植物LOVE
写真を撮るというのはこれまで私になかった習慣です。
撮ってもらうことが多くて、機材を持つ習慣もなかった。
もちろん、ちょっとした時にiPhoneを取り出すことはあっても、そこにちゃんと眼を注いだことがなかったと思います。
植物を撮り始めたのは2月ぐらいだったかな。
何を撮る?
例外として、娘の幼少時代にはデジカメを購入して、なんとか可愛いその瞬間を記録したいと思っていたけれど、ある時に娘がカメラを使いたいと言ってパシャリと撮ってみた時から、撮影は娘の役割になったのでした。初めから娘はとてもちゃんと撮れていたのです!ああ、こういうことにも才能ってあるんだな。
小学生時代の娘は常にデジカメを携帯し、ブランコに乗る友達や、車の下に寝そべる猫たちなど、生き生きとした写真をごっそり撮っていました。
私が植物を撮るきっかけとなったのは、あるお庭のお手入れでした。
報告記録として必要だったのですが、落ち葉を整理したあと、まだ寒い早春に芽吹き始めた植物たちの生命力にいちいち感動しています。
私はやっぱり植物を友人と感じていて、とても好きなんだなあ。その生命の勢い、美しさを記録するのは楽しいな!
この松、剪定時期なんだけど、どうしてあげようかな。
調べたり考えるにも記録は役に立ちます。
リズムと動線
放射状、四弁、互生…
私は自然の造形から、やはりリズムを感じています。
真っ先に春を知らせてくれていた梅は、もうたわわに実って、初夏を知らせてくれます。実るって豊かなことだ。こうやっていちいちが次の命に生まれ変わっていく。
梅の花がなぜ互生なのか、実がぶつからない為になんだな。自然の営みは常に、譲り合い、相互に助け合う機能が備わっています。それを眺めていることは、人はどうあればいいのだろうか、ということも教えてくれるよう。
ゆらめき。曲線。重さ。色。風になぶられて美しく揺れ続ける。
少なくとも、どう今日を咲こうかと。
光。透過性。補色。水玉。葉脈。花が咲く、この一瞬の目一杯。
樹木的感情
植物が見せてくれる景色は、自分が幼少の頃に見ていた景色と近いような感覚です。小さな私はほとんど外で遊んでいたので、井の頭の森で植物に囲まれて、いつもその色彩越しに光を浴びていた記憶があります。私の中で、木漏れ日と舞台のライトはとても似たものです。
なぜタップダンサーになったのか。
ダンサーながら音楽に憧れていた、ということが第一の動機と思っていたが、気づかなかった植物Loveが高じて、ということは考えられるなあ、と思う今日この頃。
無垢材の音と日々対話を重ねています。
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