子ども主体の保育が「すぐできる」か「100年後」かどうか明暗を分ける3つのこと〜口コミと不確実性の放棄〜

最近は、あまりに忙しすぎてアウトプットする時間も作れなかった。かくかくしかじかあって生活という仕事の仕方が変わり、目も回るほどの忙しさになる。

今までブログなどのアウトプットをしていた時間は、文献を読んだり、英語学習に充てなければならず、必然的に趣味的であるブログへのアウトプットの時間は削られていく。

まあそれはそれとして。今回は、1月に書いたままになっていたテーマの続きを書きたいと思う。つまり、「子ども主体の保育が「すぐできる」か「100年後」かどうか明暗を分ける3つのこと」の続編である。

前回は、こちら

前回は、分量的に「3つのこと」と書いたのに1つしか書けず。その1つ目は、「既存の枠から、抜けだして考えられるのか」でした。

難しそうなことに見えるが、なんとことはない。自分の頭で考えるということです。

なんだ、そんなこと、毎日してるよ、という声が聞こえてきそうです。

しかし、本当でしょうか?本当に自分で考えているでしょうか?

例えば、明日飲みにいく場所を探す時、すぐに食べログの口コミを見ていないでしょうか?また、新たなAmazonでどのサプリメントがいいかを口コミをみて決めていないでしょうか?

口コミや数値は、考える際にきっかけになります。しかし、実際はどうでしょう。口コミや星の数が多いのに、自分はそうは思わなかったという経験はないでしょうか。

あるいは、自分が好きな映画が、あまり評価が良くはないということもあるでしょう。

それは、当然ですが、人によって評価の観点が異なるからです。また、概ね全体的には良いのに、何かここだけは気になったということで、全体の評点を低くする、ということもあるでしょう。つまり、測定の方法の違いもあります。

口コミや星の数を参考にするとは、つまり「理解」ではなく「安心」を求めてしまうことです。

すなわち、自分で考えることを放棄し、他者に考えることを委ねてしまう、ということです。

え?だって仕方ない?考えるためのリソースが少ないじゃない?ですって?
確かに、そうです。見知らぬ場所で、知らない居酒屋に入るというのは不安もあり、勇気がありますよね。

わかります。失敗したくない、ですもんね。

失敗することは嫌ですもんね。

失敗を避けたいですもんね。


・・・・・・・・・・・

そうなんです。失敗を避けたいという発想、なんです。諸悪の根源は。


誰だって失敗を避けたいです。しかし、人生において「失敗」つまり、うまくいかないこと、というは、意図的に避けられるのでしょうか。

90年台の受験戦争の根本の一つであった「良い会社に入れば将来が安泰である」という親の過度の失敗回避傾向は、自ら考えさせるという自立の精神を衰退させました。

今は、むしろ、失敗という予想外の事象に出合った後の、対処が求められる時代です。

つまり、もう少し整理して言うと、失敗を避けたいという思いが、自分で考えるという行為を放棄し、口コミという他者へ考えることを委ねてしまっている、ということです。

違う言い方をすると、不確実の放棄です。


もし、入った居酒屋さんがあまり良くなければ、場所を変えれば良いでしょう。

孤高のグルメの吾郎さんは、お店の立地や佇まいで判断してます。まあ、漫画ですが、いわばそういうことですよね。


保育ということに話を戻して、最後にします。

保育とは、瞬間瞬間の判断が求められる仕事で、いわば選択の仕事です。

また、担任であれば、翌週や翌月の計画を立てるなど、考える仕事でもあります。

その際、何かを根拠にし、判断します。

その「なにか」は、なんでしょうか?

先輩に言われたことや、園の文化、あるいは「去年もやっていたから」だけに、なっていませんか。

もちろん、経験の浅い保育者や新人さんは、そういったことが判断の材料となるでしょう。しかし、それだけ、にならないようにしましょう。

新人さんは、そんなことが考えられないくらい忙しい。

わかります。でも、言われたことをそのままする、というのはロボットでもできます。1分でもいい、短くてもいい、「なぜ?」を考える時間を、忙しいからこそ、今、考えなくてはいけないのです。


思考とは、その1分の時間の積み重ね、です。

忙しいから考える暇がないと思った瞬間から、思考の放棄が始まります。
そうなってからの習慣の修正は、かなり大変です。

さて、今日は②を書こうと思ったのに、なんと①の続きを書いてしまいました・・・。まあ、「かんがえる」ということは、それほど奥深いということですね。

あなたの描く実現可能な未来は、明日ですか?100年後ですか?





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