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灰は淡々と星になる


新しいものと変わらないものが交差する毎日。
不器用ながらもわたしはどちらも大事にしたい。
それでも消え去っていくものは必ずあるのだけど。

余裕と余白を心にたっぷり保っていたい。
それくらいの予定と時間と労力がわたしの生活には合っているのだと気付く。
前や上だけでなく、四方八方上下左右を見渡すことが出来るわたしでいることが成長への近道だった。

自分を大切にするということは自分の在りたい心と姿に嘘をつかないということである。


人の気持ちや考えというものは日々形を変えていくもので実際、わたしの頭の中なんてものは毎日毎分毎秒移り変わっている。

''自分を大切にする''の仕方は人それぞれなので、これはあくまで今のわたしの脳内から導かれた納得のいく仮の答えなのだけど。

自分のしたいことに嘘をつかない、自分の好きなものに嘘をつかない、なりたい自分在りたい自分に嘘をつかない。

そしてそれらに費やす労力や時間を大切にする。
きっとそういうわたしが決めている頭の真ん中にいる自分をブレさせなかったらきっと、心の真ん中の自分も大切に出来る気がするの。


''明日には今日を抱えて 明後日には覚悟決めようか
そこに後悔をまとめておいた
正解どうなんだ 正解どう書いた''


この世の全てに意味や理由があると思って生きていました。
けれど、意味も理由も本当も、そこには存在しないものだと気付いてしまった。

それら全て、本当は自分の赴く感情のままに起こし過ぎていった物事に対して、自分の納得のいくよう解釈しただけのただの後付けに過ぎないのだと。


自分の意思とは関係なく起こる出来事には理由や意味などは元から存在しているものではなく、時間の経過につれてだんだんと実をつけていくものなんだと思う。
最初からそれらが在るものは、自分の心に嘘をつかずに決めた覚悟に似た決意にしか存在しないのだと思う。

目の前に起こる事実だけを受け入れる。
想像力のある人間が好きだけれど、想像力を当てる場所をきちんと選べる人間でありたい。
自他の境界線を曖昧にしてはいけない。

悲しいことがあっても、理不尽だと感じることがあっても、目の前で何が起こっても。
わたしはただ淡々と楽しく生きていればいい。
自分のしたいこと、なりたい自分に近づくための、在りたい自分で在るための努力を淡々と続けていればいい。

それがだんだんと全ての理由に、意味に、本当になっていくんだ。


みんな考えて生きているつもりでしょ。
これをしたらどうなるか、あれを言ったらどうなるか、今自分のすべきことは一体なんだ。
数年後、数日後、たった数秒後の未来に対しても何が最善なのかと考え自分に問い続けている。


考えるということは大変豊かなことです。
''考える''という段階に組み込まれている自らの経験や誰かから学んだ言葉、想像力や予見能力というのはまさに生きた過去、生きている現在の産物ですから。

特に''経験''という財産は何にも変えられない自分だけの宝物で、そこから感じ得たものを噛み砕き文章として残しておくという行為は、わたしにとって自分にしか伝わらないとっておきの秘密の書物を執筆するということと同義である。

それがわたしの最大の武器のひとつであり、わたしにしか扱えない魔法のステッキなのです。

けれど、考えすぎはたまに毒です。
自分でどうにか出来る範疇のことだけを考えていよう。
何事もほどほどにがちょうど良いみたい。


夢や希望を持って理想に向かうために、急ぎ足で日常にあれこれを詰め込むことは、すぐ目に見える変化を求めるという点では効率がよく見えるかもしれない。

けれど、月が見えるからと歩幅を緩めて歩いたり、音楽が聴けるからと遠回りをして帰ったり、そういう誰しもが必要だと思わない時間や労力があることによってわたしは穏やかな平常心を保つことが出来るし、そういうものが1番わたしの心を豊かにしてくれるものだった。

わたしが欲していたのは変化ではなく''成長''だった。
変わらないことは何も悪いことではない。
ただ、似通った道を歩いてばかりいては人間は成長しないんじゃないだろうか。

一度立ち止まって深呼吸をし、辺りを見渡してみる。

わたしは他者を否定しないよう心の余裕と、知らない違う何かを受け入れられる心の余白を空けておきたい。
優しさも愛も余裕がないと生まれないと思う。

変化にこだわらず、誰とも比べず、ゆっくり着実に自分のペースで歩んでいきたい。

以前より自分と他人を比べることが少なくなった。
もちろん、この人すごいな〜この人魅力的だな〜と思う人は当たり前にたくさんいるのだけど。

それでも劣等感を抱かなくなったり、自己嫌悪に陥らなくなったのは、きっとわたしにはわたしなりの戦える術が身に付いていると気付いたからだろう。
誰かに認められようとか誰かに好かれようとか、そういう他人軸がもっぱらなくなってしまった。
だって人間は完璧になんてなれやしないからね。
やっと自分軸の芯が太くなってきた気がする。


戦い方というのもまた違うのだけど、ただ、それぞれが勇者の剣を持っているか、魔法使いの杖を持っているかの違いなのだ。

誰かには誰かの武器があるのと同じように、わたしにはわたしの武器がある。
その武器が皆同じだと、たしかにこの世はつまらないでしょ。
人との繋がりや相性なんてものはゲームでいう相性補完なだけですから。

人の目に映る自分より、わたしの目に映る自分。
分かり合えない人がいても、この人は草属性なんだな〜まあわたしは水属性だからね!と受け流すことも時には大切です。


もう25歳か〜と焦燥感に駆られてこの塊をどうにかしなければとずっと思っていたけれど、よくよく考えてみればまだ25歳か〜と思った。

したいことをして行きたいところに行って食べたいものを食べて会いたい人に会いに行ってなりたい自分になる。
そうやって自分に素直に生きていくことがわたしの決意であり覚悟なのだ。

大切なのは正直でいるより素直でいることだ。




''「なあ準備はいいか」
「ああ覚悟も出来てる」
「後で弱音を吐くなよ」
「ああきっと大丈夫」
「引き返したり出来ないからな」
「ああひたすら進むよ」
「後で泣きたくなるなよ」
「ああなんとか頑張るよ」''

わたしは毎日を中途半端にやめない。
わたしは毎日を中途半端に食べ残さない。
毎日をちゃんと''やる''のだ。

''明日に続く道が今日で終わるなら
このまま夜は起きない 君を起こす人も消えて
重ねたエゴの形が 燃え尽きて星になる
星になるのさ''


本当のわたしが長い睡眠から目を覚まして太陽の日差しも月の明かりもわたしを照らしてくれていると、分かる。


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