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青の時代

昨日までかなり頭も動き、元気だったのだが。
雨のせいもあるのか、ちょっとしたことをきっかけに、不安が膨らんでしまう。
こうした方がいいよというアドヴァイスが、それをしなければ人として成り立たないですよ、と脳内変換されてしまう。
善意を、そのままありがとうと受け取れなくて、攻撃に感じてしまう。

根本的なコミュニケーションが間違っているのか。
存在に自信が持てない。

こんな状況を、なるべく客観的にみてみようとする。
私、何を直したらいいのだろう。
考えようとしてもネガティブな渦に巻き込まれ、ただの堂々巡りに陥ってしまう。こういう日は思考が使えない。周りから整えよう。

大家さんにお大根いただきました!

料理をし、作業をする。
ひたすら自分の稽古記録をみて、退屈なものを削除し、2回見ることのできたものだけ残す。創作の手前の、確認作業。ふと使いがちな表現は、どんなふうに見えるのか。
これも依存というだろうか。
それとも、ここから客観を得られるだろうか。

作業が進むと少し落ち着いてくる。
基礎練するうちに集中力が生まれて、稽古に入れる。

創作の時間には喜びがある!

鬱がひどかったこの冬、脳内に広がるネガティブな自己攻撃を追い払うために、ブツブツと唱え覚えてきたある文句が、いや、なかなか覚えられなくていつまでもノートを手放せなかった文句がある。
先日、そのノート上の漢字全てが、突然リズムに見えてきた!
よし!
こうなると、振付はあっという間に進む。
突然リズムに見え出した文字群を、動きと音に起こし、繰り返し踊って覚える。覚える時には動画は頼りにならない。覚えるのは身体だから。
ちゃんと覚えるために、1日に三分の一だけをじっくり進め、振付は3日で終わった。まだまだ直していくが、踊りにしたら同時に文句も覚えた。漢字の上にはリズム符が書き込まれた。

つぼみのうちから華やかね、牡丹

おそらく(あまりはっきり覚えていないけれども)、昨年もこうやってなんとか生き延びていたのだろう。
どんなにひどい日も、踊る時間に私は回復する。
これも依存かもしれない。
けれど、なんとか生き延びた証拠が作品になるのだから、ま、いいか。

ピカソの青の時代、みたいに。
この時期のタップアカペラ作品群が、いずれ誰かに響くものに育ちますように。



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