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農業経済から「食の安全」まで 産官学でフードシステム論を牽引/中嶋 康博 教授 [農学部リレーインタビュー vol. 2]

食料が生産の現場から消費者に届くまでを支えるフードシステム。加工や流通、販売など様々な人の手を経て私たちの口に入るからこそ、その根幹となるのは信頼です。農業・資源経済学専攻の中嶋康博 先生が、産官学をあげて取り組んだフード・コミュニケーション・プロジェクト(FCP)を通して見えてきた、食の信頼をつくるために重要なポイントを語ってくださいました。

プロフィール  |   中嶋 康博
東京大学大学院農学生命科学研究科 農業・資源経済学専攻
開発政策・経済学講座 食料・資源経済学研究室 教授。農学博士。
専門分野は農業経済学、研究テーマは「フードコミュニケーションに関する経済学的研究」。
日本フードシステム学会会長、農林水産省食料・農業・農村政策審議会会長などを歴任。主な著書に、『食品安全問題の経済分析』(日本経済評論社)、『食の安全と安心の経済学』(コープ出版)など。

食料経済学と資源経済学の2本柱

私たちの研究室の活動は、食料経済学と資源経済学の2本柱で構成されています。食料経済学といっても世界の食料問題や貿易ではなく、フードシステムの分析が中心となります。食料供給において農場から食卓までのフードチェーンにおいてどのような経済的システムが組まれているのか、そしてその中で食品製造や食品流通が「食の信頼」や「食の安全」にどのような貢献をしているのかを研究していて、この後詳しくご紹介します。

一方の資源経済学ですが、これは農地や農業用水など農村資源を対象とした研究です。例えば、昔の田んぼ、稲作用の圃場ですが、その形は小さくバラバラで、持ち主の配置も入り組んでいて、パズルのピースのように広がっていました。1950年代ぐらいから全国で土地改良事業が進められて、持ち主ごとの圃場の権利関係を整理してできるだけ同じ場所に集め、その上で大きな長方形に形状を整えて、それぞれにとりつく水路と道路を整備してきました。その結果、用排水の管理が容易になり、農業機械類が使いやすくなったことで、圃場ごとにきめの細かい生産管理を行えるようになった結果、農業の生産力が急上昇したわけです。そうした事業への投資によって社会資本を含めた農地の改良が進んでいった過程と経済効果を農業土地資本という観点から計量経済学的に分析してきました。

FCPで「食の信頼」を関連業界と共に牽引

次に「食の信頼」の研究をお話しします。現代の食料の供給システムが複雑化する中で、消費者が安心して食べ物を購入し食べることができるのは、実は「食の信頼」があるからです。フードシステム論では、「食の安全」を向上させつつ、「食の信頼」を高めていく上での課題と解決策の解明が大きな研究テーマとなっています。

わが国では、2000年ごろ、BSE感染や乳製品の集団食中毒などの事件が立て続けに起こり、消費者の「食の安全」への関心が高まりました。また2007年から2008年に食品偽装事件が集中して起こり、「食の信頼」が失われる事態となりました。私は、その信頼回復のために2008年に農水省が立ち上げた産官学連携のフード・コミュニケーション・プロジェクト(FCP)に参加しました。立ち上げ時に製造業、卸売業、小売業、外食産業から有力企業約70社が参加してノウハウを持ち寄り、知恵を出し合って「協働の着眼点」を作り上げました。それは200を超える項目のチェックリストとして構成されているのですが、それを分かりやすく16の項目に集約した「ベーシック16」も開発されました。食品事業者がこれを参照しながら自社の取り組みを振り返って自己評価することで、これから重点を置きたい部分、改善すべき点を確認することができます。その枠組みをもとに作成されたFCP商談会シートは食品事業者の間に広く普及していて、個々の改善の取り組みを、取引先など他の事業者へ「見える化」して相互のコミュニケーションを促進する役割を果たしています。

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失った「食の信頼」を取り戻す鍵は中立性

FCPの活動に関連して、「食の信頼」の実態を把握すべく1万5000人を対象に大規模なWeb調査を実施しました。肉・乳製品・菓子・清涼飲料水などの主な業種を想定して、もしある業種で食品事故が起こった時に、他の業種でも同じように起こる可能性があるかどうかをたずねることで、「懸念の伝播」が起きているかどうかを調べてみたのです。この調査の結果から、「基本的に他人を信頼できない」と考えてしまう「低信頼」型の人は、企業は都合の悪いことを隠すはずでどの企業であっても信頼できない、と回答する傾向にあることが分かりました。一方で、「世の中には信頼できる人も、逆に信頼できない人もいるが、それを自ら見極めることができる」と考える「高信頼」型の人ならば、事故を起こす企業がいたとしても、そのことからどの企業も信頼できないと思うようなことはないことが明らかになったのです。

以上のことから、何か問題が起きた場合の消費者への対応は、「高信頼」の方々には事態を詳しく知った当事者である企業が自ら語りかけことができるが、「低信頼」の方々には行政など一般的に中立的とされる第三者から話しをした方がよいということがわかったのです。今後、FCPが食の信頼を高めるための効果的なコミュニケーションを模索するうえで非常に大切なポイントになると考えています。そしてこの調査を多くの企業と一緒に進めたことは、私にとってフードシステムの実態を深く勉強するよい機会になりました。

これからの農業経済研究を分野横断的視点で提案

日本の農業は今、岐路に立たされています。少子高齢化による農業の担い手不足は顕著で、すでに農地や農業用水の維持管理が困難になりつつあります。そのことを解決するために、農業の省力化や自動化のために技術開発、IoTを活用したデータベースの構築、効率的な農業を担う経営体の育成などの取組みが行われていて、そして新技術を導入するための法改正なども進められています。加えて、国内の食料消費量も消費額も減りつつあり、今後の人口減少によってマーケットの縮小が深刻になる可能性もあります。社会全体の仕組みが変わりつつある中で、消費者と生産者のつながり方も見直さなければならない時がきています。そこでは政策の議論も非常に重要だと考えています。

農業経済学は農学部の中にある唯一の文系分野ですが、大学院へ進む学生が少ないことを少し残念に思っています。情報科学や生命科学などの最先端の科学技術の研究動向も身近に触れながら、社会科学としての研究ができるチャンスを学生たちに提供したいと思っています。私たちにはこれまでの研究の蓄積から多くの企業とのネットワークがあるので、学生が興味を抱いたことに対して必ずどこかしらのフィールドを提供できるはず。分野横断的な研究の楽しさを意識してもらえるようにしたいですね。


〜 インタビュー後記 〜
インタビューの最後に、農業経済学での研究は「人」を相手にするからこそ、農村や企業などの「現場との関係」を大切にする伝統がある、とおっしゃっていたのが印象的でした。中嶋先生が立ち上げたアグリコクーンの活動はまさにその実践のひとつなのだと腑に落ちる瞬間でした。


(インタビュー実施日 2018.06.07)
インタビュー・編集/東京大学大学院農学生命科学研究科 One Earth Guardians育成機構 深尾 友美, 中西 もも
構成・文/ハイキックス

[東京大学農学部リレーインタビュー]
東京大学 One Earth Guardians育成プログラムでは、東京大学大学院農学生命科学研究科の教員たちに順次インタビューをしています。研究の内容だけでなく、取り組むきっかけ、そして研究を通して見つめたいこと、問いかけたいことまでざっくばらんに語っていただいています。時には、農学生命科学研究科の外にも飛び出してお話を伺っています。
お話を聞かせていただいた先生に、次の走者=インタビューを受ける方を紹介いただく「リレー形式」でタスキをつないでいきます。
個性豊かな研究者たちの人となりも垣間見ていただければ幸いです。

東京大学農学部リレーインタビュー(タスキ)_210630 紺_水色【使用版】

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