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純粋に推していた頃のお話。

※画像は江島史織さんの作品を拝借いたしました。

今の私が出来上がるまでに絶対に欠かせなかった推しが何人かいます。これはそのうちの1人とのお話。特別な関係とかではなく、単なるアーティストとファンですが、その人と出会ったことで、オッカケを学んだし、誰かを応援することの素晴らしさを知ったと言っても過言ではない存在です。今でも大切な大切な存在です。

中3。15歳くらいだったのかな?14〜15歳にかけてくらいだったと思います。あるヴィジュアル系バンドにハマり、現場に通うようになりました。最初の頃はあまり友達もおらず、現場に行くことに対して積極的ではなかったあの頃。何のタイミングでオッカケスイッチが入ったのかは全く覚えていません。そのくらいナチュラルに好きな気持ちが積み重なったような気がします(笑)

当時は中高生で、進学校に通っていたのもあり、バイトもできず、日々のお小遣いを貯めて、何回かに一度現場に通っていました。当時のヴィジュアル系バンド界はAmebaブログ全盛期時代で、現場に行けなくてもブログは毎日更新されるし、コメントはできるし、メッセでコミュニケーションが取れるという時代。(もちろん返事はある場合とない場合がある。私はない派。私は決して繋がってない。)音楽を浴び、ブログで思想を浴び、コミュニケーションが取れるという日常的に「好き」を貯蓄できる環境がそこにはありました。例に漏れず、私も「好き」を貯蓄していきました。

最初に出てきた感情は「私の存在を知ってほしい、覚えてほしい」といういわゆる認知でした(笑)当時は「認知」なんて言葉なかったと思うけども。まずそのために幼稚な頭をフル回転し、できることは全てやっていました。ブログへのコメント、毎日メッセを送る、イベントの時は自ら名乗るなどなど。とにかく刷り込みをしまくっていました。(今となっては申し訳なさしかない…)今は名札を付けるというのは当たり前になってるけど、当時はあまりいなかった中で、私は付けて行っていた記憶がある。(「名札つけたら良くない!?」って閃いた自分は天才だと思ってた)赤いチューリップの幼稚園児が付けてるやつ。

そしてだんだん覚えてもらえるようになって、次の感情が芽生えてきます。それは「特別なファンとして存在したい。」というもの。ここはあくまで「ファンとして」という気持ちがあったように思います。「彼女になりたい」とか「繋がりたい」とかは怖くて思えなかった。まだ当時中学3年生とかそんなものだったし。「そういうのはあくまで大人の世界」って割り切っていた。早く大人にはなりたかったけど。「特別なファンってなんだろう…?」と日々悶々と考え続けていました。その中で私が考えたことが「オフィシャルでない場面でサポートすること」でした。どういうことかと言うと、オフィシャルな場面、例えばツアーを回るとかイベントを開催するとか、ファンがみんな集まるような場面、そこで1本でも多くライブに行くことやインストアイベントを複数回まわるとかはそこそこ熱烈なファンであれば、普通にやります。私もやっていました。だからその場面で差別化することには限界がある。(正直お金の限界もあった)だからそういうオフィシャルな場面ではなくて、入待ちや出待ちといったオフィシャルとプライベートの狭間のような場面で何かできることはないかと考えていました。これが私がオッカケになるきっかけでした。

具体的に何をしていたかというと、ザッと下記のようなことをしていたと思います。(正直10年近く昔なので記憶が曖昧)

①ブログが更新されたら即コメント
②メッセを毎日送る(今の時代でいうDM)
③イベント行ったら必ずレポ&所感をブログにUP
(所感は自分の感想ではない。
 バンドの立ち位置的な話。
 「◯◯からファンサもらった〜!」という
 個人的な感想にきっと本人は興味ない。)
④ラジオ番組への毎回の投稿
⑤公共交通機関の入待ち/出待ちと差し入れ
(ライブハウスに迷惑をかけたくないメンタリティー)
⑥TOがいるグループに所属する
※ツアーを回ることとインストアイベントを
 複数回まわるのはデフォ。

こんなもんかな…。
とにかくこれを試行錯誤しながら毎日やりきる。やりきることが大切。相手は人だから響くポイント・刺さるポイントがあり、そこに的確に訴えかけることが重要。彼に自分の存在押し付けるのではなく、「こいつおもしろいな」「なんかこいつ話わかってるな」そんな感覚を与えたくて本能的にやっていたと思います。(実際どう感じていたかは知らない)自分の存在押し付けられても相手は「ハイハイ」としか思わないし、しつこすぎて嫌われる可能性すらある。人が動くのはメリットを感じた時か、恐怖を感じた時と言われているけど、後者には絶対になりたくなかった。そんなことを考えながらオッカケをしてました。

一番大変だったのは案外⑥かもしれないな(笑)どこのアイドルやアーティストの現場でも力を持つグループとか派閥とかあると思うけど、そこに敢えて突っ込んでいきました。当時「鍵開け」「鍵閉め」なんて言葉なかったけど、少なくとも鍵閉めがしたかったら、そういうグループに入らないと絶対できなかった!しかもありとあらゆる情報がそのグループに集まっていた。なので意を決して。近寄りがたい感じあったけど、中に入ったらみんな優しくていい人だったな。大体そういうグループの人たちはみんなメンバーからも大切にされてるから、そこに入って、みんなから色んな話を聞くことでメンバーの色んな面を知ることができて、自分がコミュニケーションをとる時にそれを活かすことができたのが大きかった。「こんなこと考えてるんだ」とか「こういう話に食いつくんだ」とか。時には嫉妬しながら色んな話を集めていました(笑)

⑤とかは一時期ソロ活動してた時があって、その活動で地元に来てくれる時は毎回新幹線乗り場で待ってた。出てきたタイミングでお弁当渡したり、差し入れしたり。食べてくれなくていいし、捨ててくれていいけど、そういうことした事実を頭の中に残しておいてほしくてやってたなぁ。

ここまで頑張ってオッカケしてたのは純粋に彼のことが好きだったし、彼らが作る音楽が素晴らしくて、もっとたくさんの人に知ってほしいという想いがあって、頑張ってほしい、応援したいという非常にピュアな気持ちからでした。今考えたらこの時代が一番純粋に応援してた。今もそれに近いくらいに戻ったけど、色んなドロドロに巻き込まれて荒んでしまったからな(笑)
この「好き」は前回オッカケバイブルで書いた恋愛感情に近いものもあったけど、それよりかは「この人の役に立ちたい」という気持ちが強かったかな。尽くしたくなるくらい良い音楽を作っていたし、人として魅力的だった。ちょっとだけ彼と私しか共有できない思い出を作りたいという気持ちもあったけど。

最後は解散してしまったので、私も離れてしまいました。が、いつ何時も忘れることができない貴重な数年間でした。彼の存在はきっと生きてる限り、私の心のどこかにずっといるだろうなぁと日々思うのでした。今は帰ってきてくれたし、これからまだまだ思い出作っていけたらいいな。



おけい

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