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推しがいるレースが熱すぎた。

5/3(月)〜5/4(火)に富士スピードウェイにて開催されたSUPER GT Rd.2。元ジャニーズの手越祐也さんが国歌独唱をしに来るということで、グランドスタンドのチケットは早々に売り切れ、話題となっていた。最近再びジャニーズにハマっている私は「いよいよクルマ好きな手越祐也がモータースポーツの世界にやってきたか…!」とワクワクし、是非手越さんをきっかけにモータースポーツの面白みが一人でも多くの人に伝わってほしい、と願っていた。
一方で、もう一つ私にとっては大切な願いがあった。それは牧野任祐選手の復活だ。


昨年SUPER GT 500クラスでチャンピオンとなり、2021年シーズン、1号者となったSTANLEY-NSXをドライブする牧野選手。昨年12月に髄膜炎を発症し、病気療養のため、4月に岡山で行われた開幕戦を欠場していた。牧野選手が参戦するもう一つのカテゴリー、SUPER FORMULAも4月に行われた開幕戦・第2戦は欠場していた。
昨年12月に行われたSUPER FORMULA第5・6戦の直後、突然髄膜炎となり、最終戦を欠場した牧野選手。SUPER GTでチャンピオンを獲ったからこそ、なかなか結果を出せていなかったSUPER FORMULAでも結果を出したい、という想いが人一倍強かったことと思う。しかしそれは叶わなかった。SUPER FORMULAの最終戦を病室から見ていることをinstagramに書いていたが、私たちが想像する何倍もの歯痒い気持ちに苛まれていたことだろう。
髄膜炎は細菌やウイルスが髄膜に入ってしまう感染症で、珍しい病気ではないが、直前までレースに出ていたことから風邪が原因ではないだろうし、原因もわからず、初期症状の時はコロナかもしれないと不安を感じたことだろう。
昨年はオンライン開催となったHONDAのTHANKS DAYやTEAM KUNIMITSUのファンミーティング、1月の体制発表も欠席。「そんなに状態が良くないのか、、、」とその時からすごく心配していたが、体制発表時の動画やその後の1月の合同テストの時の写真では痩せてしまったというか、やつれてしまった感じが否めなかった。のちにauto sportsのインタビューで分かったが、1ヶ月近く寝たきり状態だったようだ。そして3月の公式テスト、SUPER GTの開幕戦、SUPER FORMULAの開幕戦・第2戦を欠場することが発表された時、私はものすごい絶望感だった。(牧野選手は私なんか比にならないくらいの気持ちだったとは思うが。)


牧野選手のことを応援し始めたのは2019年。F2から戻ってきて、日本に拠点を移したタイミングで、速いのに強くなりきれなかった1年目を乗り越え、速さと強さの両方の感触を掴み始めた2年目を噛み締め、「さぁ、勝負の3年目」と私自身も牧野選手の成長を楽しみにしていた矢先の出来事だった。HONDAの若手として、速さも強さも認められ始め、日本のレース界での注目度も上がってきていたからこそ、より牧野選手が活躍する姿を見たかったし、勢いのあるまま活躍してくれると確信していた。そんな中誰も予測できなかった体調面でのハードルが突如現れ、病に打ち勝ってほしいことはもちろん、またドライバーとして走ってほしいと願うばかりだった。「そんなに悪いのかな、、、何か他の病気が見つかってしまった、、、?」とずっと悶々としていた。
だからこそ、SUPER GT第2戦の第3ドライバーとして登録されたことを知った時はとても嬉しかった。「もしかしたら走るかも、、、フリー走行だけでもいいから、走る姿が見たい」と。そして5/2(日)には牧野選手ご本人からTwitterで参戦することを表明。戻ってきてくれた…!と心の底から思った。

正直ここ2年、私の推し活の中心は完全にモータースポーツだったこともあり、牧野選手が欠場していたとしても、牧野選手以外にも注目したいと思う選手はいたし、モータースポーツへの熱は冷めないだろうと思っていた。でも実際は気持ちの入り方が全く違った。もちろん熱は冷めてはいなかったが、牧野選手がいるかいないかで、一つのオーバーテイクや0.1秒でさえも自分にとっては意味が変わってくるのだと気付かされた。牧野選手がいれば、テレビの前でも手に汗握って、一喜一憂しながら応援していた。


5/3(月)の予選では残念ながらQ1で敗退。牧野選手はQ2に控えていたため、走りを見ることはできなかった。(ちなみに悔しすぎて、食卓にあった醤油を勢い余ってぶちまけてしまった)後にインタビューで詳細を知ったが、1号車STANLEY-NSXはコカコーラーコーナーでハーフスピンをしてしまい、Q1を突破できず、最後尾の15位からのスタートとなってしまったのだ。
ただ、なんとなく。去年のRAYBRIG-NSX、TEAM KUNIMITSUの走りを思い出すと、最後尾で終わるイメージは全くなく、むしろ「オーバーテイク劇場が観れる」と確信している自分がいた。なぜかわからないけど、きっと勝つと。


そしてSTANLEY-NSXはこの確信を現実にしてくれた。最後尾15番手からのスタートであったのにも関わらず、第1スティントを担当した山本尚貴選手が9番手までポジションを上げ、30周目にピットインし、今回復帰戦となる牧野任祐選手に交代した。ピットアウトしてすぐにFCY(フルコースイエロー)が導入されたことにより、5番手に浮上。33周目にレースが再開されると、牧野選手は強くて速い、攻めの走りを見せた。39周目にはチームベストとなる1分29秒544をマークすると、前のマシンとの差をどんどん縮めていき、61周目にはENEOS X PRIME GR Supraの大嶋和也をオーバーテイクして、4番手までポジションを上げた。今回500kmレースであることから義務付けられた2回目のピットインを69周目に行った。第3スティントは再び山本選手にバトンをつなぎ、復帰初戦としては十分すぎる活躍をみせた。「最後の最後までわからないのがレース」なんてよく言うが、今回もその通りだった。STANLEY-NSXが表彰台に上るのではないか…と手に汗を握ったが、残りの4周でKeePer TOM'S GR Supraをドライブする平川亮選手に抜かれてしまった。悔しい気持ちでいっぱいだったが、他のチームと比べて、ピットインが早かったこと、路面温度が低下していたことから厳しかったのだと思う。

それでも予選の15番手から4番手まで順位を上げたSTANLEY-NSX。「やっぱり強い」の一言だった。


牧野選手は昨年12月以来のレースではあったが、全くブランクを感じさせない走りで本当に驚いた。髄膜炎で寝たきりだったことにより、筋肉量も落ちてしまったと思うし、髄膜炎というのは脳に関わる病気であることからきっとGが負荷となる。そしてドライブする感覚も掴みにくくなっていたことと思う。だが、牧野選手は取り戻すべく、陰で努力を重ねていたことをのちに知った。

実はレース復帰にあたり、牧野は4月に鈴鹿サーキットで行われたタイヤテストで久しぶりにGT500車両をドライブしたのだが、そこではブランクを感じていたようで、不安を抱えながら富士に来ていたという。
「正直、最初は厳しいのかなと思いました。タイヤテストでもちょっと走らせてもらいましたが、そのときは本当になんの手応えもなくて、自分の感覚がここまで落ちるのかなと思うくらい、ヤバイなと感じていました」
「そこから富士に向けてできる限りのことをやってきました。それこそ、JAF-F4などに乗らせてもらったり、ホンダさんにもお願いしてスクールカーに乗らせてもらったりとか、とにかく走る機会をいただきました。それが良かったのかなと思います」

こういうところなんだ。牧野選手を好きな理由。感情に素直で時に熱くなりすぎたり、繊細な面が見えることがあるが、意思が強くて、芯がある。レースに関しては貪欲で真面目で、勝ちにこだわる。そのためなら努力も惜しまない。一見「面白い関西の兄ちゃん」という雰囲気だが、内に秘めた熱さがあり、真っ直ぐで強い。それが牧野選手であり、応援したくなる理由なのだ。

「ただ、土曜日朝の専有走行を走らせてもらったときもそうでしたが、自分が思っていたよりかは、だいぶ(感覚が)戻ってきたかなと思います。そこに関しては良かったかなと思います」
「富士に来るまでは不安しかなくて『本当に大丈夫かな?』というのはあったし、今回は長いレースなので、体力的にもどうなるかなというのはありました」
「自分が思っていたよりかは大丈夫だったので、そこは良かったと思います。今回は1スティントだけでしたけど、結構長い時間を走らせてもらったので、そういった意味ではしっかりと順調に戻ってきているかなと思います。でも、だからといって(今回の結果に)満足はしていないですし、もちろん昨年以上のものをと思ってやっています」


感覚が戻ってきた、と語る牧野選手。今日から2日間開催されるSUPER FORMULAにも復帰する。DOCOMO TEAM DANDELION RACINGのマシンを初めてドライブするようなので、すごく楽しみだ。残念ながら再来週に予定していたSUPER GT Rd.3は延期になってしまったが、今年もまだまだ強い牧野選手が見れると確信した。

山あり谷ありなレース人生。牧野選手が山も谷も乗り越え、今年の終わりが最高の笑顔となることを願って、精一杯応援していきたい。

牧野選手、おかえりなさい。




おけい

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