうえで人から見れば些細な出来事でも 諦めることを重ねていくのは大きな絶望に繋がる。 特に、自分の半径5m以内くらいの物事や人に対して諦めることは、 人生に見切りを付けてしまっているようで、 この種類のやるせなさは諦めたことがあるひとにしかきっとわからない。 私はそういう諦めや虚しさに何度も殴られたことがある。 だから同じ種類のそれを見かけると どうしても自分と重ねてしまう。 最初はきっとなんとかしようと思った心の軋みも、 それでもなんとかならなくて、 こ

          ◆折り合いをつけること

          ◆世界の傷を切り取ること

          日常の隅に落ちている他人の孤独や絶望、傷を切り取ることは覚悟がいる。 私は自分についた傷や暗闇ならいくらでも切り取れるけれど、人の絶望までは切り取る勇気がない。 具体的にあげるとなんだろう、たとえばホームレスを切り取る写真家。 社会の穴を描写する作家。 実際に声をあげて活動することもそうかもしれない。 目にするたび心を揺り動かされるけれど同時に自分には無理だ、と思う。 人の傷を記録したり創作や活動として背負う強さは私にはない。 自分が負った傷、そして過去、人に負

          ◆世界の傷を切り取ること

          ◆私を私にしてくれる場所

          私を、私にしてくれる場所があると思った。 久しぶりに訪れた沖縄。人生で5回目くらい。 懐かしいなあ、太陽暑いな、そこらへんにしげる草木はやたらデカいし、京都に茂る草木の、3倍くらいはある。 野生のハイビスカス。顔のサイズはありそうな葉っぱ。 謎の植物。謎の果実。 実は沖縄で、執筆の続きをしようと思っていた。 雨続きの京都に嫌気がさしたのもあって、気分を変えて沖縄でしか書けない文章を書こうかな、とそんなことを考えていたけれど、何も書けなかった。 というか、書こうと思

          ◆私を私にしてくれる場所