二〇一六年四月 漆

scene 111

そんなふうにわいわいやっているところへ、木村が部室へ入ってきた。
「失礼しまーす」
練習生として入部した木村は、三ヶ月ほど経ってだいぶ学院の軽音楽部に慣れてきた。ギターの腕も確実に上達している。
「タクミー、新入部員だよう」
菖蒲がニコニコして木村に伝える。
「三浦ナルヨシです、よろしくおねがいします」
「三浦ケイトです、はじめましてよろしく」
「あ、れ、練習生の木村拓海です」
「練習生なんてつけなくていいって、タクミはれっきとした部員だから」
菖蒲は唯一の男子部員である木村を可愛がっている。菅野たちからは中学の同級生ということでいじられ、木村は軽音部のマスコットキャラ扱いである。
「木村センパイだけなんすか、男子部員」
「今年になってからだよ入部させてもらったの」
「よかったー、タクミセンパイがいなかったら、男子ひとりになっちゃうとこだった」
木村はケイトの言葉がナルヨシに向けられたものと思っている。
「ナルヨシくん、よろしく。楽器はなに?」
「くん付けはイイっす木村先輩。俺のは、これです」
ナルヨシはマックブックを指差す。
「ん?んん?ああ、そうか。DTM」
木村もパソコンには詳しいそうだ。日塔に寄せるためだろう。
「木村先輩はギターっすか」
「うん、こないだ卒業した軽音部の先輩が近所の人で、家で教わってた。その先輩、プロになるために彼女とふたりで東京の音楽事務所に就職したんだよ」
「えーなにそれ、卒業したセンパイたちってすごいですー」
ケイトが素直に感心する。
「上手だったなー、ハルヒ先輩」
日塔がぽつりと呟く。
「西川先輩、元気かな」
木村も続いた。
「なにしんみりしてんの、夢は大きくメジャーデビューだよ!」
菖蒲が元気よく皆をもり立てる。
「部長、思った以上に素敵な部ですね、ココ」
「だべ、ケイト」
菖蒲は軽い訛りを隠さない。
「男子部員いで、いがったね」
鈴木がケイトに笑いかける。
「はーい。ほんと良かったー、男子一人じゃなんか怖いもん」
「何よそれ、私らがなにかするわけないべ」
菅野がケイトをつっついた。
「ナルヨシ、美依に気をつけろよう」
木村が調子に乗ってはやし立てた。
「菅野先輩、怖いんスカ」
「女が相手だと容赦ないとこあるよね、美依って」
日塔がクールに言い放つ。
「まじやばいっす、菅野先輩」
ナルヨシはふざけもせず普通に言うので、余計におかしく感じる。
「美優、変なこといわねでよ」
菅野は別に怒っているわけではない。
「センパイたち、仲いいんですねー」
「美優が転校してきた小学校五年生ん時からずっと一緒」
鈴木がケイトに答える。
「俺もいちおう、美依たちと同級生だよ」
「タクミはお勉強できる子って印象しかないわ」
菅野が木村に向けて手をひらひらさせて、追い払う仕草をする。
「なーナルヨシ、美依は怖いだろ」
「菅野先輩には気をつけるっス」
ナルヨシがまた普通にオチをつけて、みな笑った。
「ケイトとナルヨシって、双子なんだよね?」
木村はそこが少し気になっていたのだろう。ギターを肩にかけながら尋ねた。
「そうっす」
「そうでーす」
「男女の双生児の場合は二卵性がほとんどだから、あまり似ないっていうけど、やっぱりなんとなく似てるね」
「生まれてからずーっと一緒にいるから、似てくるんだと思いますよう」
「仲いいんだ」
「まだ今日会ったばかりだけど、ケイトとナルヨシは仲がいいってのとは違うね。二人で一人、っていうのとも違って、なんてのかな、背中をくっつけて、死角がないようにしてるみたいな感じがする」
木村の感想に、菖蒲が意見を挟んだ。なかなか鋭い分析だ。性同一性障害という攻撃されやすいネタを、二人が背中をくっつけあって守り迎撃し、傷つくことも傷つけることもせず生きてきたわけだ。
「そんな事言われたの初めてー」
「部長ってかっこいいっすね」
「ほめないでよナルヨシ、あんたに言われるとドキドキするわ」
「あ、すいません」
「イケメンは得だな」
木村がめずらしく調子に乗って軽口を叩いている。軽音部員として後輩ができてうれしいのだろう。そういう木村も、どちらかといえば女性的な顔立ちの美男子なのだが。
「木村先輩だってイケメンっす」
「男同士でそういうのやめろって」
木村が笑ってナルヨシの肩を叩く。
「あ、タクミは知らなくて当然か」
日塔がにやっと笑う。
「あのねタクミ、ナルヨシは女だから」
菅野もニヤニヤして言う。
「ケイトが男だがらね」
鈴木はそう言って軽快にドラムを叩く。
「は」
木村は菖蒲と俺を交互に見る。俺と菖蒲は無言でうなずいた。
「どえええええええええ」
ナルヨシの肩においていた手を素早く引き、直立不動になった木村は、ケイトとナルヨシを交互に見る。二人も無言でうなずいた。
「な、なんと言っていいのか」
「まぁ、誰でも驚く。私も最初は驚いた」
俺はいちおう教師の言葉遣いで話す。
「学院でもすごい騒ぎだったよ。最初の一週間だけ。私もわかったよ、ケイトとナルヨシこんなんだもん、気にならなくなっちゃうんだべ。いい子だもん」
菖蒲の言葉に、日塔たちもうなずく。
「木村先輩、すいません、俺らややこしくって。目障りなら、木村先輩のいる時は失せますんで、勘弁してください」
ナルヨシがきちんと腰を折って木村に頭を下げる。ケイトも一緒に頭を下げた。
「やめろやめろ、タクミはそんな事言うやつじゃないから。ただ、びっくりしすぎただけだって。ね、タクミ」
菖蒲がフォローを入れる。
「に、人間って、まったく予想してなかったことが起こるとこういう反応になるんだって学習しました」
木村がようやくいつもの顔で笑った。
「ナルヨシ、悪い悪い、びっくりしただけだ。あのな、俺もパソコン持ってるから、DTM教えてくれよ」
「うっす」
木村はナルヨシを男子の後輩部員として扱うことにしたと見える。
「タクミセンパイ、あたしもよろしくです」
「初心者だから何も教えてやれることないけど、よろしく」
木村は照れながら頭を下げた。やはりケイトを女子として扱うことにしたようだ。
「ケイト、タクミはお勉強できるから、わからないとこ習えばいいよ」
菅野が茶化した。ケイトとナルヨシは五教科すべて満点で入試をパスしたことはまだ黙っておく。
「部長に聞きました。木村先輩は山形で一番偏差値高い高校だって。すげえっす」
「そんなすごいもんじゃない、学院と大差ないじぇ。俺は最後まで学院行きたいって親に頼んだんだ」
「霞城に入れるアタマがあるのに学院に入るのは、雪江様のほかは家が超絶山の中の子だけよ」
日塔がまぜっかえした。実はこれは本当の話で、山間部の少人数の学級だと、教師の個人指導に近いため勉強がはかどり、非常に成績の良い生徒が多かったりする。そうした生徒は山形市にある霞城高校に通学するのが大変なので、一番近くて偏差値も高めな学院を選ぶのだ。
「んじゃ、私は教員室に戻るので、事故のないようにしてください。部長、お願いします」
「はぁいわかりましたー」
菖蒲が元気に返事をする。ケイトとナルヨシがバカ丁寧に俺にお辞儀をした。

scene 112

俺は教員室へ戻り、業務にとりかかる。他の学校で教員をやったことはないのだが、学院は事務系の管理部がやるので、業務とは授業に関わることが主だ。定期試験の採点はマークシートで自動読み取り、結果はデータでパソコン上で参照できる。教員は授業の資料を作成したり、小テストや小論文を採点したり、それでも空いた時間に自分の研究テーマを勉強したりする。教員は余計な仕事が多くて激務だと言うが、学院の教員にはあてはまらない。
ただし教員としての自己研鑽を怠ると、途端に評価が下がる。これまで何人か、教育者として不適と判断されて現場を外され、管理部付の環境維持係という名の草むしりをやらされた者がいると聞いた。学院の給与体系では、能力や校内資格に重点が置かれているので、教科担当から外されるとかなり痛い。環境維持係は早々に退職したそうだ。
俺は自分の授業ノートを、佐藤さんからいただいた資料をもとにして細かくブラッシュアップする。また、清野さんが主催する社会科総合勉強会の資料を作成したりした。そうしているうちに外が薄暗くなる。もう七時に近かった。前もって申請していない部活動は、午後七時までに終了しないといけないルールである。顧問の教員の減点ポイントなのだ。
俺は教員室に残っている他の教員にお先にと声をかけ、教員室を出て部室に向かう。最後の部室チェックも俺の役目だ。部室に近づくと、ベースの音が聞こえる。日塔がまだ居残りしているようだ。それにしても、日塔のベースはかなり格好がついてきている。
「時間だぞ日塔、今日は終わろう」
俺は部室に入っていき、日塔に声をかけた。振り向いた日塔は、無表情なままギターを下ろし、片付け始める。
「だいぶ練習したな、すごくうまくなった」
無言の日塔に声をかける。どうも機嫌が悪いようだ。女子のアレだな。
「あーくん、私おかしいよ…」
日塔が通学バッグとギターケースを肩にかけてぽつりと呟いて俺を見る。二人だけのときは愛人として振る舞うことにしている日塔は、石川先生への話し方を放棄する。
「何の話だ」
俺もアイになって答える。
「あの子達があーくんと暮らしてるのが羨ましい…あーくんが丹野に優しくしてるのがめっちゃムカつく…なんでこんなバカになっちゃったの私」
ものすごく面倒くさいことになりそうな予感がしてきた。
「去年の今頃の私なんか、男っぽくしてたのに。好きでやってたのに。ナルヨシみたいになろうと思ってたのに」
「はは、たしかにそうだったな」
俺は笑ってみたが、日塔は全く笑わない。
「あーくんのことが好きになったって気がついてから、なんか私ヘン。嫉妬とかそんなのありえないって思ってたのに」
なんか俺が悪いみたいなことになりそうだ。
「…ごめん、何言ってるんだ私」
「すまんがな、俺、女のキモチって正直ワカンネんだ。なんのアドバイスもできね。だから聞かなかったことにする」
たぶんこういう言い方は教師としては失格なのだろうが、今の俺と日塔は既婚者とその愛人ということにしてある。ホントはダメだが、本音で話すのが一番だろう。
「そだね。あーくんにわかってもらえるとは思ってないよ。あーくんの前で胸の中の気持ちを言いたかっただけ。すっきりした」
日塔が初めて微笑んだ。普段の表情に戻る。
「俺も言っとくが、べつに丹野に優しくしてるわけじゃないから。自分の担任してるクラスの生徒に、趣味嗜好の合う部活を紹介しただけだ。時間だ、帰るぞ」
俺は普段の状態に戻った日塔を促し、部室を出る。とりあえず周りには誰も見えないので、俺たちは並んで歩く。
「ちらっと見たけど、丹野ってヤンキーっぽくっていっつもムスッとしてるのに、あーくんと話してて楽しそうだった」
歩きながら身体を寄せてくる日塔をかわしながら、俺は答える。
「漫画が好きだって言ってたから、小川さんに伝えたらさっそく、アニメ同好会に一本釣りしてたよ。すっかり小川さんになついてた」
「へぇ、丹野がアニメ同好会ねぇ、意外。誰とも話さないのに」
「アニメ同好会も、べつにみんなでワイワイってわけじゃなくて、自分の興味のあることに没頭してると。話したくなければべつにそれでいいと。だけど最低限、同じサークルに所属してるってことだけは認めて、協力が必要なときは必ず協力する、みたいな感じらしい」
「ふうん。うちら軽音部とは少しノリが違うね」
「ハルヒとフジオのおかげで、熱いチームになったからな、軽音」
俺が目指した道を歩き始めている大泉と西川のことは、尊敬と親しみを込めてファーストネームで呼び捨てることにしている。
「あ、そうだもう一つ思い出した、ムカついたこと」
「何だよ、まだあんのか…」
俺は頭をかく。学院の敷地は広大で、部室は校門から一番遠いところにあるため、薄暗がりの道を歩き続けている。
「ナルヨシさ、あーくんをアニキって呼んだよね一瞬。家ではそう呼ばせてるんだ」
「やっぱ聞こえてたか…これはマジでトップシークレットだぞ。ケイトが、家の中では理事長をお母さんて呼ばせてくださいって頼んだんだ。理事長はちょっと困ってたけど、父がかまねかまね、俺のことは父ちゃんって呼べ、雪江はお姉ちゃんだってことになった。ナルヨシは照れくさくてあえてアニキって呼ぶんだよ、俺を。呼ばせてるんじゃないから」
「うああああああああああ、聞くんじゃなかった、なにそれ羨ましすぎる、ダメだもう明日あいつら殴るもう殴る殴る今日今から殴りに行く」
日塔がまた壊れそうになったので、俺は隣から手を差し伸べて彼女の頭を軽くなでる。
「落ち着け美優」
日塔はすぐ我に返った。
「美優って呼んでくれた」
「これ、マジで秘密だかんな。ふたりとも、学校で理事長をお母さんって呼んだら無期停学って言われてんだから」
「なにそれおかしー。んじゃ、ケイトはお兄ちゃんって呼んでるんだ、あーくんのこと」
「…いや、あーくん、だ。カミさんがそう呼ばせてる。ナルヨシはそれが恥ずかしすぎてアニキって呼ぶんだよ。女だけが俺をそう呼んでることに気がついてるんだ」
「うふふ、ナルヨシってホントに男の子だぁ」
普段の日塔に戻ったようだ。本来の彼女は、少しマニッシュでクールな生徒なのだ。
「じゃ、石川先生さようならー」
日塔は生徒らしい口調にあらためて、大きな声で挨拶してひとりで校門の方へ向かっていった。周りにチラホラと生徒や教員の姿が見えてきたからだ。俺はゆっくりめの歩調で帰宅の途についた。
仕事から帰って門をくぐると、喫煙所に寄ってから家に入るのが習慣になっている。俺はいつものように喫煙所に向かう。俺が門をくぐるのと同時に母のレクサスが駐車場に停まった。俺と母は喫煙所で一緒になる。
「おかえりなさい」
「はいただいま、あーくんもお疲れ」
挨拶を交わしてタバコに火をつける。母にもタバコを差し出し、火も差し出した。
「あーくん、いくら愛人だって、日塔美優とイチャイチャしすぎよ」
母が煙を吹き終わってとんでもないことを言う。
「なななな何を言うんです」
「雪江公認だと言ってもねぇ、校内でベタベタするのはダメよう」
「してませんよそんなこと」
雪江が全部話しているのだろうが、そこはもう突っ込まないことにする。
「だーってぇ、並んで歩いて頭ナデナデしてあげてたじゃないのぉ」
「あああああああれは、日塔がバカなこと言うから叱ってたんですって」
見ていたということだ、さっきのことを。すり寄ってくる日塔をかわし続けて正解だった。学校中いたるところに監視カメラがあるわけだ。あって当然ではあるのだが、どこで何を見られているかわかったものではない。
「あらそうだったのぉ。まぁたしかに寄り添ったり手を組んだりはしてなかったもんねぇ」
「お母さん、愛人とかないから、マジで。担任してる生徒を愛人にする教師がどこにいるの、犯罪以前に人としてダメでしょ」
「雪江公認なんだから、日塔美優が卒業したら正式に愛人契約すればいいんじゃない?」
母がまじめな顔で言うので、俺は逆にバカバカしくなってきた。
「日塔だって、そのうち冷めるって。俺に惚れてたなんて思い出したくもなくなるよ」
「あーくんってホント、カタブツだね。元バンドマンなのに」
母が雪江そっくりの笑い顔を俺に向ける。
「バンドやってるヤツはみんな超女好きみたいなのやめてよ。まぁドラムのリョータローはホントにひどかったけど」
「ごめんごめん。でもね、あーくんと話す日塔美優の表情がねぇ、女の顔になってるのよう。食われないようにしなさいよう」
母はクスクス笑いながら喫煙所を後にした。雪江と母は、俺に関する情報を全て共有しているということがわかった。学校でどうしたか、外出先でどうしたか、情報をやりとしているわけだ。べつに隠し事があるわけではないが、ときおり湧き上がってくる日塔への妄想は完全に封印しなければならない。間違っても日塔にあんなことをしてはならないのだと、俺は心に誓った。本当に殺されてしまう。

(「二〇一六年五月 壱」へ続く)

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