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何がどうなれば

一年くらい前から、その日の食事のカロリーを把握するためにカロリー計算アプリを使用していて、今日も朝食を摂った後に食べたものを入力しようとアプリを開くと、

「今日は誕生日です!」

という文章が出てきたので、ああ今日は誰か偉人だか有名人だかの誕生日なの?とか思ってアプリに食事を入力していたら、なんのことはない私自身の誕生日だった。

誕生日なんてものを意識しなくなってかなり久しい。

英語の有名な言い回しで、

 Age is just a number

というのがあるらしく、意味的には「年齢はただの数字」とか「年齢なんて関係ないよ」みたいな意味で使われるそうだが、私は英語はさっぱり分からないのでほんとうのところはどういう使われ方をするのかは知らない。

私はシンプルに年齢はただの数字という解釈で、年齢で自分の行動を制限するのはなんかアホらしいなと人生のある時点から強烈にそう思い始めて、それに伴って誕生日というものにも大して重きを置かず、また意識もしなくなってしまった。
祝ってくれるような友人や家族がいれば、また違ったのかもしれないが、現実にはいないのでこれに関しては受け入れるより仕方がない。

話を戻そう、
年齢を重要視することによる最大の利点は、自分自身や他者の内面に向き合う必要がなくなることだと思う。年相応という言葉で人間の外と内を紐付けしてしまえば、想像力を持って人と関わることを回避することが出来る。簡単に言えば、頭使わないで生きていける。
人生において思い煩うことは回避したい事柄の一つでもあろうし、思い煩うことなく楽に生きていけるならそれもありかな、とも思うが、ただやはり考えないで生きていくことにも弊害はあって、その一つは、自分に対して誠実に向き合わなくなること、のように思う。

自分は何がどうなれば満足なんだろう?
何がどうなれば幸せなんだろう?

そういう自分が生きていくために、当たり前にするべき必要な問いかけを、年相応という誰が決めたかも分からない社会通念に飲み込まれてしまって全くしなくなることだ。

自分の経験則になってしまうが、
自問自答というのは本当に苦しい。こんなことやらなくていいならやらないに越したことはない、と何度も思うし、これだけ苦しんで自分に問いかけしても答えが出ることなんてほとんどない上に、その答えが正しいかどうかはおそらく永遠に分からない。

あまりに費用対効果の低いこんな思考を、過去生きてきた人達はどうしてもやりたくなかったが故に、年齢によるレッテル貼りや様々な社会通念や常識を作り出してきたんだろうなとさえ思うが、それと同時に、いくらラクチンだからって他人の人生を自分の人生と思い込んで生きていくのは、あまりにも滑稽じゃないか?とも思ってしまう。

もちろん、他人から見て滑稽に見えるかどうかなんてどうでもいいけれど、自分が自分に対して本気で滑稽だと感じてしまうようになるのだけはなんとしても避けたい。

そのためだけに今日も誰に頼まれた訳でもないのに、必死で自問自答を繰り返すのだけれど、さすがにいい加減疲れてきたので、、


もう自分とかどうでもいいんで

どなたか誕生日プレゼントに

良い自己啓発本くださいませんでしょうか?




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