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二〇一六年七月

scene 126

一学期の期末テストも終わり、山形の夏が始まる。思えば、去年の今頃西川の就職面接が決まったのだなどと思い出す。あっという間の一年だったが、今年はそれより加速度がついている感じだ。
放課後の俺の行動パターンは、まず軽音部の部室へ飛び込んでギターを弾き、部員が大体顔を出したあたりで教員室へ引き上げ、退校時間少し前に部室にまた顔を出す、というものだ。会議や勉強会があってもほとんど皆勤賞で部室には顔を出す。ギターが弾きたいだけなのだが。
「あんたたちは夏休みには実家に帰るんでしょ?」
ベースを爪弾きながら、日塔がケイトに話しかける。
「そうですねー、ちょっとだけ帰ろうかな」
「パパとママが待ってるでしょ」
「つっても、家帰ってもすることないっす、中学んときの友達とは切れちゃってるし」
「畑のお野菜の世話しなくちゃいけないしぃ」
「バンドの練習も」
「夏休みもナルヨシに会えるのは嬉しいけど、それじゃほんとパパもママも寂しいべ」
「今は部長と練習するのが最優先っす」
菖蒲はナルヨシへの好意を全く隠さなくなり、年下の彼氏扱いだ。日塔はじめ他の部員も認めてしまっている。ナルヨシ本人はあまりその意味を理解しておらず、ギターが上手い部長の菖蒲を、心から尊敬しているだけなのだが。
「私は、夏休みには必ず東京へ行くよ。小学四年まで住んでた調布へ、友だちに会いに。仲良かった子と、ずーっと連絡取り合ってるから」
日塔が爪弾くルートはなめらかに響くようになっている。
「俺も、あいつらに会いに行きたいな」
俺は思わずつぶやく。日塔がすかさずっ突っ込む。
「一緒に行きましょうか石川センセイ」
「あーそれいいですー。雪江様も石川先生も、ウチに来て泊まってくださいー」
ケイトは頭のいい子供なので、俺達の呼び方を完璧に使い分ける。
「来ていただくって、ウチじゃ狭くて泊まってもらえないよ」
「私一人くらいなら泊められるべ、ナルヨシー」
菖蒲が乱入してきた。ほかの部員たちが大笑いする。
「まぁ、夏休みの練習の予定は部長と副部長中心になって決めてください」
副部長という役職は本来存在していなかったが、菖蒲が制定したので正式に任命している。管理部長も好きにしていいと言っていたことだし。俺はそう言い残して教員室へ戻った。今日は定例の職員会議だ。
会議室には、教務部と指導部の教員、管理部の職員が定位置に座る。机と椅子は教室形式で並んでおり、教壇の位置には理事長と両部長が座っている。
「では七月の職員会議を始めます」
司会進行役の高梨管理部長が、手早く会議を進める。会議とはいえ、半分以上は事務連絡のたぐいであり、メモをとるのに忙しい程度だ。
「では次に、退職される方からご挨拶があります。佐藤主務、吉田主幹」
佐藤さんはキャリア的に学院では実質的ナンバーワンとされており、理事長から教務部長を受け継いで学院に残ることを切望されていたそうだが、大学で講師になる道を選んだ。吉田さんは暴力的な生徒を指導するために他校から招かれた人だが、学院にはそうした生徒がまったくいなくなったので、また他の学校に移るという。
学院の教員は基本的に先生ではなく、姓にさん付けで呼び合う。形式ばった席でだけ、学院の職位を付ける。対外的な役職は理事長と指導部長と管理部長、教務部長しかないのだが、内部的には下から主事・主任・主査・主幹・主務の階層がある。二年目の俺はいちばん下の主事ですらない。
佐藤主務、吉田主幹のお二人は前へ出て淡々と挨拶を述べられ、拍手を受けて席に戻る。
「引き続き、新任の教員を紹介する。入りなさい」
理事長が会議室入口に向かって声をかけた。ドアを開けてスーツ姿の男が入ってきた。三〇歳を少し過ぎたくらいだろうか、髪を短く刈り込んで、背が高くすらりとした体格だ。
「はじめまして、増田耕作と申します。このたび、寒河江中央学院高校指導部へお世話になることとなりました。高校から大学と陸上部に所属し、おもに一万メートルや駅伝をやっておりました。大学を出て実業団へで陸上を続けましたが、力足りず大会入賞はかないませんでした。指導者を夢見てコーチ資格を取得しましたが、縁あって寒河江中央学院高校ににお声がけいただきましたことから、ありがたく受けさせていただきました。若輩者ですがよろしくお願いいたします」
かなりの大声で、全く噛まずにとうとうと挨拶をする。感嘆の気持ちを込めた拍手が起こった。
「私は生まれも育ちも静岡県で、大学と実業団は東京でした。山形は雪が多いと聞いていますので、冬季間のトレーニングメニューの組み立てで頭がいっぱいであります。しかし、雪をほとんど経験していないので、楽しみにしています」
「心配ないですよ、すぐに飽きます」
高梨管理部長がツッコミを入れ、皆がどっと笑った。
「正式な着任日は八月一日だが、校内での実習を兼ねて、来週から陸上部コーチに就任してもらう。吉田について引き継ぎと学院のルール学習をするように」
「はい、かしこまりました」
増田さんが軍人のように気をつけをして拝命する。
会議が終わり、事務仕事をあらかた片付け、俺はまた軽音部へ向かう。軽音部での部活動を一番熱心にやっているのは、顧問の俺ではないかというくらいだ。やはりギターを弾いているときの俺が本当の俺なのだ。
「…石川、さん」
部室へ向かう通路で、後ろから声をかけられる。振り返ると、先ほどの増田さんが後ろを歩いていた。
「あぁ増田さん、どうも」
増田さんは俺に追いついて肩を並べて歩き出し、俺に話しかけてくる。
「いきなりで不躾とは思いますが、石川さんは理事長の義理の息子なんだそうで」
ちょっと遠慮気味に言う増田。
「えぇそうです、誰でも知ってることですし。ただし、学院では私はただの平教員、いちばん若いペーペーであることも事実ですよ。石川家の婿だからといって特別扱いされたことはありませんし、これからもありませんし、期待もしません」
俺は横を歩く増田さんの顔をしっかり見てそう言った。増田さんは真面目な顔でうなずく。
「佐藤主務がおっしゃってたとおり、石川さんは大変しっかりした方ですね」
「佐藤さんには、少なくとも馬鹿ではねえとお褒めいただきました」
俺はニヤッと笑ってみせる。増田さんも笑った。
「いや失敬失敬、学院で最若手、その上石川宗家の若旦那、って人がどんな人なのか興味があって。あとを付いてきたのは、陸上部の活動状況を見るためですよ、あくまで」
増田さんは爽やかな表情で語った。
「私が顧問をやってる軽音部、グランドの近くなんでうるさいかもです」
「気にしませんよ。私も音楽は大好きです」
「音楽っても、これですからね」
菖蒲の速弾きが聴こえてきた。
「おお、すごいタッピング」
「おや、増田さんお好きですか、ロック」
「ええ、下手ですけどギターやります」
増田さんは真面目な顔で言う。
「実はですね、私、学院よりも石川宗家よりも、ギターが好きなんです」
俺も真面目な顔で言った。
「また、洒落がきついですね石川さん」
「佐藤さんは言わなかったようですね、そこは。これは洒落ではなく、本当です」
「まぁそれを言ったら私だって、走るのが好きで好きで、止まると死ぬレベルですが」
俺と増田さんは顔を見合わせてくすくす笑った。
「放課後の居場所が近いでしょうから、これからもよろしくお願いします」
「いやこちらこそ。いつでもギター弾きに来てください」
けっこう丁寧にお辞儀を押して俺たちは別れた。この男は、指導部にはすぐに馴染むだろう。今までずっといたじゃないかと言われて、ああそうだったと納得してしまうほどに。
その週末、居間で家族揃っての朝食時に、夏休みの話題になる。
「再来週から夏休みだけど、あなた達はどう過ごすのかしら?」
母がゆったりした口調でケイトとナルヨシに語りかける。
「ナルヨシと話し合ってるんだけど決まらないー。お母さん決めてー」
「何言ってるのよう、お母さんが決めてどうするの」
「だってー、ナルヨシは帰らないでずっとバンドの練習するとか言うしー」
「そりゃやりすぎだな」
俺は苦笑する。確かにナルヨシの音楽への傾倒っぷりはすごい。
「パパもママも待ってるわよ」
「べつにオヤジとオフクロに用があるわけでもない」
雪江とナルヨシが飯をもりもり食いながら言う。ケイトは実の両親をパパとママと呼ぶが、ナルヨシはオヤジとオフクロだ。ナルヨシはこの年代の少年らしく、親と距離を取りたがる。俺もそうだった。
「みんなは夏休みどうするのー」
ケイトが家族を見回して言う。
「俺なの夏休みも冬休みもねえげっとな」
父が漬物をボリボリ食って笑う。
「お父さんは特殊だから仕方ないけど、私らはケイトとナルヨシのパパといっしょよ、お盆の頃に四、五日休みがあるだけ」
母がケイトに優しく答える。
「お盆には、親戚やら何やら、ウチにたくさんお参りに来るからねえ」
祖母が茶をすすりながら言う。
「うん、俺も去年びっくりした。次から次からお客さんが来て、仏間に行列できてた。俺も子供の頃お盆に前橋の伯父さんんとこ行った記憶あるけど、誰も来なかったけどな」
「あんたたちは、親の実家へ行かなかったのかえ」
祖母がナルヨシに尋ねる。
「うーん、なんか、オヤジもオフクロも、そういうのなかったな」
「そうねえ、三浦さんみたいに東京生まれ東京育ちだと、べつに帰省することもないでしょうし」
雪江がさらりと言ったが、ケイトとナルヨシの性的逆転で、親戚とは交流したくなかったというのが正直なところだろう。三浦夫妻は気にしなくとも、親戚の方はそうではない。
「んだら、こうゆうなはなんたべ」
父が飯を食い終わり、茶碗にお茶を注ぎながら言った。
「ケイトとナルヨシは、盆前に家さ帰れ、ちゃんと親さいろいろ報告ばさんなね」
母が父の言葉にうなずく。ケイトとナルヨシは神妙な顔だ。
「ほんで、盆に三浦さんたちと帰ってこい。三浦さんだはおらえの親戚扱いだがら、お客さんとして迎えっがら。なんたべお母さん」
「さすがお父さんだわぁいい考え。子供たちの生活ぶりも見れるでしょうしね」
「パパとママもここに泊まるの?たしかにお部屋はいくらでもあるけど、お世話が大変じゃないのお母さん」
「お客さんが集まる時は、孫兵衛おじさんが手伝いに来てくれるから大丈夫。左沢の翔子ちゃんも来てくれるし」
左沢の軍兵衛さん夫婦は、ケイトとナルヨシが来て早々に訪ねてきて、二人に面白い親戚の叔父さん叔母さんと評価されている。
「あーくんは実家に帰らないのお」
ケイトが俺に尋ねる。
「正月に帰ったし、いいよ」
「パパとママが心配してるよう」
ケイトがオチをつけ、皆が笑った。
「そういえば、所沢のお母さんから連絡あったよ、お兄ちゃんの結婚決まったって」
雪江がこともなげに言う。実の息子ではなく義理の娘に重要事項を伝えるとは。まぁ、パパとママには心配をかけまくってきた息子なので、信用されなくて当たり前なのだが。
「あら、良かったわね道郎さん。式はいつ?」
「二月だって。秋に両家の家族で会食するから来てってさ」
雪江が食べ終わった食器を集めて立ち上がり、台所へ向かった。ケイトとナルヨシが同じようにして後に続く。
「そういやお母さん、指導部に来た増田さんはどういう伝手だったの」
「あぁ彼?伝手はお父さんの方よお」
母が優しげな眼差しで父を見やる。
「大学の同級生が、あいつのいた実業団の会社で取締役やってでよ。前に東京行ったとぎ同級生何人か集まって飲んでな。その時の話で、会社の陸上部が解散になるけど、全員会社に残す余裕ない、本業に向かない部員は退職勧告だけど忍びないって嘆ぐ訳だ。んだら、山形の高校さ来て陸上おしぇられるヤロいんだら、おらいで一人引き受けっぺど。手え挙げたのが増田だったわけよ」
「面接、ほぼ満点だったわ。大畑指導部長も同意見。大学で体育教師免許は取ってるし。支度金を用意するから、コーチ資格を取得して、と言ったら、日体協の資格は昨年取得済みであります、だもん」
「実家の静岡に戻って陸上のコーチするたてなんのあでもねえす、独身で長男坊でもないがらどごさいったってかまねど。うってつけだな」
「走ってないと死ぬタイプだって言ってました」
俺のコメントに両親が笑う。
「春に家に来たヤロコどヘナコだは、ものになんだべが」
陸上強化選手扱いの、ケイトとナルヨシの友達のことだ。
「俺は陸上とかわからないけど、練習を遠目に見てる分にはまじめにやってるなぁ。ナルヨシの友達はごつい身体してるけど、足速いの」
「軽音部の部室は陸上のグランドの隣だものね、ちゃんと見ててくれてるのね」
「吉田さんは、俺は陸上専門じゃないから教えてやれることがない、って嘆いてましたわ」
「責任感強いからね彼。ホントは学院にいてほしかったけど」
「問題のある生徒をまとめて面倒見るみたいな学校へ行くとか言われてました」
「あーくんは知らないわよねえ。あの辺りの小さい山の中にあるのよう、仏教系の全寮制高校。座禅と護摩行と農林業で人格を育てる…治療するとこ。部活動が無いから対外試合とかにも出てこないし、そもそも生徒に山形県人がいないから、普通の山形県民はその学校の存在を知らないくらい」
母が指差した方向は寒河江市の南西、低めの山が山形市の方へつながっているあたりだ。その麓を縫うような道はあるが、山の方へ分かれる道は記憶にない。
「あそこは全国でも最後の駆け込み寺、とまで言われてるかんな。どんなにぶっこわっだヤロコでも、卒業するときは別人になるんだとよ。委員会の視察で一回行ったごどある」
「こわ」
俺は笑って返した。
「週明けから陸上部再始動よ。私も見に行かなきゃ。ついでだから軽音楽部にも顔を出そうかしら」
「…」
俺は無言だ。

scene 127

教師生活二年目の一学期は無事終わる。終業式では、佐藤さんと吉田さんが退職の挨拶をした。生徒たちは佐藤さんの退職は事前から知っていたのだが、吉田さんの方は知らない者も多かったらしく、少しざわついた。優しげに微笑んでいる普段の吉田さんだが、不良生徒担当の鬼教官という役回りはすべての生徒が知っているのだ。大きな拍手の中、二人は学院を去っていった。
夏休みに入ったが、休んでいるのは生徒だけで、教職員は休みではない。大昔は教職員も生徒と同じように休んだのだそうだが、大学進学がほぼ当たり前になってからは夏期講習や自習など、生徒が休まなくなった。一般の会社や役所と同じく、お盆の頃だけが教職員の夏季休暇なのである。
教員二年目の俺は、夏休みの間に県の講習会や模擬授業に複数回参加することになっている。学校では、初めて夏期講習で講師を務める。また、自習室の管理当番は若手の俺と小川で交替といえる頻度だ。
運動部は秋季大会がメインステージであるため、夏休みどころか土日も練習している。学院では文化部として認定されているのが吹奏楽・演劇・放送の三つだけだが、彼らも秋に全国大会を控え、練習に励んでいる。結局、夏休み中とはいえ普段と変わらず沢山の生徒が校内にいるのだ。
正式に文化部として認められていない軽音部も、毎日ゆるく練習している。正式に認められる、というのは学校から部費を支給されているかどうかで決まる。部活のための部の備品があるかどうかで判明するわけだが、軽音部の備品であるドラムセットは吹奏楽部のお下がりで、部費が出ているわけではない。ゆるーい同好会だが、そこがいいのだ。
夏休みの今は普段と違い、軽音部の練習は放課後ではない。弁当を持って来て、一〇時から二時ころまでやっている。夏の一番暑い時間帯にわざわざやらなくともと思うが、部室棟は元体育教官室の建物なので壁も厚く、プレハブ小屋のように建物自体が熱くなることがないので、窓を開けて風通しを良くすれば案外涼しい。
昼休みの時間帯に部室に顔を出すと、木村を含め部員全員が来ている。休みの日でも学校に入る際は制服着用と決められており、指定の体操着もしくは各運動部オリジナルの校名入りジャージ着用は黙認されている。ケイトとナルヨシ、部長の菖蒲と霞城の木村が制服姿、他は体操着姿だ。
「伊藤さん、昼ごはん済ませたら来るって。もうすぐだろうから失礼のないように」
今日は、天童市でカジュアルファッション店を経営する伊藤が率いる老人バンドが、軽音部の指導をしてくれる。伊藤のバンドは「エース・アーミー」といい、七〇年代から八〇年代のアメリカのロックを演奏している。半年に一度くらいのペースで、ミュージック総和のライブハウスに出るので俺も聴きに行ったが、年齢を感じさせないパワフルさだった。
理事長から着信だ。
「あぁ、伊藤会長さんたちがお着きだ。私が部室へ案内していくから、途中まで出迎えるように」
理事長は冷徹に要件だけ言って通話を切る。理事長こと母の学院内外での二重人格っぷりにはもう慣れている。俺自身も学院の中と外ではけっこう切り替わっているが。
「伊藤さんたちがお着きのようだから、そのへんささっと片付けて」
俺は生徒たちにそう言いつけ、部室を出て校舎への通路を急ぐ。小走りで行ったおかげで、部室と校舎の中間地点よりもずっと校舎よりのあたりで一行に出会う。
「伊藤さん、ご苦労さまです」
俺は伊藤に一礼する。
「おお若旦那…いや石川先生、お邪魔します」
「好きに呼んでくださって構いませんよ」
俺を呼び直した伊藤に、理事長が笑って応える。
一行はドラムの伊藤のほか、ギター、ベース、キーボードのパートだ。全員六〇歳を過ぎているとはいえ、ステッカーだらけのギターケースを肩にかけて歩く姿は老人に見えない。ついでに、自らのバンド名ロゴが入った揃いのTシャツを着ている。
「俺ら、若旦那くらいの歳から、ずっと一緒にバンドやってんだ」
ネックの長いケースを肩にかけた男が笑う。
「あの頃は頭オカシイってゆわっだもんだ、髪伸ばしたっけがら」
ギターの男も笑う。
「お前ら自営だがらまだいいべ。俺なの会社勤めだがらよ、カツラだっけえ」
キーボードは持ってこれなかったと見えて、手ぶらのキーボード担当が真面目な顔で言う。
「ウチはあど一人ギターど、ヴォーカル入れて六人で、創設四〇年目だはあ」
伊藤がスティックだけを持って歩く。
「みなさん天童ですか、お住まいは」
俺は伊藤はじめひとりひとりに視線を止めながら尋ねる。
「そうでもないー。天童は俺と氏家だげだな」
伊藤はギターを抱えた男を指さす。
「小学校がらの付き合いだがらな」
氏家が笑った。
「林が山形、大関が中山。今日来れねっけギターの内田が寒河江でボーカル佐竹は仙台」」
伊藤が指さす。林はベースで大関がキーボードだ。
「内田さんはおべっだっす、会長。高屋の酒屋さんだねっす。店の隅さギターおいであんもんね」
理事長が方言モードに切り替えた。俺の前だと理事長の口調にせざるをえないが、外から来た伊藤たちには聞き苦しいだろうという判断か。
「内田はホントはリーゼントのロカビリー野郎だっけんだ」
伊藤が愉快そうに言う。
「無理やりうちに引っ張ってきて、ハードロックに転向さしぇだんだ」
氏家が続ける。
「佐竹は仙台のバンドから引き抜いたんだ」
「そのバンド解散させたの俺だっけ、あることないこと吹き込んで喧嘩別れさしぇだなよ」
林と大関も大笑いした。なんとも策士なことだ。
「若旦那ほどではねえげど、俺だも山形のジジイメタルバンドって、ちぇっとばりテレビ出だごどあんだじぇ」
「んだがしたー、しゃねっけー会長ー」
理事長が方言ノリで持ち上げ、すっかり温まったところで部室へ着く。
「はいみなさん、大先輩の方々がお見えですので整列して」
俺は部室の戸を開けて中に入り、部員たちに呼びかける。部長の菖蒲の指示でテキパキと整列する部員たち。部室に入ってきた伊藤たちが目を細める。
「よろしくお願いします!」
部長の菖蒲が挨拶し、部員が一斉に頭を下げる。そして一人ずつ学年と姓名を名乗り、パートを伝える。伊藤たちが拍手で応えた。
「どうもどうも、じさまがいっぱい来てしまってわれっけな、まんず、おしぇるいごどはなんでもおしぇっさげ、よろすぐなー」
伊藤たちも部員に向かって一礼し、部員たちからも拍手が起こる。
「では皆さん、失礼のないように、ご指導を仰いでください」
いつにもましてにぎやかな雰囲気で練習がスタートした。
伊藤はいくつかのリズムパターンを鈴木に教える。打楽器に興味があるケイトも加わり、真剣な表情で手足を動かしてシミュレートする。氏家は菖蒲と木村の奏法をチェックして細かいアドバイスを与える。林は俺が知らなかったベース奏法の基本を日塔に授ける。大関は菅野を指導する傍ら、ナルヨシにDTMにも鍵盤があったほうがいいと話している。理事長は椅子に座って、しばらく満足げに部室を見回していた。
「よかったわ会長たちに来ていただいて。音楽を通じて世代を超えた交流、次の校長会で発表するからレポート書いて、あーくん」
「えーやっぱりそうくるー」
理事長が、周りに聞こえていないことをいいことに、母の口調で俺に命じる。俺も家族の口調で答えた。とりあえず、練習風景を何枚か撮影した。
「今度は陸上部を見てくるわ。あとよろしく」
理事長は母の口調のままそう言い、伊藤たちに方言で挨拶し、部室をあとにした。
「やっと理事長いねぐなったがら、ちぇっと休憩すっか」
伊藤がそう言うと、全員が笑った。伊藤が差し入れてくれたペットボトルのお茶が皆に配られる。部員たちはいただきますと礼を言ってペットボトルを開ける。
「おらだの頃は、ギター弾くやつなんぞ不良ってゆわっだもんだげど、今はじぇんじぇんほだなごどないまね。みんなすばらすぐじょんだどれ」
氏家が真面目な表情で部員たちを褒める。
「おらいの孫はみんなど同じくらいだげど、音楽は聴くけど楽器はやらねもんな」
「おらいもおんなじだー。もっとも、ベースだがらな、地味だがら興味ねえんだな」
大関と林が笑う。
「どれ、おらだも一曲やってみっか、若旦那も入ってっちゃ」
雑談混じりの休憩を終え、伊藤がドラムセットに座り直して俺を呼ぶ。
「何演ります?自分、ツェッペリンならたいがいできます」
実は俺も伊藤たちに加わりたかったのだ。
「ロックンロール、だべな」
氏家が白いストラトキャスターを抱えて言う。
「持ちネタの一つっだなね」
林は使い込まれたフェンダー・プレシジョンベースを握る。
「佐竹いねがら、俺は歌メロでも弾くが」
菅野のキーボードを使い、大関が華麗に鍵盤を叩く。
「若旦那、俺だは普段通りやっから、好きに絡んでけろ」
伊藤がバスドラを軽く踏み鳴らして笑い、俺は礼を返してギターを抱えた。ベテランの伊藤たちに失礼のないように、今日は俺のメインギターを持ってきている。ギターの氏家が目ざとく見つけ、しぇーギターだどれ、と笑った。
伊藤のスティックが甲高い音を立てて、カウントが始まる。そしてインパクトのあるリフで曲が始まった。俺はピックスクラッチで伊藤たちに切り込み、リフに絡みついた。
伊藤のドラムは部室の空気を振動させ、氏家のギターは窓ガラスを震わせる。林のベースは重戦車のように疾走し、わざと音数を増やして歌メロを弾く大関のキーボードも全速で突っ走る。部室ごとグラグラと揺れるようなビートだ。
氏家のギターがソロを取る。俺はリフを控えめにしてそれを引き立てた。氏家がソロを代われと目で語りかけ、俺も目で応えた。爆音ながら端正な氏家のソロと正反対に、ノイジーで変則的なソロを入れる。そして、ハーモニックなツインリードで曲を終えた。部員たちが一斉に拍手する。
「す、すすすごいです先生、大センパイ!今日はじめて一緒にやってるなんて思えない!」
菖蒲が飛び跳ねて称賛する。菖蒲以外の部員は、称賛するというより呆気にとられて拍手していた。
「すごいですよ石川さん、皆さん!」
その声に振り向くと、部室入口の扉が空いていて、陸上部コーチである指導部の増田さんが拍手している。その隣では、理事長が苦笑しながら拍手していた。入り口わきの窓からは、陸上部員たちが身を乗り出して拍手している。
「いぎなりでっかい音で、何したんだどおもたっけ会長。んでもやっぱりじょんだねー」
理事長が伊藤たちに方言ヴァージョンで称賛を伝えた。
「グランドまでガンガン伝わってきましたよ、空気が揺れ動いてた。ものすごいパワーです!」
増田は部室に入ってきて、興奮気味に話した。
「なあに、年取るとよ、パワーなのでねえんだ。余計な力かげねで、ツボ抑えで流れさ乗るんだ」
伊藤は笑いもせずそう言い、ひととおりドラムソロをやる。たしかに、上半身を振り乱すでもなく、腕や足に力を込めているように見えないのに、腹の底に響くドラミングだ。しかもかなりの速度で叩いている。
「伊藤さん、軽く叩いてるみでだげど、私が全力で叩くより音でっかいっちゃー」
鈴木が目を丸くする。
「ほんとすごいー」
ケイトも真剣な表情でうなずく。打楽器に対する興味が完全なものになったと見える。
「会長、大変だべげっと、これがらも軽音部ば指導してけらっしゃいなぁ」
理事長が伊藤たちに深々と頭を下げた。
「大変なごどなのないー、俺だなのひまなんださげ。来んなつたって来るべず」
伊藤が笑う。
「内田と佐竹さよっくおしぇらんなね、おもしゃいっけてよー」
氏家がニヤニヤして大関に言った。
「んだー、あいづだ、くやすいべなー」
「おう、いまから仙台さ行って、佐竹さ語ってくっべ」
林がそう言うとほかのメンバーも大いに同意した。
「んだら理事長、若旦那、今日はこれで失礼します、仙台の仲間んどごいってくっさげ」
伊藤がスティックを回しながら皆に軽く礼をした。
「次来るときは、ハイトーンヴォイスジジイばしぇでくっさげな」
伊藤たちに軽音部の部員が大きな声でありがとうございましたと礼をする。陸上部員もつられて大声で挨拶する。伊藤たちは満面の笑顔で去っていった。
「理事長、こうした外部からの指導は、陸上部でもやってよろしいでしょうか」
増田が直立不動で理事長に依頼する。
「運動部の方はな、あまりおおっぴらにやる訳にはいかないだろうな」
理事長はちょっと困ったような表情を作る。
「いま、伊藤さんたちが仙台とおっしゃってたので、思い出しました。大学の陸上部の先輩が仙台におりまして、このあいだ増田は山形に引っ越してきましたと電話したら、とても喜んでくれました、顔を見せに来いと。先輩にも、時間の取れるときには練習を見てくれるよう頼みたいのです」
増田は歯切れよく言葉をつなぐ。
「そういうことか…運動部の場合ボランティアというわけにも行かないからな、一度お会いしてみようか、非常勤コーチとして契約しておかないと、万一のとき困る」
理事長は真剣な表情で増田に回答した。増田がありがとうございますとキチッと四五度に上半身を折って礼をする。
「夏休みの間に、中島医師がスポーツドクターを連れてくるから、そちらとも綿密にな」
増田がまた同じ動きで礼をし、陸上部員たちに向き直って練習再開を告げてグランドへ走っていった。

(「二〇一六年八月 壱」へ続く)

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