分かっちゃいるけどやめられない

人と対峙している時の自分が好きではない。
一人でボーッとしたり、ご飯食べたり、ギター弾いたりしてる時の自分はそんなに嫌いではない。

なんで何だろうと考えてみると、原因はやっぱり自分自身にあって、何気ない会話一つするにしても、結局無理して話しをしているだけで、ほんとは話すことなんて何にもないのに、会話用の皮を一枚被って角が立たないように取り繕っているだけ。

会話に限らず、色々な場面でそれ用の皮を被ってその場をなんとかしのでいるだけで、自分にも他人にも向き合っていない。その不誠実さや軽薄さを自分でも内心わかっているから、自己嫌悪だけが募っていくのだろう。

分かっちゃいるけどやめられない。

あってもなくてもいいような時間だけを他者と共有して、相互理解など到底望めぬ関係性だけを保持する。

世の中、分かりやすく軽薄な人は山ほどいるが、自分も大して変わらない。
しいて違いをひとつ挙げるとすれば、
彼らの方が人生楽しんでそうだ、ということくらいか。

かと言って羨む必要は全くない。
分かっててもやめられないことを、気に病むことはもうやめたのだ、私は。

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