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幻想鉄道奇譚 #19

 車窓越しに、墨色の海が見えてきた。月に照らされた水面が儚く輝き、闇夜の雲がゆったりと流れていく。その光景を眺めていたエイダンは、クーパーの宝箱みたいだとぼんやり思う。

 初乗車からいろいろあったものの、バーレンを出発してからは順調だ。気づけば終着駅のアースニアまで、あと二日となっていた。だからといって気持ちをゆるめるわけにはいかないが、ここまでなにごともなくこられて安堵せずにはいられない。なにしろこの列車には、敵対する者同士――AとB・Bが乗車しているからだ。

 ギャレットには昨日、すでに断りをいれている。車内販売のついでに意を決して、「やはり自分にはできません」ときっぱり伝えたのだ。なにを言われるだろうかと身構えていると、ギャレットは柔和な笑みを向けてきた。

「つまり、裏切り者にはなりたくないということかな?」

「えっ?」

「冗談だよ。まあ、いいさ。しかたがない。しかし、もしも気持ちが変わったら、私はいつでも歓迎するよ」

 気持ちが変わるとは思えないが、一応「はい」と返事をしておく。控えめにうなずいて部屋をでようとしたとき、

「私のことを誰かに話したかな?」

 そう、静かな声音で問いかけられた。

「いいえ」

 目があう。一瞬の沈黙。と、ギャレットはまた微笑んで見せた。

「君は賢いね。賢明だ」

 そう言っただけで、ベッドに横たわった。もっと食い下がってこられるかと覚悟していたが、ギャレットの返答はそれだけだった。以後、車内販売はゾーイの担当車両になったので、会わずにすんでいる。最初で最後の機会を棒に振ってしまい、残念な思いがないわけじゃない。でも、自分にとって正しいと思えることを選んだ自信はある。うしろぐらい後悔よりも、その心地よさのほうが格段に勝っていた。

 この仕事を続けるかはまだわからない。結局このまま一往復することになりそうだ。エイダンは夜の海を見つめながら、どうするかはサウスシティに戻ってから考えようと決めた。

* * *

 空が白んでいくのとともに、列車は海岸から離れていく。やがて三日目の停車駅、カクスバーグに着いた。なだらかな丘陵の先は、一面の海だ。藍色、紫、ピンク色が混在する夜明けのインクが空を染め、海面をきらめかせる。耳をすませば、波音が聞こえた。

 海鳥の鳴き声がこだまするなか、眠る格好に着替えたエイダンは、マットレスの下にスボンをきっちりと置いた。戻したマットレスに腰をおろし、パトリックの用意してくれたサンドイッチを食べながら車窓を眺める。生い茂る雑草に邪魔をされ、残念ながら海は見えない。あきらめてカーテンを閉めたとき、パトリックがきた。そのうしろに、なぜかスミスがいる。どうしたのだろう。まさか。

「なにかあったのですか?」

 とっさに腰をあげると、スミスはそうじゃないと言うかのように苦笑した。

「僕も朝食の時間だから、海を見ながら食べないか」

「えっ」

 そうしたかったがあきらめたところだ。思いがけない誘いにびっくりし、かたまってしまう。パイプをくわえたパトリックが笑った。

「せっかくの海だ。そうするがいい、若者よ」

 肌着にシャツを羽織ったエイダンは、食べかけのサンドイッチと水筒の水を持ち、制服姿のスミスに続いた。乗務員用車両の乗車口から外へ出て、点検用に車体に設置されてあるはしごをのぼる。

 車両のてっぺんに立つと、丘陵の先の海が見えた。エイダンは清々しさと開放感に目を輝かせ、おおきく深呼吸をする。草木を揺らす風の音が心地いい。空をゆったりと流れていく雲の輪郭が、淡い青に変わっていく。そして、きらめく波間と音。鳥の声。世界のすべてが調和していて、美しかった。

「カクスバーグに着いたら、ここで食べることにしてるんだ」

 あぐらをかいたスミスは、そう言うとサンドイッチを頬張る。

「そうなんですか」

「うん」

 エイダンも同じように座り、水を飲む。今日もスミスの胸ポケットには、造花のバラがある。

「あの、聞いてもいいですか」

「なに?」

「その……バラです。どうしていつも、胸ポケットにいれているんですか」

 胸ポケットを見下ろしたスミスは、花びらを指先で整えてから、ふたたびサンドイッチを口に運んだ。

「これはダニーが……前の車掌が、お客さんからもらったものだ。親切のお礼にって、おばあさんがくれたらしい。彼が退職したとき、僕にくれたんだ。僕の宝物だよ」

「前の車掌さんって、クーパーさんの宝石箱の写真にいた人ですか?」

「そうだけど……ゲイルが見せてくれたのか?」

 スミスが目を丸くする。こういった表情になると、端正な顔立ちもあいまって少し幼く見えるから面白い。

「いえ、あの……うっかり箱を見つけてしまって、それでつい手にとってしまいまして……。なにしろ有名な芸術作品だったので、思わず開けてしまったといいますか」

「へえ? あの箱って芸術作品なのか。たしかにすごい箱だとは思ってたけど、それは知らなかったな」

 興味のない者にとっては、無価値なものらしい。エイダンはちょっと笑った。

「生地がなんで動くのかゲイルに訊いたことがあるけど、ゲイルもよくわかっていないみたいだったな。けど、君はわかるんじゃないのか? ああいうのを大学で学んでたんだろ?」

 エイダンは視線を落とした。

「この世界には、目に見えない微粒子の集まりがあるんです。それをエーテルと呼びます」

 そうしてぽつりぽつりと説明した。集めた微粒子を物質化させ、生地に定着させる技法をもちいた宝箱であること。同じものは世界に存在しないからこそ、芸術作品として尊ばれることも。

「じゃあ、君もできるのか?」

 さらりと訊かれ、エイダンはうつむいた。

「僕にはできません。僕は定着させられないので……」

「ふうん。難しいんだな」

「そうですね」

「けど、エーテルを集められるんだろ? 才能がないとできないことぐらいは知ってる。それだけでもすごいじゃないか」

 いいや、違う。それだけじゃだめなんです。それだけじゃ、意味がないんです。

「僕のは使えない才能です。こんなもの、はじめからなければよかった」

 そうすれば、身の丈にあわない夢を追うこともなく、ギャレットに誘われることもなく、天才と自分を比べて劣等感にさいなまれることもなかったはずだ。

「……才能は天才だけに、恵まれるものであるべきです。技量のない凡人には、辛さしかもたらさないものです」

 うしろ向きな発言に恥ずかしくなり、エイダンはうつむいたままサンドイッチにかぶりつく。無言で食べ続けていると、スミスが言った。

「つまり、天才には使いこなせる才能で、君には使いこなせなかったってことか」

「まあ……そうですね」

「決めつけるのは早いんじゃないのか」

「そうでもないんです。なにかを目指して学んでいるうちに、おのずと自分の技量がわかってきてしまうので……」

「そんなもんかな」

「そういうものです」

 沈黙。風の音と波音がまざりあう。エイダンが水筒の水を飲み干したときだ。

「天才にはできて、君にはできないことがあるのならさ、その逆もあるんじゃないのか」

 スミスが言った。

「えっ?」

「天才には、君にできることができないかもしれない。その才能に気づけるかどうかは、きっと君次第だ」

 そんなことを言われたのは、はじめてだ。君には無理だ、君にはできない。そう言われて続けてきたエイダンは、驚いて息をのんだ。そんなエイダンの様子に気づきもせず、スミスはのんびりと海を眺めている。

「あんまり自分をがんじがらめにするなよ。ただでさえ短い人生がつまんなくなるぞ」

 ちょっと胸に響いた。いや、かなり胸に刻まれてしまった。

「……いい言葉です」

「ああ。僕の養父の言葉だ」

 腰をあげたスミスは、大きく伸びをした。

「みんなに愛される車掌だったからね」

 胸ポケットのバラと、写真の車掌の姿が重なった。そうか、そういうことだったのか。

 スミスはあの車掌の養子だったのだ。

「……なんか、すみません」

「なにが」

「あなたのこと、胸に造花なんか挿してて、気取ったいやな奴だと思っていたので」

 ぽかんとしたスミスは次の瞬間、声をあげて笑った。そんなふうに笑うスミスに、エイダンはびっくりする。

「別にいいさ。こっちだって君を使えない奴だと決めつけて、早く辞めるようにいやな態度をとっていたし」

「えっ、そうだったんですか?」

「まあ、半分はそうだね。残りの半分は本気で気に入らなかった」

「結局気に入らなかったんじゃないですか」

 半眼のエイダンを見て、スミスはまた笑った。

 強い風が吹いて、枯れ葉が舞う。エイダンもなんとなく笑いたくなって、かすかに肩を揺らした。勤務三日目、車両内に戻ってスミスとわかれ、部屋のベッドに潜りこむ。パトリックのいびきをもろともせず、エイダンは久しぶりに深い眠りについた。

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