子どもがNOと言える保育者との関係
2020-02-17 22:46:24
テーマ:保育・教育
ダンスに夢中になっている女児たち。
まあもう少し詳細に書くと、紆余曲折あり、仲間が増える。
でも、先日、アクシデントもあり、ラジカセが壊れる。それまで
ディズニーの音楽かけて、振り付け考えて、ノリノリになって踊ってたんだけど。
壊れてどうするかと思ったら、自分たちで曲を考え始めた。
だから、直すのをやめた。
でも、よーーーくみてみると、一人の子がリーダーシップ発揮して主導してる
ように見える。
だから、ちょっと間に入ってもっと皆に共有できるように援助するんだけど
リーダー的な子は乗り気ではない。
周りの子に働きかけるも、さほど響かない。
じゃあ、自分たちの踊りをビデオに撮って振り返ると何かが違うのかと
やってみるが、さほど響かない。
うーーん。
ちょっとイライラしてくる。
色んな提案をしてみる。
でも、いまいち響かない。
でも、しつくこく問いかける・・・
で、子どもに、先生もう、子どもだけで相談するからあっち行ってって言われる。
さらにイライラする。
たぶん、数年前だったら、そこで教師パワー(強権発動)して
自分(保育者)の思った通りにしただろう。
これは、お話をグループで作り、劇をしていたころの話。
「みせる」というゴールもあったから、体裁を整えなければならないという
プレッシャーは半端ではない。
ぞの時は、各グループでの子どもたちの練習を見る眼差しも(担任)、「蜷川幸雄」よろしく灰皿がとんでくる勢いだったし(実際は飛ばないが、それだけ怖かったということ)、とてもじゃないけど肯定的になんてみられなかった。
ほんと、あの時の子どもたちには申し訳ないほどである。
今回は、劇そのものの幅を広げているし、親の観覧も廃止している。
でも、どうしても、それまでの経験が邪魔をする。
これでいいのか
対話的な要素が少なくていいのか
いろんないろんな思惑や目的のようなものが頭の中を去来する。
迷いながらも、手前味噌で恐縮だが、ゴリ押ししなくなった自分を褒めて
あげたい。
子ども主体とか興味からの出発って、とても大事なことだけど、簡単ではない。
簡単ではない、というのは、こちら側の修正が求められるから。
単純な修正ではない。
今日の計画なんてものではなく
自分の保育観そのものが揺さぶられることもある。
だって、この時期はこれでしょ、って思っていたものが、子どもにNOと言われる。
簡単には引き下がれない。
でも、ここ数年の積み重ねの中で(若手の保育者も頑張ってくれた)
ゴリ押しする保育っていうのはやってない。
だから、子どもが「先生、あっち言って」って言えるんだよね。
自分の保育、自分の計画が「違うよ」って子どもに言われる。
いや、単純ではない。イラッとくる。
でも、大事なことだとも思えた。
今まで、そんな子どもはいなかった。
今までの劇活動の中では、子どもはある種、「いやだ」という言葉を
飲み込んでいたのかもしれない。いや、きっとそうだろう。
NOと言う子どもを、子どもの言葉を、子どもの意思を大事にしようと
思う。
が、やっぱり、くそ〜‘って思う、そんなジレンマを感じる今日の保育。。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?