身体の動きは、心と連動する
仕事に行く時の歩幅と、仕事終わりの歩幅は違う。
幼稚園に向かう時は、駅から園までの自転車のペダルが重く感じる。
でも、どういうわけか、帰るときはペダルが軽い。で、自宅最寄駅から歩いて帰ってくる時の、歩幅はどこかゆっくりになる。
これってなんだろう。
多分、朝はどこか心が仕事モードになり、歩くスピードも速くなり、自転車のペダルを漕ぐ回数も多くなるのだろう。
別に悪いわけではない、身体が自分のカラダを仕事モードにしようと鼓動を早くさせようとしているみたいだ。
多分、あそこでノンビリペダルを漕いでいたら、仕事モードーつまり保育モードにならない。そう、僕は自分の身体をペダルを漕ぐことによって「保育モード」にしている。それも無意識に。
身体の動きは、心の動きに連動する。
この夏休み中に、図書室をリノベーションした。職員のみで、インパクトドライバーと丸のこを使って。DIYだ。
ある程度の外枠はできた。
ただ、ここからは、もともとあった教材や図書などを仕分けたり、整理するという地道な作業が残っている。上の方々は、いつものように、まあ関心はなさそうだ。
つい数年前だったら、上の号令がなければ、私も含めて何も動かなかっただろう。
だって、余計な仕事はしたくない。言われてもない仕事はしたくないからだ。
今日は準備出勤だったが、保育者の方から「あの図書室どうする?」と声が挙がる。「やるんだったら、今日だろうと思っていた」と。
この言葉に僕は驚く。つい数年前まで、上の号令がなければ余計な仕事はしたくなかった風土。
それが、ここ数年の少しずつの変化により、上が言わずとも、自分の仕事以外のことに思いを馳せていくことに驚いた。
なんか偉そうに言葉を並べているが、別に僕は、彼女たちと同じ立場の担任なわけで、上司でもない。
午後の14時から作業をしようと、同僚たちと約束をする。上は、なんか仕事があるようだが、僕は今日そんなことをする、とだけ伝える。
14時になると、本の仕分けの作業が始まる。僕は、紙芝居を置く棚があまりに重すぎてタワんでいたので、仕方なく2×4の材木を寸法を図り強度を高めるために補強する。本音は、この場所にいながらみんなと一緒に作業したかった。
まあ、それはいい。
しばらくして返ってくると、ラベルごとに本を並べることになったようで、「青はどこ?」「こっち」と威勢の良い声が飛び交う。
しばらくすると、若手たちが教材をしまうボックスは何がいいかPCを眺めながら検討している。
寸法と使い方を予想しながら、プラスチックの方が洗えるからそれが良いとのこと。僕は、うーん、と一呼吸を置くと、その呼吸に気づかれ、「違う方がいいですか?」とモモコに尋ねられる。
だって、そもそも洗わないじゃん、だから自然素材が良いよ。
すると、他の職員も割って入り、いや自然素材だとここの場所はカビが生えると。
なるほど。それは一理ある。
そんなやりとりをして、僕の案は却下された。
なんか、心地よい心境だった。別に僕の意見なんて却下されようが、ダメ出しされようが構わない。むしろ、まあまあの先輩である立場の人間に、臆することなく意見を言うことがどれだけ尊いことか。
そいで、やっぱり若手も中堅も、ベテランも、誰に言われるわけでもなく、必要だと自分が思う仕事を、忙しいのにも関わらず、皆でやろうと行動したことが何よりも素晴らしい。
行動することで、意識が変わっていく。
そう、うちのチームは、上が少々ボンクラでも、自分で動くようになってきた。そして、動くようになってきたことで、自分で考えるとゆー「主体性」の芽が出てきた。
これからの組織、チーム。もちろん、リーダーも大事。
一方で、リーダーだけではない、チームの個々が大事。それを最近、実感している。
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