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小児哲学についての報告5(2020726)

・哲学的思考癖

 皆さん、こんにちは。取るに足らない人間代表です。
前回は死への想起によって小児哲学を身に付ける方法を紹介いたしました。今回は、「方法」というよりは「習慣」というものにフォーカスを当て、少し面白いお話をしようと思います。

 私は報告書4の最後で、哲学の本質はクリティカルシンキングだと述べました。クリティカルシンキングという言葉は、恐らく皆さんも耳にしたことがあるかと思います。クリティカルシンキングとは、「普通はしないような物の捉え方」でしたね。
 「普通ではない」とありますが、ここでいう普通は「小児哲学を忘れてしまった人間」の基準です。ここを、小児哲学を身に付ける為に「普通」にするということです。そして皆さんもご存じの通り、社会が今最も求めているのはクリティカルシンキングがこなせる人材です。「哲学」がついに役に立つ時が来たということです。

 クリティカルシンキングをこなせるようになるためには、「哲学的思考癖」を日頃から実践する必要があります。ということで、今回は哲学的思考癖を行うための指南を述べようと思います。何かの縁でここに辿り着いた皆さんは幸運ですよ。何故なら、必ず今日から見える世界が変わるからです。

 まずは、自分の性格をよく知っておきましょう。
自分はポジティブなのか、はたまたネガティブなのか、まずはこの二つで篩にかけてみて下さい。これによって、クリティカルシンキングの属性が分かれます。
 次に、自分はポジティブな方だと結論づけた方はポジティブ思想の中でも取り分け純度の高い「楽天家」なのかそうでないかを判断してみて下さい。そしてネガティブだった人はネガティブ思想の中でもレベルの高い「冷笑主義者」なのか否かを判断してみて下さい。これによって、クリティカルシンキングの定型が確定します。

 因みに、私は小学生の頃はどちらかと言えば「ポジティブ」な方だったのですが、成長して現代の汚れきった哲学に触れたことによりネガティブなクリティカルシンキングばかりを行ってしまうようになりました(笑)

 自分の性格を知った次は、自分の上に超えられない存在というものを配置します。昔の人はこれを、「神」と置いたのでしたね。一見、「神」なんて聞くと中二病の譫言のように聞こえるかも知れませんが、これは小児哲学、つまりクリティカルシンキングを身に付けるのに非常に効果的なんですよ。それに私は宗教家という訳では無いですのでご安心下さい。
 神という存在を自分の上に置いた後は、ポジティブな方もネガティブな方も自分、若しくは世の中の過ち全てをその神の所為にしてみましょう。どれだけ些細なことも、無理矢理神の所為にするのです。そしてこの神の所為にするに至るまでの、思考の動きこそがクリティカルシンキングなのです。考えてみれば、神という天上の存在と、地上で起きたつまらない些細な事柄を無理矢理リンクさせるのですから、ここに人間の思考の真髄が当然あるはずですよね。

 例えば、極端な話だと私が小学生の頃はポジティブだったと述べました。お恥ずかしい話、小学生の私は「目の前の世界が仮想現実である」という説を熱心に支持していました。従って、私自身こそがプレイヤーであり、後は皆NPCだなんて思想をしていました(笑)ゲームクリアの条件は「宇宙を解き明かすこと」なんて考えていた中々頭のおかしな小学生でしたが、今思えば人の費やした時間に無駄などあろう筈もなく、一見時間の浪費に見える過ごし方だったとしても「必ずどこかしらの能力が上がるように脳はシステムされている。」ということに私は気づきましたので、小学生時代も全く無駄だった訳ではないようです。
 そんな小学生の私は忘れ物をした時は必ず、神が宿題を空間から消し去ったのだと考えていました。いや~とんだ阿呆ですよ(笑)。しかし、こんなしょうもない子供特有の考え方にこそ、小児哲学は詰まっているのです。
 小学生の私の脳はまず、「神が宿題を空間から消し去った」とすることで、「私が宿題を忘れた」という形而下の事実と、神という形而上の存在を無理矢理引き合わせました。そして次に、何故神が私の宿題を空間から消し去らなければならないのかを考え、その理由を付け足していきます。ここが小児哲学の使い所です。私は先程述べた通り「仮想現実説」を推していました。よって、「神は私がゲームをクリアすることを阻止するために私の勉強を妨害している」としたのです。勿論、大人の先生にそんな事を言っても通用しませんでしたがね(笑)。
 いかがですか?今のは非常に極端な例でしたが、クリティカルシンキング一つで「私が宿題を忘れたエピソード」という味気ないものから、ここまでユーモラスな文章を書くことができたのです。そしてnoteの投稿のネタになるという形で哲学が役に立ったということです。

 では、皆さんにも馴染みのある例で言いますと、毎朝毎夕、テレビをつけると必ず流れているニュース番組。マスメディアが流す情報のおよそ80%は虚偽だという話は聞いたことがあると思います。これは紛れもない事実ですが、制作スタッフの方々はそれをわかった上で開き直り、虚偽の情報を流しています。何故なら極論、ニュース番組とは言えど視聴率が取れればそれで問題ない訳ですし、視聴者に真実を伝える役割は二の次な訳ですからね。
 これを、私達の哲学的思考癖の為に利用してやろう、ということです。ニュース番組をじっくり見れば分かると思うのですが、真実かはっきりしないような情報であっても、さも真実かのように報道していますよね。従って、意外と内容にガバガバな部分があるんですよね。その綻びを、「クリティカルシンキング」を用いてほどいていくのです。例えば昨今のコロナウイルスの報道。ニュース番組を見ると、大層な肩書きをぶら下げた目付きの鋭い中年男性数人を引き連れ、感染者がどうこう、やれ国家がちゃんとするべきだ、こればかりで嫌気が差しますよね(笑)。そして大概、話の信憑性の引き立て役として、「町の人々へのインタビュー」なんてものも流されますよね。ここが綻びなんですよ。
 私がとても驚いた話があります。
それは、ニュース番組のインタビューを受けた若い方の話なのですが、その方は「コロナウイルスが蔓延していることについてどう思うか」といった質問を受け、「勿論コロナウイルスは危険なものなので対策をするべきだ」という尤もな旨を伝えました。すると、インタビュアーが「でも周り見てみると、結構気にして無さそうな人も多いですよね?」と話しかけてきたので、「確かに、そんなに危険なウイルスじゃないと思っている所があるかも知れません」と答えてしまったのです。するとこのやり取りが後日の報道番組で使われたらしく、その内容というのが、「若い人間の危険意識の薄さ」というものでした。お察しの通り、案の定先程のやり取りの中の「そんなに危険なウイルスじゃないと思っている」という場所だけ切り抜かれて使われていたのです。
 この話だけでなく、ニュース番組での街頭インタビューでは、こういう事が横行しています。もしかすると今朝のインタビューで質問を受けていた一般人も、本意とは裏腹に誘導されてそう言わされた発言かもしれません。そんなことを推理しながらニュース番組を「批判の目」で見る、これこそがクリティカルシンキングを育てあげるのです。皆さんも、今までとは違った目線でニュース番組を見てみてはいかがでしょうか。或いは、大概はやらせであるバラエティ番組の楽しみ方を、「バラエティー番組のやらせを出演タレントの利害関係から推理する」という方向へ変えてみてはいかがでしょうか。
 「そんなことでは楽しくテレビを見れないじゃないか」と思うか方もいるかも知れませんが、テレビを楽しむ必要はありません。腐りきった物は、自分の成長にとことん利用してやればいいのですよ。そして哲学的思考癖を楽しみましょう。

 次に、読書をする際の哲学的思考癖の例を述べましょう。
皆さんはどのような本が好みでしょうか。ライトノベル、ビジネス書、ディストピア系小説、評論文などなど、バリエーション豊かな本が幸いにも周りには沢山ありますよね。それらは「本」というよりは「思想の詰まった小瓶」と言った方が本質を捉えているでしょうかね。普通は、例えば小説を読む際、そのストーリーに頭までどっぷり浸かり、世界観を存分に楽しむ読書の仕方をしますよね。勿論、それも一つの楽しみ方です。しかしそれでは頭を使った読書とは言いがたいです。どちらかと言えば、作者に手を引っ張ってもらいながら脳を「操作されている」ようなもので、このやり方では哲学的思考癖は身に付けることができません。
 本とは前述の通り、作者の思想の詰まった小瓶です。小瓶のパッケージに書いてある原材料名を熱心に読み上げても何ら楽しくありませんよね。その小瓶の中にある芳醇な空気を鼻腔一杯に吸い込み、堪能することこそ読書なのです。つまり、読書とは作者との時空を超えた意思疎通、そして対談です。言い換えれば、作者の持つ哲学と自分の持つ哲学を共有し、成長の糧とする高尚な思考活動です。一冊の本からどれだけ出汁をとれるかが、哲学的思考癖、つまりクリティカルシンキングを会得する鍵となるのです。
 私が特にオススメするのは、小説作品、そして現代社会についての評論です。これらは作者の思想が如実に出ます。従って、最も頭の中に作者を召喚し易いのです。
 勿論、普通に作者の思想を汲み取りながら読んでもある程度の成長が見込めますが、もっと画期的な方法があります。今回は、これを読んで下さった皆さんへの特典として秘伝の読書方法をここに記しましょう。
 まずは、小説ないし評論を読み始める前に、作者のプロフィールと何時それが著されたかを調べて下さい。作者がどんな人生を歩んでいる時の作品なのかは、その時の作者の思想に大きなうねりを帯びさせます。そして、読む際は文を最初のページから読むのではなく、最後のページの左端の行から順に読んでいくのです。結論に至るまでには必ず段階が踏まれています。それを逐次、哲学を用いて推理しながら読むことで、得られる効果は数倍にも数十倍にも膨れ上がります。

・報告書5のまとめ

 いかがでしたでしょうか。上記の事柄を実践し、一つの事象に対して何十、何百の視点からクリティカルシンキングを行う、そしてそれに耐えうる脳の容量があれば、見える景色が一変しますし、効果を実感することが出来るでしょう。そうですね、まず現れる効果としては、「明らかに話が上手になる」や「的確な意見を述べることが出来るようになる」辺りでしょうか。
 私がこの報告書で述べてきた内容にも、必ず私の思惑、つまり「裏」があります。それを、どれだけひねくれていても構いませんので一度推理してみるのもよいかもしれません。

ご清聴有難う御座いました。